診断書をもらった
ずっともらいに行けてなかった診断書を先日もらいに行った。
値段が高くとにかく病院や病気のことから気を逸らすことで精一杯だった私は受け取りに行く少し前にパニックになり救急車で運ばれた。
その時に母親に病院にかからねばならないという話をした。
摂食障害を起こし体重が15キロ減り、サイゼでだいたい1000円ガチャくらいのメニュー量でも戻すようになっていたんだけど、親とご飯が食べられるのはとてもうれしかった。結局別れたあとトイレで吐いたんだけども。
救急車で運ばれると休日診療だと会計事務処理が出来ないため預り金というシステムが発生する。10000円預けていたので精算し残額を受け取りに行った夜に全部ではないにせよやっと自分のことを話した(もちろん一緒に食事したときに吐いた話は一切していない、というか出来ないしすることではないからしなかった)
私はまともな身体状況ではないこと、精神状態もずっとおかしくてこれは性格などではなく病気で人の助けがないと多分思っているよりも早く駄目になってしまうということ。
駄目になるというのは、人としててはなく生きていられなくなるということだ。要するに死ぬ。栄養失調かもしれないし自殺かもしれない。
私があまりに出来ればこの先少しでも生きていけるなら生きていきたいとは思うけど、命が尽きてしまったらもうそれは寿命なのだと思うと言うとそんなものは寿命ではないと言われた。
搬送先の担当の先生がずいぶんやさしくて過度なストレスだと思うから一日でも早く受診を勧められたときにスケジュール調整して週末に行くようにします、というと救急車で運ばれたのにスケジュール調整してどうすると言われたりもした、そりゃそうか。
とはいえ結局スケジュール調整をして週末に親に病院についてきてもらった。診断書と薬で20000円近くかかった。
医者いわく半年来てなかったらしい、そりゃ倒れるな‥と脳天気に考えてたら来なかったことについてとてもやんわりと諌められてしまった。
今回はいろんな申請をすることにしたのでそのための申請書も受け取ったのだけど、思ったよりも出来ることがないと書かれていてびっくりしたけど思い当たる節しかなかった。そうだ、そういえば出来ないことがたくさん増えてきていたのを思い出した。
外食すると吐くからと友人と食べに行く約束をするようになったし、買わないといけないものもなにか理由がないと出掛けられなくなってきていたので友人との待ち合わせの前に済ませたり、友人とウィンドウショッピングだと言って済ませたりしていた。
映画も以前はひとりで何本も観ていたのに、観たくてもひとりでは予定が空いていても行けなかった。
悲観してないわけではないけどこうしてみるとなんだか寂しがり屋なだけも気がするがわからない。
とりあえずやることについては山積はしてはいるんだけど次にしないといけないことはまあ決まっていてそんなには困らない、やることがわかってさえいれば気持ちとしてはとても楽だ。あとは休むことと食べることをなんとかするくらいか。
仕事は休めと会う人全てに言われた。それはそうだ。私もそう思う。
とりあえず今は薬をもらえたので、それを飲んでさえいれば夜間巡視中に利用者のベッドに転がっている上司の生首に罵られる幻覚やベランダにたくさん首吊り用の縄が掛かっていて選り取り見取りだなどれにしようかなと悩むような幻覚見なくてよくなるので一安心だ。
ただここ3日ほど上司と話した面談での発言も内容もいまいち記憶に残ってはない、まあ多分そこまで覚えていたくもなかったんだろうな。
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