ラジオ歴

土曜日更新が、日曜日になってる…
まぁ、アクセスも観れてるので
数少ない読者の方ありがとうございます🙇
自分がラジオを聴くきっかけになったのは、今は、疎遠になった知り合いのお姉さんにIBC岩手放送のトップ40って面白い番組があると聞き、小学5年生からスタート致しました。確か、もうその頃からラジオ投稿を始めて、採用され始めたな…大塚富夫アナウンサーと
樋田由美子アナウンサーが担当しておりました。デレクターは黒沢さんだったな…地元釜石に公開生放送が来る度に顔を出し、冷やかしの先輩方にチャチャを入れられながらも楽しんだものです。中学に進学するも、勉強よりラジオ投稿に夢中になり、勉強は単に集中力がなかったので、諦めておりました。
丁度ラジオパラダイスが創刊されたのが、その時期で毎月購入しては、どうしたらラジオで喋れるのか、模索したら、アナウンサーなら日芸、若しくは歌手、バンドマン、お笑い芸人になれば良いのだ!と閃きまでは、良かったのですが…ギターも集中力のなさで、上達せず、勉強も出来ず日芸放送学科も断念…お笑い芸人も吉本東京NSC4期生になるも、コミニケーション能力のなさから、断念。それは、今までの過程に過ぎないが、高校時代も岩手放送さんには、採用されある程度名が知れて、リスナー仲間とIBC祭りでは、騒いで楽しんだ思い出が脳裏に残っております。残念ながら、長い間当時からお付き合いがありツイッターで繋がっていたリスナーさんは、去年、くも膜下出血でこの世を去って遠くへ旅立ってしまいました。高校時代は、兎に角高校に行くのが嫌で、登校拒否児だったので、ラジオが救いでした。
悩みに真剣に向き合ってくれた、
斉藤景子アナウンサーありがとうございました🙇今、何処で過ごしてるのかわかりませんが、声届いてくれると良いな。高校もギリギリの単位で卒業し、どうしても東京に出たく、親にわがままを言って、音響技術専門学校に入学するも、やはり、コミニケーション能力のなさに中退、それでも20代ラジオに出演する事を目標にし、
あるラジオ番組のプロジェクトで2クールぐらいかな出演したまでは、良かったのですが、その時の放送作家見習いのSさんにクレジットカード名義貸し詐欺にあい、酷い思いをしました。
その時は、親父の伝手で、所謂そちらの方に片付けて貰い、どうやらその後Sさんもその局にバレたらしく、居なくなりました。その事実を知ったのは
55周年のとある特番でした。
つづきは、明日…覚えたら
寝る前に書くと纏まらないな…
では

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?