実歴の伴わないプライドは人間をダメにする [愚行録]

これから書くであろうものは、大きく3つに分けられそうです。

■ 過去の愚行回顧録サイド
・おもに中学ぐらいからの人間関係や学業失敗のきっかけ、
 裏で何を考えて何をやらかしてたか、みたいな話。
 しかし誰得なのであまり増やさないかもしれない

■ 趣味の話
・幼少期からの特性(?)による長い付き合いの趣味、
 引きこもってるときに培ったPC関連の趣味、
 何かの軽いきっかけで火がついた新しい趣味のことなど

■ 純愛(?)サイド
・片や発達障害、片や睡眠/パニック障害 ついでに年齢差もある…人らの 遠距離恋模様。一見 普通に純愛ではあるが「物理的な制限」が多いので
 そこらを語ってみようかな的なもの

何に触れてるかは、タイトルの [ カッコ ] でできるだけタグ付けします。



実歴の伴わないプライドは人間をダメにする [愚行録]

病院や、就労支援、あるいは話せる知り合いに話すたびによく訊かれる、

「どうして学校に行かなくなったのか?」

この質問には、毎回、「よくわからない」としか回答できません。

かといって、おさぼりだったのか、といえば、それも違う気がします。
なぜなら、単なるおさぼりだったのなら、今でも仕事に復帰せず
サボり続けていたとしてもおかしくないからです。

30人ほどが居る教室にはどうしても戻れなかったですが、
保健室や、カウンセリングルーム(登校拒否した子や病気で通いづらい子など数人いる)の環境下、先生からマンツーマンで勉強を教わる ということは抵抗なく続けていたので、軽い対人緊張みたいなものも持ってたかもわかりません。

もうちょっと大きなきっかけはあったような気がします。
それがメインだったのはわかってたけど、しょうもなさすぎて口頭では説明できそうになかった。


小~中学生の女子によくある、

「一緒にくるよね?」「来なかったら、裏切った」

という、“自分の意思と関係のない、よくわからない派閥めいたもの”が大嫌いで、当時私は、3人ぐらいの子から美術部に入るよう誘われていましたが、音楽のほうに興味があったため、彼女らを振り切って、1人で吹奏楽部に乗り込んでしまいました。
そこまでは良かった。

初めて触る楽器も、音階をすぐに出せるようになるなどの、コツを掴むのは早いという無駄な自負があったため、調子に乗って学年副部長にまで立候補したわけですが。
音階を早々に把握できることと、肺筋をうまく使えるということは
全く別物で、吹奏楽部においては、後者のほうが重要でした。
私は、メロディだけは誰よりも早く奏でられる一方で、
ロングトーンの安定感が、いつまで経ってもありませんでした。

基本から順番に伸ばしている周りの人たちにも次々に課題を越され、
焦る中、先輩から「このままではレギュラーとして出られなくなるよ?」
とハッパをかけられたのを最後に、糸が切れてしまいました。

要らぬ音楽に対するプライドと、面目のない学年副部長であるという
現実の狭間、早退したり学校そのものを休んだりすることが増え、人前で
泣いたこともなかったのに、泣く泣く顧問の先生に退部の話をしたというのが、わりと今でも記憶に新しい、恥ずかしい黒歴史があります。

しかし退部に加えてショックの上塗りをしたのが、人間関係の崩れでした。

上記のように、私は3人の友人の意向を無視して吹奏楽部に行きました。
しかし退部後は、第2希望であった美術部に、皮肉ながら流れることになったわけです。
当然ですが、風当たりは良くありませんでした。

2人は普通に冷めた対応でしたが、残る1人の「S子」からすれば
(そこまでして行ったんだから、最後まで貫けよ)
(結局こっちにくるなんて情けないだろ)
という、友人として当たり前の感情もあったのかもしれません。
S子とは当時一番仲が良かったのですが、そこらへんがギクシャクしてしまったのが居心地悪さに拍車をかけてしまいました。

当人たちに訊けば「そんなつもりはない」と言ったかもしれませんが
私も過敏になっていましたし、今となってはわからないことです。

彼女たちが今どこでどんな仕事に就いてるのかは
全然連絡を取らなくなって久しいためわかりませんが、
最近はS子のお母さんを、コンビニやスーパーなどで時々見かけています。
一度、働いているときに声をかけてもらったことがあり、憶えててくれたのが嬉しかったです。

不登校云々を関係なく、彼女とは付き合いを続けてるべきだったと
若干今でも思ってるところがあり、数ヶ月に1回ぐらいの頻度で、
S子は寝てるときの夢に出てきます。

話が飛びましたが。

居づらくなる、休みがちになる、勉強が遅れる、勉強が遅れるとまた居づらくなる、 という悪循環を繰り返す中、いつしか私は完全な不登校になっていました。

中学校のときに失敗した最大のきっかけは、大体こうだったと思います。
(高校のときは、前回書いた 電車のこと を含むまた別の理由です)

* * * * *

ここまで書いて正直「注意障害」とは直接関係なさそうなきっかけですね。
診断を受けたのは、中学校のカウンセリングルームにいた先生が、
「そういう疑いがあるのでは?」と母子両方に仰られたので
実際に病院に行って確かめてみたのがきっかけです。
「確かめられる病院そのもの」が少なかったので苦労しましたが。

もちろん14歳ぐらいの当人の感覚としては
「障害ではなく、自分のおかしな性格でこうなったんだろう」
と思ってました。この件に関してはそうなんじゃないか、と今でも思ってますが。
注意障害が主観でも問題になるのは、仕事を始めてからが最大だと思います

しかし昔はなぜか「子供時代における障害」と区切られており
投薬治療も20歳以下まで、ということになっていたらしいですが
どう考えても、大人になってからのほうが厳しい状態になりますよね。
子供時代は、親や大人が、誰かが、守ってくれますが
成人してしまうと全てが自己責任になり、そのようにはいかないからです。

そうして、誰に助けを求めればいいかわからない人が多いからこそ
精神科に通ったり、自殺したりするケースは なかなか減らないのでは、
と私は思ったりするんですが。
私の事案はむしろ、そういった関係者からすれば、やや損害は軽いほうともいえるでしょう

今では昔と比べると、認知する病院の数も治療薬も増えてきてると聞きますので、良い方向に向かっているといいのですが。

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