とてもダークサイドな読書感想文

久しぶりに「夜行観覧者」を読んでいた。
数年前に買って、一度最後まで読み終わっていたものだけど
特に新しく買いたい本がなかったり、買うほどお金を使いたくないときは
古いのを繰り返し眺める。
(こういうことがあるからめったに過去の本は売り飛ばせない)

2回以上見ると、最初に読んだときよりも
落ち着いて文中の意図を理解したり、1回目とは解釈が変わることもある。

本が細かくどんな内容なのかは、あらすじとかレビューとかで
大体わかると思われるので割愛。しかし今回思ったのは、
前半部の「真弓」というキャラクターの根本が、
「我が家の祖母」の性質に似ているかもしれない、ということ。
そして真弓の娘である「彩花」と、「うちの母」(祖母から見て実娘)
が今、環境は違えど、似たような感慨を抱いて生きている、ように見える。
全く同じような台詞も言っている。
「母がこんなところに家を建てたからこうなったのだ」
パラレルか? (「癇癪持ち」すら同じなんだけど…

以前読んだときには確か、我が家の不和ぶりも ここまで深刻では
なかったので こんな解釈はしなかったんだと思うけど、
こうしてみると、(一部の性格面構成は)似てるんだなぁと。
この小説の場合は、少女が中学生だからいい。文字通り、厨二病で済み、
解決後に成人すれば比較的まともに生きてゆけるのかも、と思う。

「自分で選択しなかった」あるいは「選択権がなかった」で
仕方なく不満な状況を迫られ解決もできないときに
人はお約束のように責任転嫁な台詞を言うんだろうなぁ っていう
月並みなことはぼんやり思うけれど……、
そういう意味だと、私はどうなんだろう。選べてきたんだろうか…
自覚はないが、最初の幼稚園も「ここがいい!」って言ったらしいし
(後に引っ越しによって変わったが)
クラブも部活も自分で選んで、その挫折も自分でして、
学校に行かない、というのも、何だかんだいって自分で決めたのだろうか。
確かに当初はてんやわんやになってて正常な判断力はなかったと思うけれど
それでも 周りの言うがままになった という記憶は、それほどない。
あったかもしれないけど、憶えてない。
そのへんはまだ幸せなのかもしれない。これからどうなるかはわからない。
第三者から言わせれば、私も責任転嫁は結構してるのかもしれない。

母に関しては、
「結婚したのもあなたを生んだのも、周りに迫られただけだ」
とまで言われたことがある。離婚になったのも、
「結婚を急かしてあの相手を勧めた親族が悪い。」こうなっている。
ご近所からの嫌がらせが判明したら、「こんな土地に建てた祖母が悪い。」
しかしぶっちゃけてしまうと、それを言われたところで
私や周りに成せることなんてたぶんないよなぁ、ということ。

いくら繰り返し言っても解決には向かわないし、
(祖父母や親族に そもそも罪の意識がないため聞く耳がない。)
そんなことより「自分が今、どんな状況にあって、最低何ができるのか」
を考え把握していくだけで、頭がいっぱいになってしまうもの。
なんとかかんとか働いてみて、家族や相方の資金面を多少持つように
なってからは余計そう思う。
「あの人がこうしたから、こうなったんだ」という過去地点にだけ
目を向け、進行形の目の前のことに向き合わずにいられるのなら、
それはむしろ楽なほうではないか、とも思うのだけれど。

…彼女も昔は向き合ってたのかもしれないなぁ。
「がむしゃらだった」とか本人も言ってたし
私も将来、ある年齢を境に糸が切れてしまうんだろうか。
なんか、それはイヤだな。
今の生活のまま延長線上ずーっといったら、そうなる気がしなくもない
でもそのことをまだ諦めきれない…


……最初が本の話題だったので、よく読む作家の話とかを今度
まとめられそうだったら偏愛ノート的に書いてみたいかなぁとも思います。もっと読み手にも書き手にも気楽なのを(ノ∀`)

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