指輪をつくったはなし
数年前、祖母が亡くなりました。
無口で、厳しくて、怖いひとでした。
よく晴れた日の真昼でもシンとしているような
わたしの知る限りこの世で最も静かなお屋敷の
そのいちばん奥にある小さな小さな部屋で
一日のほとんどを過ごしているようなそんなひとでした。
祖母の死後、わずかな生の気配さえなくなってしまったただただぽっかりと大きな空白で
かたちばかりの遺品整理をしているとひとつ、またひとつと、あるものが出てきました。
宝石です。
祖母がたいせつに仕舞っていたと思われる
ピンクや紫や赤や緑の石が飾られた
指輪やブローチが30点ほど出てきました。
宝飾品に関する職を生業とするひとが多い土地柄もありそれ自体は特にめずらしいものでもないのですが、あまり色柄のある服さえも着なかった祖母と、きっと元々はとても煌びやかであっただろう宝石たちはなんだかあまり結びつきませんでした。
だって、思い出の中にいる祖母はいつもモノクロで、世界でいちばん静かな場所をつかさどる
この世の静寂をかき集めたようなひとだったから。実の娘である母さえも、笑った顔の記憶があまり無いというようなひとだったから。
きっと、他のおうちで見つかればそれらは「遺品」と呼ばれてたいせつにたいせつにされるべき存在なのにいまいちピンとこないまま母と分けてそれらを持ち帰りました。
極めて事務的で、心を伴わない作業でした。
◇
数年が経ちました。
最近、部屋の大掃除をしているときにもうずいぶんと開けていなかった机の引き出しから譲り受けたままの状態で雑に布にくるんでいたあの祖母のアクセサリーが出てきたのです。
正直、上に書いた出来事すべてをこのときのわたしはすっかり忘れていました。
ほんの少しだけ大人を生きることにも慣れて。大学生だったわたしは、社会人に。
神戸の山奥のお屋敷から、東京のど真ん中のアパートに。
祖母の遺品を見つけたあの日から数年、気づいたらわたしはずいぶん遠くまできていました。
そして、もうひとつ変わったことがあります。
あたらしい趣味ができました。
今のわたしは、OLをしながらときどきアイドルを追いかけるおたくです。
家族も、学生時代の友人も、隣人のサラリーマンも絶対に知らないけれど。
今わたしが生活するこの空間には、大好きなアイドルの彼の写真がたくさんあります。
そう、
わたしがそれをたいせつにしていること
そんなのきっと誰も知らない。
それでもわたしにとっては大切なもの。
わたしをこの場所に生かせてくれるもの。
「祖母に悪いことをしてしまったのではないか?」
祖母のたいせつだったかもしれないものを
この数年、自分が踏み躙ってしまっていたということにわたしはそのときはじめて気づきました。
なんだかいてもたってもいられない気持ちになり何かできることはないか?と考えて、でも自宅にあるクロスでどんなに磨いても、一度褪せてしまった色はもう何も変わらなくて
とりあえずそれらのいくつかに望みを込めて
近くの百貨店に持ち込んでみたのです。
いわゆるオーダージュエリーに挑戦することにしました。
石をいくつか取り出して磨いて、杜撰な保管のせいでくすんでしまったゴールドは加工しなおして、いまのわたしがつけていてもおかしくないデザインを一から考えて。
百貨店の宝飾品売り場のカウンターでカップルとカップルとカップルに挟まれながら何度も通って担当の方と相談を重ねました。
その過程でも、
本当にいろいろなことがあって。
サンプルとして見せていただいた過去のオーダージュエリーの納品例とエピソードに、いくらでも可愛い指輪が買えるこの時代に結婚指輪でもない指輪をわざわざ作るひとたちには、 それぞれ並々ならぬ想いがあることを知りました。
祖母のコレクションにはわたしが考えていたより
ゼロひとつ多いくらいの金額がかかっていたことも、
わたしが丁寧な保管をしていさえいれば今でもそのままの形を保ったままでもっと輝いていたであろうことも、
裏側には早くに亡くなった祖父のイニシャルが彫ってあったことも。
すべて鑑定の過程で初めて知ったことでした。
そんなことを繰り返しながら。
数ヵ月後、ひとつの指輪が完成しました。
色柄のついた服を好まない静かな祖母が、
着飾って外出する機会などなかった
人嫌いで偏屈だった祖母が、
何故わざわざ屋敷に外商さんを呼びよせてきらびやかなアクセサリーをひそかに集めていたのか。どんな気持ちでそれを眺めていたのか。それだけは、結局最後までわからなかったけれど。
ひょっとしたら、
本当はもっと外に出たかったんじゃないか。
いろんなものを観てみたかったんじゃないか。
これはもう、ただの私の想像でしかないし
完全なる自己満足でしかない。永遠にそれでしかない。
でも、それでも。
祖母が残した石で作った指輪を纏った
その右手で明日もきっと
私はペンライトを振るのでしょう。
あなたのたいせつにしていたものに、
わたしのいちばんたいせつな景色を
ほんのすこしでも見せたくて。
自分にたいせつな趣味とかひととか場所ができて、はじめて私は他人のたいせつなものに目を向けられるようになりましたという話です。
おばあちゃん、世の中にはね
こんなにもきれいな色があるんだよ。
いつか、届きますように。
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