1月22日、スクランブル交差点

 2020年1月22日、わたしは渋谷に居た。詳細は割愛するけれど上司と一緒に外回りをしている最中で、スクランブル交差点付近を何度か行き来していた。とてもとても寒い日だった。
 その日は新しいアイドルがCDデビューする日で、日本中にたくさん広告が掲出されていた。もちろん私が訪れていた渋谷も例外ではなく、駅構内のボードや屋外ビジョン、CDショップの装飾など街の至るところに数えきれないほどの"彼ら"がいた。

 どうしても忘れられない景色がある。スクランブル交差点に設置された広告の前で、花束を抱えている女の子たちを見かけたのだ。巨大ビルボードにペイントされたアイドルの顔写真に、色鮮やかな生花の花束を捧げていた彼女たち。真っ白な薔薇を1本だけ持っている方、立派なブーケを持っている方、種類はそれぞれ違ったけれど彼女たちの持つ花束は確かに壁面へと向けられていた。その姿は、なんだかとても神聖なものにすら思えた。ボードを見つめるあの横顔を、"恋"なんて言葉を軽く越えてしまうような切なる視線を、半年以上経った今でもなんとなく覚えている。
 勿論ここにはアイドルご本人がいるわけでもなければ、これから何かの現場があるわけでもない。そう、ファンは何を期待しているわけでもない。ただただ大切な人の特別な日を祝うためだけにお洒落をして花束やペンライトを手に持って自らの意志でスクランブル交差点に集まっていた、あの日の彼女たちはたぶん渋谷でいちばん幸せな顔をしていた。

 街頭に設置されているスピーカーからも彼らの歌が流れてきた。屋外ビジョンではMVが流れている。前を見ても、上を向いても、目を瞑っても、そこには"彼ら"がいる。スクランブル交差点がなにか得体の知れない高揚感に包まれていく様子を、私は確かに肌で感じていた。

 あの瞬間に感じた不思議な感覚はいまだ明確な言葉には出来ないけれど、同じ事務所の別のアイドルを応援している一介のアイドルファンとして、自分が趣味だと信じてきたカルチャーの輪郭のようなものにほんの少しだけ触れたような気がした。

 生きている人間が偶像へと変わる瞬間。それを、あの夜、確かにこの目で見届けた。もちろん正誤や善悪の基準で語りたいわけではない。これがアイドルなのか。ただただ、そう思った。自分の居ないところで自分に向けて捧げられる花を受け取りながら、受け止めながら生きていく職業。真冬のスクランブル交差点に浮かんだ炎を、私は一生忘れないと思う。

 1ヶ月後には世界がまるで変わってしまって、街からはみるみる人がいなくなって、渋谷は沈黙の春を迎えた。あと少しタイミングがずれていたらきっと実現しなかった、奇跡みたいな夜だった。「アイドル」の概念に触れた気がした瞬間の話。

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