2024.6.3 深くより広くする
ぼくは何かを極めるとき、常に深めることを意識してきた。
なぜなら浅さは、どこか軽く信頼性を落とすからだ。
深さに気づけたとき、受け手に味わいと熱狂を与えられる。
しかし
気づいてもらえなかったとき、それはただの点にすぎない。
穴に入ろうという勇気をもったものにしか面白さは伝わらない。
それならぼくは、広さを極めたい。
読み手が身近に感じられるような部分を入れたい。
点ではなく線を、線よりも立体を、
相手の興味に掠る|《かする》ことができれば、いつか点の面白さに気づいてくれるかもしれない。
300作品の義務
ぼくは今月300コの詩を書くことを目標にしてる。
色々な意味があるが、今日はその理由のひとつに触れたい。
「詩を書く」といってもイメージが掴めない。
なぜなら生きていくことに不必要だから、これまであまり書いてきたことがなかったのだ。
分からないことは本屋へ
はじめて詩のコーナーに行った。
いくつか「詩の書き方」という本を手に取った。
これがそれらの言い分だ。
「だから臆することなく書こう」とでも言いたいのであろうか。
達観したことは良してほしい。
ぼくはとにかく真似をしたいのだ。
じゃあ「詩を買ってみたらいい」そう思った。
買った。
中原中也の詩集だ。
いくつか読んだ。
分からないながらもペラペラとめくった。
すごく面白い。
なぜだか『感じる』ものがあった。
理由はわからない。
明日も読むことにしよう。
臨場感
詩には叙景詩と叙情詩というものがある。
景色のことか感情のことを書いてるかの違いである。
ぼくが読んだ詩のなかでは、
主に『景色』が書かれていた。
よく書かれていた。
まるで自分がその中に居るみたいだった。
ノスタルジックになって感情が昂るのを感じた。
情景描写が丁寧に書かれていると、臨場感が増す。
臨場感は読み手を熱狂の渦に巻き込む。
「自分だったら何をするか」
を無意識に考えさせられた。
広さは深さ
ぼくのnoteの内容はどこか浅い。
淡々と事実や気づきを書くだけで、読み手として身近に感じることができない。
他人事で、そのひとが悲しんでたとしても、同情ができないようなつくりになっている。
研究の報告会のようだ。
テーマに共感できなければフェードアウトしやすいようになっている。
それはぼくも望んだことだった。
読み手に時間を取らせるのが申し訳なかった。
せめて
興味があるひとに、驚きを提供したかった。
その狭さが、障壁になっていた。
せっかく「読もう」と重い腰をあげてけれた方に対して、ずっと退屈を強いた。
これから詩を書く。
詩を元に情景描写を書けるようにしたい。
読んでる方に寄り添った文章にしたい。
「あるある」と思わせるような広さを言葉にするようにしたい。
そしていつしか『穴』にハマってもらえるようにする。
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