2024.6.10 攻略するとは
下手な鉄砲も撃てば当たる
それに頼りすぎないほうがいいかもしれない。
ただいま体調不良真っ最中
ダラダラと起きて、近くのセブンへ行って、コーヒーをすすりながらボーッとしている。
なんとなく数独のアプリを開いた。
待ち時間にピッタリなアプリである。
生前おばあちゃんがよくやっていたのを思い出す。
鉛筆と消しゴムをつかってゆっくり進める
候補の数字は薄めに、決まってる数字は濃く書く。間違えたら消しゴムで消す。力の弱いおばあちゃんの数字はそれが候補なのか、間違えたのかわからなくなって全体的にぼんやりとしてる。
それでも、
一生懸命に進めて、やがて終わらせる。
まるで、
これまでの人生を振り返るように丁寧に思い出している。
ぼくは数独をしながら嫌気が差していた。
体調不良ということもあるかもしれない。
それよりも数独の進め方にイライラしていたと思う。
アプリの数独は、メモができない。
いや、実際に言うとできる。しかし操作がすこし複雑でメモをするくらいなら覚えておいた方が、早く進めることができる。
「入る数字がないか?」できるだけ目をギョロギョロと動かしたり、怪しい箇所は目を細めたりしながら探した。
とにかく早く終わらせることを意識した。
別に誰かと競ってる訳ではない。
画面の右上にタイマーがあり、かかった時間を記録している。
その記録が少しでも早くなっていると安堵する。
逆に、時間がかかっていると自分が無能に感じられる。
「こんなゲームもできないのか」と。
だから自分はとてつもなく早く終わらせようとする。
別に誰に見せる訳でもない名もなきアプリをする。
そんなことをするなら少しでも世の中のためになることをした方がいいだろう。
しかし
幼いぼくはムキになって空白を埋める。
早く終わらせるためなら多少の無理だってする。
1playにつき1ヒントを貰える機会を必ず使うし、確率が1/2の場合でも当てずっぽうで入れる。
2回までのミスは大丈夫なので、1,2回の判断は荒っぽくする。
そんなゲームのやり方に嫌気がさした。
なぜか?
まるでぼくの人生を現しているかのようだからだ。
『面倒くさい』と思うと、イライラとして早く終わらせようとする。
適当に終わらせることもあれば、放棄だってすることもある。
人生そのものだった。
もし時間をかけて、規則性を見つけることをしたら、むずかしい問題ができても応用を活用していけたかもしれない。
自分なりのパターンを見つけてそれを武器にしていく。
先の方法では、何も積み上がっていかない。
楽しむためにやっているのか、それとも安堵するためにやっているのか。
どちらにせよ基礎が固まらないため、変化球に弱い。
加えて、同じ壁にぶつかり、同じ感情を抱き、同じ対処をする。そして年齢が重なっていき無理が出てくる。
ただ早く終わらせる。
それだけをゴールにすると答えを見たり、誤魔化したりするようになる。
その場ではいいかもしれないが、同じ状況になったときに、またズルをするしか手立てがなくなるのだ。
考える体力があるうちに選択肢は増やしておくといい。
これからの対策は、やり残しをなくす。
「あー、こっちをやったらどうなるんだろうか。」「でも遠回りになって面倒だな〜」と少しでも頭に考えがあるなら、挑戦しておく。
『もうやり尽くした』という状態にする。
それが攻略するということだろう。
今度からはちゃんと鉛筆と消しゴムをもって丁寧に進めていく。
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