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五十嵐公太さんによるJAM曲の思い出

初めに

 今回のJAMFESでは、公太さんがJAMの楽曲やJAMの活動等について話す機会が多々あった。

 配信は期間限定なので消えてしまう。
 でも、好きだったバンドの元メンバーが、自分たちの楽曲について話してくれた。
 しかも、演奏面での話だけではなく、曲の背景なんかについて語ってくれた。
 これが時間とともに消えてしまうのはとても惜しい。
 なので、文字に起こしておくことにする。

 無粋なのかもしれない。
 あの日あの時、或いはあの時期に見た人だけが共有できた事が大事なのであって、それをわざわざ書き起こすのは無粋だと言われるかもしれない。

   しかし私は忘れっぽい。
 何年かすれば、イベントの細かい内容まで思い出せなくなるかもしれない。

    また、最近はJAM解散後に聴き始めた、とか、そもそもJAM活動時に生まれてなかったという人もいる。
    当時はシングル・アルバム発売時にインタビューがあって、そこで色々知る事が出来たが、解散して20年経つ今、それは不可能だ。

 あの日見た人聞いた人、配信を見た人に、「そういうふうに言っていたね」と言ってもらえるように、JAM解散前に聴けなかった人に、楽曲の背景を知ってもらえる為に、そして、忘れっぽい自分の為に、無粋は承知で残しておく。

    なお、公太さんが仰っていた事を、内容が変化しない程度に文章を入れ替えている事、配信で話題が出るたびに書き足していったため、文体が統一されていない事を予めお断りしておく。

また、複数会場で同じ話が出た場合は、初出にまとめることとした。
そばかすで紅白出た時の話は何度か出た。
どんだけ幸せな匂いだったのか………?

曲目

1 motto

@MUJICA うめジャムライブ後

 PV撮影は三越の屋上。チアリーダーがドスドスと…。
 ライブレコーディングだったが、CDと何も変わらなかった。
 だったらCDで良かったんじゃない?と思った。
 一生懸命ライブでやった感が出るかと思ったら、CDと変わらなかった。

2 RADIO

@MUJICA セッション(ミュージックファイター)後

 JUDY AND MARYはコーラスグループ
 4人以外はステージに上げないと決めていたので、恩ちゃんと俺でコーラスをやっていた。
 RADIOという曲があるが、ずっとコーラスをやっているので、本当にしんどい

@川崎セルビアンナイト 猫隠家後

 コーラス大変なんで忙しいんですよ。実は。
 凄く簡単そうに聴こえる、RADIOとか、シンプルで簡単なのに、コーラスが大変だから。

3 あたしを見つけて

 @アメリカ村BEYOND セッション(あたしを見つけて)前

これ俺の曲だよね?(笑)
この曲は、発表は最後の方(注:2001年2月7日発売のWARPに収録)だけど、割と散歩道とかと同じくらいの頃(注:散歩道リリースは1998年2月11日)に作っている。
ちょっと大人っぽい曲。
JUDY AND MARYはYUKIの成長と共に音楽もちょっとずつ変わっていった。
YUKIと出会ったのはYUKIが19歳の時で、その頃の曲は例えばLOLITA-A-GO-GOとかだったが、やっぱり女性の20代の頃って凄く変化があるので、この曲は最後の最後ということもあり、凄く大人っぽい感じになっている。

4 あなたは生きている

@アメリカ村BEYOND セッション(あなたは生きている)前

 結構人気ある曲だよね?
 ドラムのパターンを一生懸命考えた曲。
 この間叩いてみた動画を上げるにあたって、2日くらいかかった。
 色々詰め込んでいてちょっと面倒くさい所がいっぱいある曲。

5 そばかす

@アメリカ村BEYOND セッション(そばかす)前

 アルバムを全部録り終わった後、ソニーの人から「タイアップ取れたからもう1曲作ってくれ」と言われ、恩ちゃん(恩田快人:Ba)が3日で作ってきた曲
 1日でレコーディングして、みんな疲れ果てていたので、絶対ボーカルが歌えないようなアレンジにしてやろうと、俺も含めてみんなが捻くれて思った。
 普通なら入り口にあんなオカズ入れないし、TAKUYAも「この曲コード覚えるの嫌だから絶対バッキング弾かない」と言ってずっとギターソロを弾いていた。
 そういう捻くれたその感じがあの曲に実にマッチして、女の子の複雑な感情を上手く表現できた。

 現在は、アニメのタイアップが取れると「やったー」となるが、当時はアニメのタイアップ自体がそこまで名誉なことではなかった。

 紅白出れた。紅組だったけど。
 男三人は周りの女性から頭一つ出ていた。良い匂いがした。

6 くじら12号

@アメリカ村BEYOND セッション(くじら12号)前

 レコーディングの時点でエンディングが決まっていなかった。
 アドリブでエンディングが決まった。

7 ラブリーベイベー

@福岡PEACE KICOライブ後

YUKIが使っていたワニは本物ではなく、作り物には作り物だったが、よくできていたので、その辺にピッとあったら、ワニと間違える。
ツアー用に立派なケースがあった。
大きな木のケースがあり、「これは何が入ってるんだろう…?ワニだ」ということがあった。

8 手紙を書くよ

@川崎セルビアンナイト チョコブラウニー 前

(昔の曲は何度も叩いているから覚えているが、後半の曲はツアーで1回しか叩いていない曲もあるから、後期の曲はあまり覚えていない、という話から、曲のアレンジの話へ。)
この曲は、「余計な事はしなくていい!名曲だこれは!」と思って。
この曲、すごく好きなんですよ。手紙をかくよ。

9 ミュージックファイター

@川崎セルビアンナイト チョコブラウニー前

(この曲は苦労した、という曲があるか?という質問に)
ミュージックファイター!
あれはロンドンでレコーディングしたんだけど、パターンが思いつかなくて。
で、TAKUYAとかが「これ聴いてみなよ」とCDをずーっと聴いて、こういうパターンがいいんじゃないかとか、ああいうパターンがいいんじゃないかって。

でもう、練って練って練って…
POP LIFEはそうでもなかったけど、POWER SOURCEのレコーディングで3キロ痩せた。気疲れで。

10 クラシック

@吉祥寺クラブシータ BLUE FLAG 後

クラシックって、あの曲って、
何でインドだったんだろうなぁ…って(注:PVはインドで撮影)
ふと思うんですけどね。

11 OVER DRVE

@吉祥寺クラブシータ BLUE FLAG後

(クラシックのPVの話から)
OVER DRVEで初めて衣装を合わせようという話になって、
あの年、白のツナギが流行りましたね

12 ドキドキ

@吉祥寺クラブシータ BLUE FLAG後

(同じくPVの話)
あと、ドキドキとかね。
年甲斐もなく、学生服着てね。
あの時もう30超えてたんですよ?
どういうコスプレだって話ですよね。
(抵抗はなかったか?)ありましたよ!!

13 BRAND NEW WAVE UPPER GROUND

@吉祥寺クラブシータ BLUE FLAG後

(BNWUGのPVのアイデアは誰が出したのか?)
あれは、映像の制作会社の方が。
ロスアンゼルスで撮ったが、あれ以来ロスに行っていない。
撮影日の前後には大体お休みがあるので、恩ちゃんと一緒に、車を借りて、車の博物館に行ったりとか。
レンタカーでコルベットを借りて、恩ちゃんが運転して。
楽しかったですね。 

LIVE等諸々

1 仙台公演(時期不明)

@川崎セルビアンナイト 猫隠家 後

(来年のJAMFESを北日本でやるという話から、開催場所として仙台が候補にあがった際)
仙台と言えば、大変な思い出がありましてね。
俺、ずーっと腰が悪かったんですよ。
それで、仙台公演の、確か前日だったと思うが、ぎっくり腰で動けなくなっちゃって。
それで、抱えあげられて、タクシーに乗せられて、そのまま新幹線に乗せられて、仙台行って、針を打って、次の日に腰をグルグル巻きにして、で、ライブやったんですけど。
流石にちょっと、あの日はダメダメ君でしたね。

2 JAMのロゴ


@川崎セルビアンナイト yummy tummy後

 JUDY AND MARYはロゴの無いバンドだった。
 普通バンドって、こう…正式にはこう表記するんだぞ、みたいなのってあるじゃないですか?
 JUDY AND MARYってそういうのなかったんですよ
 決まったフォントは特になくて、最後まで決まらなかった。
 決められなかったのか、決めなかったのか、ちょっとよく覚えてないんだけど。
 あと、大体バンドって、バスドラに「JUDY AND MARY」とかって入れるじゃないですか。
 JUDY AND MARYに入る前のバンドって、ずーっとバスドラにロゴを入れてたんですよ。
 でもこれまでバスドラにロゴを入れると売れないっていうジンクスがあったので、JUDY AND MARYは入れなかった。

3 JAMはコーラスバンド

@吉祥寺クラブシータ 虹の彼方 後

 JUDY AND MARYってコーラスグループだったんですよ。
 コーラスバンドというか。
 キーボードを入れたくないから、なるべくコーラスで埋めようと。
 勿論レコーディングとかは佐久間さんが弾いたフレーズとかが入っているんだけど、ステージは4人でやろうっていうコンセプトでやっていた。

終わりに

音楽に限らず、『作品は発表されたものが全てで、それ以外の背景や秘められた想いは作品から感じ取るべき』という人もいる。
そういう気持ちも分かる。
ただ、私は割りとオタク気質なので、作られた背景や逸話も知りたいと思ってしまう。
そういう意味でもJAMFESは素晴らしいイベントでした。
もう来年の開催も決まっていて、日付や場所も決まった所もあるそうで。
来年も楽しみです。

配信だけでこんなに楽しいのに、もし現地に行ったらどうなっちゃうんだろう……。
来年宜しくお願いします。

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