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hideは洗剤を弾いたか。

人を批判するのは得意ではない。
相手にどう思われるか気にする方だからだ。

著作を批評するのは好きではない。
生みだす人は皆苦労しているのだから、言わなくてもいいのではないかと思うからだ。

ただ、過日読んだ本は、どうしても気になった。
もっと言えば、気に入らなかった。
著者の肩書及び自称と書いてある内容があまりにもかけ離れているからだ。

往年の᙭ファン、hideファンの方々程の熱量は私には無い。
ただ、好きなアーティストの事について乱暴に書かれているのがどうしても許せなかった。

そして、自分もこのような考え方、書き方、仕上げ方をしないよう、自戒も込めて文章にすることにした。

hide 真実のストーリー

はじめに

まずは、これを読んでほしい。

このうち、「hideの死」という項目に以下のような記載がある。

「1998年9月に出版された「hide 真実のストーリー」には『コンサートで行われる予定であった、首吊り自殺を装った演出の練習を、酔っぱらったまま行ってしまい死んでしまった』と書き記されている。」

また、次の動画もだ。

6:54〜 について。

今回書く記事は、この引用元である本についてである。

ここで引用されている本は、以前思うところがあり、途中まで記事を書いたが、書きかけのまま止まっていた。

しかし、YouTubeに上の動画が上がってきたのを目にし、やはり書いておこうと思った。


1 本著作について

本著作は、1998年9月1日、ルー出版から出版された『hide 真実のストーリー』なる本である(以下、『本作』と記す。)
著者は、中条剛。

1998年5月2日に急逝した、X JAPANのギタリストであり、ソロアーティストであり、hide with Spread Beaverの中心であった、hideについて書かれた本だ。

著者は、hideと中学時代から親交がある人物だそうで、現在は音楽プロデューサーであるとのこと。
ここが大事なところだ。
音楽プロデューサー』なのである。

ちなみに、著者は本名ではない。
執筆の条件として仮名ならば書くとして、本作を執筆したそうだ。

以下、出版動機について引用する。

「ヒデが死んだ時、出版社の人から、
『ヒデについて何か書いてくれませんか』
と言われた。最初は断ったのだが、しばらくして『名前を伏せてくれるのなら、自分の知っているヒデのすべてを書いてみたい』という気になった。僕の仕事の関係もあるが、名前を名乗って、『いかにも自分はヒデの友人だった』というようなスタイルを取るのが嫌だった。」
(本作p242)

『本当は名前を明らかにして、さまざまな意味でこの本に対する責任を取らなければいけないのだが、どうしてもその気になれない。ペンネームで許して欲しい。だが、僕がずっと尊敬する友人として見つめてきたヒデのすべてを書いたつもりだ。』(本作p243)

本作については、幼少期のhideの性格や音楽に触れたきっかけ、そしてhideの作品について記されている。
なお、中学の時の同級生であり、現在(出版当時)も交流があるとのことで、本文中でhideに関する事柄について、本人が語ったところについては、カッコ書きで記載してある。

2 本著作の記載内容に関すること

それでは、記載内容について触れる。

先に書いたとおり、本作はhideの幼少期、組んでいたバンド、作品等から人柄を紹介するものだ。
通常、書評を書くのであれば、『○章で✕✕、○章で△△について書き、』と説明できる。

しかし本作は、構成が統一されていない。

生い立ちから᙭への加入、ソロワークス、解散、hide with Spread Beaver、zilch、死去、その後、と時系列的に書きながら、その時々の作品に触れつつ、自分とhideについて語っていけば良いものを、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりしており、統一性が無い。

だから、『悪い意味で』サラッと読めてしまう。
読み終わった後に何が残るかと言えば、正直何も残らない。

3 本作の問題点

では、問題点について。

1 誤字と情報の誤り

まず目に付くのは、誤字、そして情報の誤りだ。

『ギブソン・サンポール』
(本作p47。有名な楽器メーカー、ギブソンのギターは、『レスポール』である。サンポールは洗剤)

本作p47



『追悼ビデオ「hIS iNVINCIBLE dELUGE」』
(本作p16。正しいタイトルは「hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE」見れば作成者の意図は分かる。頭文字を取れば『hide』となる。)

・『KIYOSHI、KAZ、CHIROLYN、JOE、DIE、RANの6人である』
(本作p198。hide with Spread Beaverのメンバーについて説明した部分。RANというメンバーはいない。RANは、blizard、TWINZERのギタリストで、hideの初期ソロツアーに参加した人物。また、マニピュレーターのI.N.A.が抜けている。)

本作p198

・『昔からエクスタシー・サミットなどで馴染み深かった元デランジェのKYO率いる「VINYL」』
(本作p210。D'ERLANGERのKYOが組んだのはDIE IN CRIES。VINYLはKYOの前のボーカルDIZZY(福井祥史)。また、D'ERLANGERのKYOはhideが横須賀で組んでいたバンド、サーベルタイガーのバンドメンバーなので、『エクスタシー・サミット等で顔なじみ』どころではない。)

・『「᙭」初期のベースを担当していたTAIGIも』
・『ヒデはよくPATAとTAIGIの話を』

(本作p224、225。᙭のベーシストはTAIJI。)


私が目を通しただけで、これだけある。
詳しい人が読めばもっと見つかるのではないか。

本作が書かれたのは1998年。
インターネットが普及しつつあった頃だと記憶している。
2023年現在に比べれば、情報の収集が難しかった面はあるだろう。

しかし、著者は「音楽プロデューサー」であり、「hideの友人」だと自称している。

それでこの間違いはあんまりではないか。

あなたの知り合いにバンド活動をしている人がいたら聞いて見てほしい。
「レスポール」を「サンポール」と間違える音楽プロデューサーをどう思うか?と。
「あり得ない」と笑われるだろう。

100万歩譲って、hideのソロワークスに参加しているミュージシャンについて知らなかったとしよう。

しかし前記の間違えられているミュージシャン達はいずれも高名な人ばかり。
前述のとおり、インターネットでの検索が容易でなかったとしても、他にも音楽雑誌が溢れていて、調べればすぐに分かることばかりだ。

2 裏取りのしようのない事の多さ

本文中には、hideが語ったとされる言葉が随所に見られる。
しかし、これも「どこかのインタビューで見たような言葉」ばかりなのだ。
今までのインタビュー記事、音楽雑誌を集めて、hideが話している内容を読めば、それっぽい言葉はいくらでも出てくるのではないか?

そして、hideは故人である。
仮に、これらの言葉について「hideがそんな事言うはずない」と問いかけたとしても、「私は聞いた」と言われれば、反論のしようがない。
hideに確認のしようもない。
再度言う。hideは故人だからだ。

つまり、この本に書いてあるhideの言葉は確認のしようがないのだ。

3 著者とhideとのエピソードが皆無であること

hideの言葉がどこかで聞いたようなことばかりであることは、既に書いた。
それでいて、著者とのエピソードがない。
びっくりするくらい、無い。
友人であれば出てくる、出会い、印象、その後の付き合い、そういった「この人だけが知っているエピソード」が一切無い。

また、本作は、全部で243ページある。
このうち、写真は一切ない。
全て文章である。

普通、こういった本を手に取り、期待するのは、「著者しか知らないhideの顔」ではないだろうか。
そして、それを容易に明らかにさせられるのは、写真だ。
学生時代、アマチュア時代、プロになった後、そういった写真があれば、著者がhideと親しい友人だったと分かるのだが、1枚も無いのだ。

hideと著者のエピソードを書けば、或いは写真を出せば、著者が誰であるか特定されてしまうという懸念があるかもしれない。

しかし、当時はバンドブームだ。
色んなバンドが出ては消えていった。
アマチュアであれば、その数は更に多かっただろう。

であれば、写真は使えないにしても、エピソードについては、具体的な部分をぼかす、或いは仮名を使う等すれば、書くことは出来たのではないか。
テレビやライブで見る、ミュージシャン、ロックスターとしてではなく、一個人としてのhide。
友人として書く上で大事なのは、そして読者が知りたいのはそういうところではないのか。

4 著者が仮名であること。

ここまでくると、思ってしまう。
著者は本当にhideと親交があったのか』と。
そこで出てくるのが、冒頭で紹介した部分だ。

著者が仮名である理由だ。
『自分がhideの友人であるというようなスタイルを取るのが嫌だった』と。

だから、特異な事は書けない。
だから、写真は載せられない。
何故なら自分が特定されてしまうから。

事実なのであれば、それも仕方ないと言える。
自分はhideとの思い出を書きたいだけであって、『hideの友人だった』事をアピールしたいわけではない。
だからあまり個人的な事は書けない、と。

しかしながら、あまりにも内容が薄く、インタビュー等で容易に知れることばかり。
これでは『色々な批判を避けるために仮名にしたのではないか』と言われても仕方がないだろう。

加えて、自称「音楽プロデューサー」であり、「hideの友人」にしては、お粗末な誤字、情報の誤り。

だからこそ、思うのだ。

あなたは本当にhideと親交があったのですか?

と。

4 hideがライブ演出の練習で亡くなったという情報について

そして、冒頭のWikipediaと動画の話に戻る。

hideが亡くなった時に行った事は、ライブの演出を練習していたという話だ。

確かに本作に記載がある。

「(略)僕が得ている情報では、次に行われるコンサートで首吊り自殺を演出するシーンがあり、それを酔っ払ったまま練習、あるいは
「ほら、次は俺、舞台でこんな風に死ぬんだよ」
と例によって調子に乗って、そのまま死んでしまったということである。」
(本作p11)

本当にそうなのだろうか。
著者自身、「そんなことはどうでもいい」(本作p11)と言っている。

しかし、ここまで書いてきたとおり、本作の著者である中条剛氏は、理由を付けて仮名で発表し、

・自称音楽プロデューサーであるのに、ギタリストなら誰でも分かるギターの名前を間違えている
・自称hideの友人であるのに、hideに関する出版物の名前やhideと親交のあったミュージシャンの名前を間違え、経歴を間違えている
・語られるエピソードはどこかで聞いたようなエピソードばかりで、中条氏ならではのエピソードは語らない

そういう人物なのだ。

つまり、hideがライブ演出の練習を行っている最中に亡くなった、とする情報は、

どこの誰かも分からない、
自称音楽プロデューサーである自称hideの友人で、
著作を書くにあたりろくに調べもしない人物が
「自分は聞いた」と言っているだけ


なのだ。

そんな人間が言っている事を根拠にしていいんだろうか。

私はこう思う。
少なくとも、現時点では取り上げる必要はない、と。

最後に

冒頭のWikipediaと動画で書かれていた情報については、私はこの本に書かれていた事であるのを知っていた。
本の内容が酷い事も知っていた。

しかし、本の内容を知らない人がWikipediaを読んだら、動画を見たらどうだろうか。

hideはライブの演出の練習中に亡くなった、と思わないだろうか。
そのように書いてある、hideについて書かれた本がある、と思わないだろうか。

没後20年以上経っているhideのWikiを読む人、動画を見る人はどんな人だろうか。
未だにhideが好きな人だろうか。
最近興味を持ち始めた人だろうか。
それとも、単なる興味本位だろうか。

もしも、出典元がどういう本なのかを分かっていたら、どんな風に思うだろうか。


ここまでムキになって書かなくても良かったのかもしれない。
これを多くの人に広めたいとも思わない。

ただ、私は、hideの音楽やギタープレイを素晴らしいと思った一人として、一言言わずにいれなかった。
それだけだ。


思いのほか長くなってしまった。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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