吾輩はコロ助ナリ

 雨の午後5時、暗い空き教室で2mの間隔を開けて木製のボロい椅子に座る4人。写真部今井、チアダンス部朝倉、演劇部松木、軽音部北平。向かい合わせはいけないと言う御触れの元、全員が顔半分をマスクで覆い黒板の方を神妙な面持ちで見詰めている。

 現在新型コロ助病と言う疫病が世界的に流行っており、学校の休校や引きこもり政策など様々な社会的隔離政策が取られている。新型コロ助病と言うのは、この国の海の向こうにある大国、チャイナリ国由来の疫病であり、感染すると24時間「私の名前は田中ナリ」、「数学の宿題をやるナリ」と言うように、言葉の語尾にナリをつけた言葉を発するようになり、発声のし過ぎにより肺が侵され、最悪死に至ると言うものである。特効薬も見つかっておらず、自己免疫で治すしかないのが現状だ。飛沫によって感染するため、ソーシャルディスタンスと言い人との距離を取るよう連日テレビで報道されている。また、密接しない、密閉しない、密集しない、密入国しないと言う四密も掲げられている。巷では誰もがマスクをしており、していなければ暴行など受けても仕方がないと言う世論まである。マスク不足が続いているが、決して全人類がジャイナ教に改宗した訳では無い。なのでホウキは売れていない。

 さて、今日は疫病の影響で最後の高校生活が台無しとなった部長4人の様子を覗いてみようと思う。

朝倉 「ええ、本日部活動からは部長が抽選により4人選出され、会議をすることとなりました。学校祭中止、大会等中止と言う事態の中、どのような形で部活を引退し、今後に繋げていこうかと言うことについて話し合いを行います。くれぐれも横を向かず、前を向いて発言ください。それでは写真部今井君お願いします。」

チアダンス部部長の朝倉の司会の元、小規模な部長会議が始まった。校舎には他の生徒は居らず、雨の音だけが響いている。

今井 「写真部の今井です。僕達写真部は例年であれば最後の学校祭展示でモザイクアートを作成する予定でしたが、その学校祭がなくなったためこのまま引退となります。作品だけでも作ることを検討しましたが、モザイクアートでは全員の作品の管理や密接しての作業が必要となりますが、それは不可能と言う結論に至りました。もう後輩に役職の引き継ぎも行いました。」

朝倉 「そうですか。ありがとうございます。では次に演劇部松木さん」

松木 「演劇部も学校祭公演を最後に引退の予定でしたが、写真部同様このまま引退となります。言うことはもうありません。」

朝倉 「軽音部北平君はどうですか?」

朝倉が発言を促すが、北平は話そうとしない。座ったまま黒板の方を見てぼうっとしている。

朝倉 「北平君?」

北平 「これが最後だったんだ。」

マスクにこもって声がよく聞こえないが、北平は確かにそう言った。

朝倉 「軽音部の状況を詳しく教えて頂けますか?」

すると北平はゆっくりと立ち上がって話し出した。

北平 「俺は中学の頃から歌ってきたんだ。友達とバンド作ってさ。高校でも続けたいって言って1番頭悪かった俺は必死に勉強して他の4人と同じ高校に来た。大学は流石に離れるし、他県に進学する奴もいる。だから高3の学祭発表を目標にずっとやって来たんだよ。」

 目しか見えないが怒りの形相で話しているのがわかった。

「もう一生あいつらと演奏出来ないんだよ。頭悪くてテストでは赤点スレスレの点数取りながらバンドのためだけにここでやって来た。俺にとって今年1年の価値は人生で1番大きいかもしれない。そんな夢も目標も取り上げられてさ、ここに来たのが間違いだったってことだろ?」

 一息に言い終えると北平は力尽きたように着席した。教室には鉛のように重たい空気が流れていた。

朝倉 「私だってさ」

朝倉の方に3人の視線が集まる。

朝倉 「親には反対されてたの。登下校合わせて3時間もかかる学校なんてやめろって。ダンス部なら近くの学校にもあるんだからそうしなさいって。でもどうしてもチアがやりたくてここへ来たの。でも最後の大会中止になって、期末テスト前明日からテスト休みでラッキーって言ってた日が最後の部活になった。親の言う通りにしなかったからバチが当たったのよ。チアなんてやるんじゃなかった、もう一生踊らない!」

 涙を浮かべながら叫ぶ朝倉の冷たくトゲのある言葉に、全員が凍りついた。世界の全てを否定するような冷たい言葉に、もう誰も反論することはできなかった。そんな心の温かさは、この数ヶ月のうちにとっくになくなってしまった。みんな自分の心を凍らせないように必死で、人に分け与える熱など持ち合わせていないのだ。

松木 「そんなのみんな同じじゃないの。自分だけ被害者みたいに言わないでよ、世界にいる誰しもが色んな形で悲しんでるのよ。家族を亡くしてないだけ幸せだと思わないの?」

 普段温厚で静かなはずの松木の怒りにも違和感を覚えることはない。温厚な人類はもう絶滅したからだ。でも怒り慣れていないらしく、その声は震えている。

朝倉 「じゃあ、みんな同じだったら痛くないってわけ?」

松木 「え?」

朝倉 「みんな同じ痛みだったらチャラになるの?みんなと同じく痛んでもさ、他の人よりマシな痛みだったとしてもさ、痛いものは痛いんだよ!もうチアなんて嫌いになったの!一生やらない、見たくもない!!」

 朝倉はそう言うと教室を飛び出してしまった。

北平 「ほっとけよあんなの」

 例によって追いかける者はいない。部活に励んでいた頃の活気など、この部長達にはあるはずもない。人から希望を取り上げると、もう人として生きていけないとどこかの思想家が言っていたような気がするが、本当のことのようだ。

今井 「ちょっと待てよ、俺たち何者だよ、アーティストじゃねぇのか?みんな同じアーティストだろ」

 こいつ、何を言っているんだと他の2人は呆気に取られて今井を見ている。この期に及んでアーティスト精神をむき出しにするのは批判の対象にもなりうるのだ。出る釘は打たれるように、出る芸術家も打たれてきた。

今井 「俺たちはずっと写真やチアや演劇や音楽が好きで、誰かに何かを伝えようってやってきたんだろ。あいつこのままだと一生チアを恨んで生きていくことになるんだぞ。今伝えないでどうするんだよ、お前らも腐ってもアーティストだろ?」

 この言葉には流石に2人はどきりとするが、今井に賛成することはなかった。

北平 「俺は朝倉と同意見。歌ももうトラウマになっちまってやろうと思えないし。どうせまた取り上げられるんだろ。また嫌な思いするぐらいなら、音楽とは別の世界で生きていくよ。馬鹿馬鹿しい。諦めたんだ。」

 すると松木が凍えるように小さく震えながら立ち上がった。

松木  「卒業公演、出来ないか何度も先生にお願いした。でもどう頑張っても無理だって。もう大人なんだから諦めないといけないんだって。親も先生もみんなそう言ってる。でも本当は…」

北平 「おい、やめろ松木」

松木 「最後の劇の脚本、私が書いてたの。まだ書き途中だったの。書き足りないの。最後の劇で、みんなに伝えたいこと沢山あったのに…」

 とうとう松木は泣き出してしまった。そして荷物をまとめ、涙を拭いながら教室から出て行った。ただ茫然とつっ立って居たが、やがて松木の足音が聞こえなくなった頃にやっと我に返った。

今井 「俺は朝倉を追いかける。あいつ、本当はチアが好きだから。」

 そして1人になった北平は、長くて重い溜め息を吐いて椅子を片付け、上着を来て戸締りをし、電気を消した。電気を消すとまだ6時だと言うのに真っ暗になった。外は夜の雨に包まれ、月の明かりもない。初めは階段から落ちないよう手すりを掴み、1段1段足で探りながら降りたが、気付けば目が慣れ、駆けるように降りていた。

 こうして4人は、それぞれの方向に歩いて行ってしまった。

校舎の外へ出ると生ぬるい雨上がりの夜風が重たく漂っていた。

北平 「今日の月は綺麗ナリ」

 4人のその後は誰も知らない。

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