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「何もない自分を愛する」なんてクソくらえだわ 無印良品のキャッチコピーみてえな字面しやがってよ

毎日誰かに「自殺したほうがコスパいいですよ」って言われてる。


私は仕事を辞める前に「仕事を辞めてもつらかったら人生そのものがつらいということになり、その場合自殺するしか解決方法がないため、その事実から目をそらすために私は仕事を辞めないのかもしれない」とツイートしたことがある。

実際、仕事を辞めて「辞めなければよかった」と思ったことは1ミリもないし、もっと早く辞めればよかったと思うしさっさと倒産してほしいと思っている。


メインの収入源は無いけど今のところなんとか生活できているし、好きな時間に起きて好きな時間に寝て、平日の昼間から家で酒を飲んだり公園でひなたぼっこをしながら読書したり目的もなく街をぶらついたりして、毎日ダラダラ過ごしている。それは恋人が支えてくれるからできる生活なんだけど。

昨日はアイカツ!の放送日だったので、恋人に代わって私が晩ご飯を作った。実家から送られてきたブリと私が愛してやまない肉のハナマサで買ったお買い得食材で、ブリ照りとその他を作った。ブリ照りは結構うまくできた。ついこの前フライパンを新調したので、タレが焦げ付かずいい感じに照った。生姜とハチミツの組み合わせは何に入れてもだいたいうまい。

今日はわざわざミルク鍋を買いに行ってスパイスも買い揃えて、家でマサラチャイを作った。紅茶は家にあったアールグレイを使ったけど、本当はもっと濃い味の紅茶が適しているようだ。なんとか濃く煮出したらなかなかおいしかったし、恋人もおいしいと言ってくれて安心した。毎日そんな感じ。

働いてる時は時間も体力もなくてこんなに自炊ができなかったから、今は本当に楽しい。外食の回数が目に見えて減って、出費も抑えられるし楽しいしすごく満足している。時間は腐るほどあるし。


劇的なことはないけど、毎日好きなようにダラダラ生きている今はもちろん幸せだと思うし、それ以上に贅沢だな〜と思う。たぶん幸せってぬるま湯の温度なんだ。良くも悪くも。

幸せに対して危機感を持つ人は一定数いて、それは別に変なことじゃない。私もこのぬるま湯はいつ冷めるんだろうと思わなくもない。

ただ、なんというか、私が危惧していた「人生そのもののつらさ」は確かにあって、未だに私は10年後の自分が想像できないし、自分の家族も作りたくない。正確に言うと子供を作りたくない。別に誰かに作れって言われてるわけじゃないけど、家庭を持ったら気が向いたときに自分勝手に死ねなくなる気がして怖いのだ。あと自分の遺伝子を残したくない。自分が産んだ子供なんて絶対虐待してしまう。


さっき、突然号泣した。恋人と話をしていたら泣き崩れた。泣きながら「これ鬱病じゃん」と思っていた。鬱病かどうかは知らん。半年くらい前に仕事がつらすぎて、精神科から診断書が出たあたりから突然号泣してしまう現象が治らない。恋人はいつも優しく頭を撫でたり抱き締めたり、私が落ち着くようにお話をしてくれる。私は恋人に頭を撫でられるたびに涙が出るし、何も話せなくなる。精神はもうどうしようもないとして、せめて涙が出ないように涙腺をレーザーで焼き切りたい。

こういう、私の「人生そのもののつらさ」は、もう本当にどうしようもなくて、私が私である以上、もう、本当にどうしようもないのだ。

私の痩せられないところとか、お金を貯められないところとか、時間にだらしないところとか、予定が立てられないところとか、薄情なところとか、私を形成してきた負の要素は、今更どうあがいたところで改善できないのではないかと思うくらい、私自身諦めているところがある。それは今までの人生において「結果が出なければそれまでの努力は無かったことになる」とわかっているからだ。成功体験がない。この負の要素を抱えたまま、もう20年以上も生きてしまった。


そして私には何もなくて、本当に底なしの空っぽなのだ。

前にアイデンティティの話を書いたけど、あれももう諦めている。私はこれからもずっと存在しないアイデンティティに苦しめられ続けて、何もない自分を愛することもできずに、かといって何かを得るために努力することもせず、死ぬまで誰かを妬み続けて、羨ましさを殺意に変えて呪い続けていくんだろう。私は目に見える全員が憎い。


学生時代は「メンヘラ」、社会人時代は「社畜」、それを辞めたら「無職」、全ての単語のうしろに(芸)が付くのは、それは他でもない他人に対して自分のアイデンティティをアピールしているからだろう。

私は何も無い自分を誤魔化すように記号にすがって、なんとか自分を見失わないようにキャラ付けして生きていく。バカバカしい。早く終わりにしたい。

とはいえ、愚かにも私はまだ自殺する気にはならないので、このどうしようもない「人生そのもののつらさ」を紛らわせて生きていくために、おいしいごはんを食べたり、セックスをしたり、映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりする。

私がまだ自殺しないのは、全てに諦めたと言いながらどこかで可能性を捨てきれずにいて、私を完全に見捨てていないからであってほしい。それに、安っぽいからあんまり言いたくないけど、恋人に愛されているからまだ死にたくない。デブでブスで性格の悪さを煮詰めたような私にしてみればこれはありえない奇跡で、この先二度と起きない奇跡だと思う。


私は、前言撤回する。

何もない自分を愛するなんてクソくらえだ。無印良品のキャッチコピーみてえな字面しやがって。私が自殺するときは、完全に自分を諦めたときにしよう。それからでも多分、遅くない。

2016/4/30 0:03:10

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