6表紙

私はブスでデブだけど多分、アイドルになるべきだった

アイデンティティがない。


ずっとアイデンティティが無くて、いっそ死んでしまったほうが楽になるんじゃないかというくらい、何年も前から存在しないアイデンティティに苦しめられている。アイデンティティというと仰々しいが、つまり私は個性がほしかった。


学生時代は某バンドのファンだった。純粋にそのバンドの音楽が好きで、何枚も音源を買い集めたり、ライブやイベントに足繁く通ったり、メディアへの露出はほぼ全てチェックしたり、文字どおり熱狂していた。純粋にファンとして応援していると同時に、某バンドに熱狂している自分にアイデンティティがあると感じるようになった。

友人から「某バンドと言えば〇〇(私)だよね」と言われるたびになんだか誇らしく、熱狂っぷりに拍車がかかった時期もあった。その後、某バンドが活躍して有名になると、クラスメートのなかにもファンが増え、なんとなく冷めて追いかけるのをやめてしまった。典型的な悪いオタクみたいだけど、多分本当に好きだった時期はいつの間にか過ぎていて、途中からは自分のアイデンティティを守るためにファンをやっていたんだろう。そのことに気付くと、冷えた肉の脂を食べているような気分になった。


昔友人が「某バンドと言えば〇〇(私)」と言ったように、私は私を表すキーワードを定期的に探して、それがいくつか見つかると少しだけ落ち着いた。私が所属している狭いコミュニティのなかで、なるべく他の人と被らないキーワードのほうがいい。安心するために、私だけを表すキーワードが必要だった。なんでそんなに必死だったのか、今でもうまく言葉にできない。

私にとって、私を表すキーワードはすごく大事だった。キーワードはなるべく多いほうがいいと思って、色んなことに手を出したりした。個性は特技や趣味で補ってもいいと思った。私は中学からドラムを叩いていてバンドを組んでいたから、出来るだけ長く続けようと思った。でも、心の底から純粋にバンドが組みたかったわけではなかったから、高校を卒業してからなんとなく参加したバンドはすぐに抜けた。

ツイッターを始めてからはメンヘラに憧れた。才能もセンスも何もなくても、強烈な個性として見えるからだ(私は普遍性に強いコンプレックスがある)。フォロワー数が個性の強さのように見える。それは今でも変わらない。たとえフォロワー数が少なくても、メンヘラという合言葉で居場所を共有できるような雰囲気があったり、他人から形容されることや記号に属することで自分を明らかにできる安心感があった。

自己紹介をするのも、履歴書を書くのも好きだった。自分を表すキーワードを羅列するのは満足感があった。でも、羅列して、ただそれだけだった。

実際、私のような凡人に私だけを表すキーワードなんて無い。私にしかできないことなんて何一つ無いからだ。絵が上手いと言えばA子、歌が上手いと言えばB美、勉強ができると言えばC太郎、スポーツができると言えばD介、私には何もなくて、それがずっとずっと不安で恐ろしかった。


最近、パーソナルブランディングという用語を知って、それに関する本を読んだ。なんとなく、私が今まで必死に探してきた説明できないものが文章になっている気がして、少しスッキリした。厳密にいうとパーソナルブランディングは組織の中での個としての確立を目指すものだから、多分セルフブランディングのほうが正しいんだろう。

「ビジネス」も「プロモーション」も何も意識せず、12〜13歳から無意識にセルフブランディングを試行錯誤していたとすれば、なんという自己顕示欲!おそるべき承認欲求!私は多分、アイドルになるべきだったんだと思う。


歳をとって、私は自分がアイドルになれないことに気付いてしまったし、理想と現実のギャップにも気付いてしまった。

理想と現実のギャップは靴擦れみたいなもので、醜く肥えた足では履きたかった可愛いヒールも履けず、無理矢理押し込んでみると皮がベロベロになって剥げる。そして体液でさらに汚れる。

思い描いていた「他人から見た自分」は「私がなりたかった自分」であり、あのとき確かにクラスの中心にいたと思っていた私は、なんてことのないモブキャラだった。人は自分以外の人生において主役になることはできない。そのことに気付くまで私はずっと誰かの人生の中心で輝きたかった。みんなに知ってほしかった。思い出してほしかった。必要としてほしかった。多分、ただそれだけだった。

すべてに気付いても、きっと私は死ぬまでアイデンティティに苦しめられ続ける。アイドルになれなくても、何者にもなれなくても、何も無い空っぽな自分を愛してあげたい。

2016/4/17 16:03:11

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