これってウソ?ホント?人生の致死率はなんと100%!
人はいずれ死ぬ。早く助けて。
私は嫌いな人間に対して、ガチさの程度に差はあれど、死んでほしいなーと思っている。大体の場合は「死んでくれないかなー」くらいの気持ちで、本気で死んでくれる方法を考えることはあんまりない。めんどくさいし。
今までにたった一度でも死んでほしいなーと思ったことのある相手が本当に死んでしまったことが、何度かある。
その度に私はある程度のショックは受けたし、ある程度の反省も後悔もしたが、それよりも「お疲れ様」という労いの気持ちが強かった。自殺にしろ他殺にしろ、病死にしろ事故死にしろ、死にゆく瞬間はきっと疲れるはずなんだ。たぶん、間違いない。
死んでほしい相手が本当に死んでしまっても、人並みに後悔して反省して、人並みに悼んで偲ぶことができるし、やがて風化する。もちろん、相手と私の関係にもよるけど。
昔おばあちゃんの葬式で、弟と遊んでいてふざけた勢いで「死ねやw」って言ったらお父さんに怒られたことがある。そりゃそうだ、タイムリーすぎる。
この頃からなのかどうかは覚えていないけど、私はすぐ死ねとか死にたいとか言ったり思ったりする。死を軽んじているのかもしれない。軽んじているというより、私にとって死は過剰に畏怖すべき対象ではないということだ。
その理由として、実は私はまだ信じることが出来ていないことがある。なんと、人間は何もしなくても必ず死ぬらしい。一般的には、歳をとるたびに死に近づいているらしい。ちなみに死に近づくと老いるため、今よりもさらに不自由になったり生きていくのが困難になるらしい。そんなこと全く信じられない。
だが、もし万が一この説が真実であって、人間は必ず死ぬとすれば、それこそそんなに死を畏怖する必要はないんじゃないか?
死の先は確かに恐ろしいかもしれないけど、死ぬところまではみんな一緒だし、死の先がわからないのもみんな一緒だ。今生きている人生にいずれ終わりが来てしまうことは恐ろしいかもしれないけど、死なない人間はいないらしいし、みんな平等なんだ。みんな死ぬ。
そう考えたら、まあ、仕方ないし、いいんじゃないか(途中で全部めんどくさくなった)。
ふと、4年ほど前にツイッターで仲良くしてくれたアカウントを見に行った。
そのアカウントのbioには
「@---の妹です。兄は○年×月△日に永眠しました。生前兄と仲良くしてくださった皆様、本当にありがとうございました。」
というような内容が書いてあって、私はすごく複雑な気持ちになった。彼は当時から重度のメンヘラだったが、本当に死んでしまったのだ。
ネットでの訃報を目にするたびに「お疲れ様」と思うと同時に、頼むから死ぬ前に過去のインターネット活動を清算してから旅立ってくれ、と願わずにいられない。
そしてどうか、天国では幸せに暮らしていてほしいと思う。
2016/1/13 0:22:31
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