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一寸先はジャスティン・ビーバー。 AIの知らない、 ”らしさ” をつくるアメリカサッカーの『汗臭いブランディング』術

アメリカ、ロサンゼルス、BMOスタジアム。
メキシコ代表のカルロス・ベラがペナルティキックを右隅に決め、隣のおじさんとハイタッチをし、スタジアムが揺れた。

試合はそのまま終了し、周りにいた名前もわからぬカリフォルニアのセレブリティとハグをしたそのとき、先ほどハイタッチしたおじさんが元イタリア代表のキエッリーニだったことに気がつく。

「Good Game」

一言だけ私に声をかけピッチの仲間と検討を讃えに向かう元アズーリを見ながら、数ヶ月前までJリーグ開幕戦のプロモーションで、天童よしみさんをいかに美味しくするか頭を悩ませていた自分がなぜここにいるのかわからなくなって、同時にこの街でサッカーが盛り上がっていることがわかった。

大好きになった。

▼読み進める前に非常に大切なお願い

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日本のみなさま
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■前提: 価値が上がり続ける「MLS」



先日Forbesが「世界で最も価値のあるサッカークラブ2023」とのタイトルで記事を出していた。1位のレアル・マドリーに続いてマンチェスター・ユナイテッドと世界でも名の知れたクラブが続く。そしてそんな猛者たちのなか、サッカー不毛の地と言われたアメリカからLAFCが17位に入賞している。それだけでなく、入賞した30クラブのうちLAFCを筆頭にMLSクラブが7クラブも名を連ねているのだ。世界で価値のあるサッカークラブ30選のうち、約25%が北米である。

先日リオネル・メッシの加入が報道されたインテル・マイアミでは、このニュース以降、チケットの売上高が27倍になったとの記載もある。そんなここ数年で急激な伸びをみせ、もはや引退間近の選手が余生を過ごすだけではなくなったと言われる(メッシがどうかは置いておいて)MLSで最も価値のあるとされたクラブがロサンゼルスに本拠地を置くLAFCだ。

ではいったいなにがそんなにすごいのか。

私も同じくそう思った。昨年の12月に。そして仕事を辞めて、来た。アメリカに。

本noteはロサンゼルスに滞在し、LAFCの活動(サポーター、ボランティア)に参加している私が肌で感じ、クラブスタッフから直接聞いた話を元に

「クラブと"地域"の関わり」
「クラブと"サポーター"の関わり」
「熱狂させるための"構成要素"」
「"魅せる"ことへのこだわり」

の4点を軸にコミュニケーションを解説していく。
そしてそれぞれをLAFCのブランディング4術とし、なぜLAFCにここまでの価値があるのかを現場サイドから勝手に推測していく。Forbesの記事で扱われている「価値」の評価軸はクラブの資産価値で間違いがないが、その資産価値を構築するために現場で行われている施策の話になる。それは到底AIなんかでは考えつくはずのないものだった。

そして"地域" "サポーター"といったキーワードを、読者の皆さんの職業や置かれた状況にあわせて変えていただくことで、現在進行形で成功している熱狂の作り方とコミュニケーション術を通したブランディング案の一助になると嬉しい。



■術1: THIS IS ロサンゼルス

「ブランディング&コミュニティ」
ロサンゼルスに本拠地を構えるLAFCのビジネスサイドにあるひとつの部署である。ここは近年日本でもよく耳にする「ロゴをSNSでも見やすいように整えて〜」とか「フォントを新しくして〜」といった表面的なことだけではないもっと緻密で人間臭い関係性の構築を経て ”LAFCらしさ” を創りあげる部署である。日本のクラブでも『ホームタウン』を謳った役割をほとんどのクラブがもっており、クラブの施策が地域の課題解決および経済活性化に繋がりうる社会性の高さから、Jリーグが公式にホームタウン関連施策を表彰する「Jリーグシャレン!アウォーズ」なるものも存在する。ただしLAFCの場合、その地域コミュニティとの施策がブランディングに直結している部署を配置することで意思表示している。


▼ロサンゼルスである。 という当たり前すぎる「草の根戦略」

「ブランディング&コミュニティ」にはストリートチームと呼ばれるスタッフが多く雇われている。試合日の彼らのタスクは、スタジアムで行われる演出の実行、イベントの運営がメインである。そしてそれだけでなく、試合がない日にはロサンゼルス中で行われる少年サッカー大会、ビーチのゴミ拾い、ショッピングモールでのイベントなど、とにかく人の集まるところに顔を出しまくる。文字通り「草の根戦略」なのである。

実際に街に繰り出し、人に出会い、ともに汗を流した仲間たちが今度はスタジアムに脚を運ぶ。次には友だちを連れてユニフォームを購入する。こうして徐々に街の他人がサポーターに変わっていくのだ。その変化を施すのはいつだってAIでもSNSの空中戦でもなく、同じ釜の飯を食うってことなんだからファンビジネスは本当にダルくて美しい。


▼プライドパレードへの参加

当然そこにはロサンゼルスらしい地域活動が付属してくる。例えば大きな盛り上がりを見せるプライドパレードもそのひとつである。LAFCもこの活動に賛同し、パレードの行進をファンマーチング(サポーターによる行進)としてサッカーに消化した。なぜ太字なのかは読み進めていただけるとわかるはずだ。

パレードはあくまでひとつの例だが、西海岸最大の街であるロサンゼルスでは、世界でも最先端の取り組みと表現がかなり多い。クラブはそれにもれなく賛同し、タイアップしている。それはあくまでどこの地域でも行われている「草の根戦略」のおまけとして存在するものであり、それらの活動があるから話題性のある派手な地域活動に説得力が出ることはいうまでもない。そしてこの活動を地道に行っていることは本当に尊い。


▼ジャスティンビーバーがピッチサイドで叫ぶわけ

普通、試合を観にきたセレブリティといえば濃度の高いサングラスをかけ、天候に左右されない快適な部屋で、高級なフルーツを食べながら試合を観戦するものである。そして試合後にインスタグラムに投稿されたオリジナルネーム入りのユニフォームを着た写真を観たファンが「えっ、きてたの!!」とコメント欄を埋め尽くす。


LAFCは違う。

ピッチサイドに用意された「セレブリティ専用シート」でセレブリティが観戦する。360度どこからでも目視できるその席は当然プライバシーなんかない。しかも試合中にそのセレブリティが大型ビジョンに堂々と映ったりするもんだからプライバシーなんて本当にない。もちろんスタンドで観ているファンはそのセレブリティを撮影してインスタグラムに投稿する。UGCはもちろんのこと、ファンからすると「彼らと同じ空間にいる私、イケてる」と感じることだろう。


▼あなたらしさとは誰と付き合うか

ブランディングとは「誰にどう見られたいかを主体的にコントロールすること」と仮定する。
そう考えるとLAFCは付き合うひとを選んで人格を創っているのだと思う。それはただ単にセレブリティを招待するだけでなく、セレブリティの日頃の活動や態度も加味しているはずであり、地域を愛し、愛されることが最大の価値であるサッカークラブとしての本質に ”ロサンゼルスらしさ” を加えているとしか考えられない。

『"ロサンゼルスらしさ"をクラブとして表現することが最大の存在意義』

抜粋:LAFCスタッフとの会話より

そしてこのやり方こそがサッカークラブによる人格形成の正解のひとつだと思っている。そもそも地域なのである。これだけ派手で、とにかく万人を楽しませて儲けていそうなロサンゼルスのクラブでも地域との関わりにこれだけのリソースを割き、決して日本語で翻訳されないような汗臭いことをやっている。派手な演出やクールなデザインは、共に足元を固めてくれる同志が多いからこそ最大のパワーを発揮するのであって、それを蔑ろにした花火は虚構が空を埋め尽くすだけである。

SNSの誕生以降、人々の正解はどんどん角が取れた平均値になっており、巨大な資本により歪な角が正解になってしまっていることもある。技術の発達で「昨日の革命は今日の常識」になりうる恐ろしいこの世界で、本当のあなたらしさを作る要素はなんだろうか。


■術2: クラブとサポーターの関係

前述した「ブランディング&コミュニティ」が関係を構築する対象は、地域のステークホルダーとセレブリティだけではない。サッカークラブになくてはならない存在かつ、サッカーが他のスポーツ・エンタメと一線を画すことができている最大の要素「サポーター」である。

クラブはサポーターに対して応援していることを誇りに思ってもらうための工夫をしている。それは単に「コアファンの育成がクラブの熱狂を生む」なんて "マーケティング" 戦略ではなくて、もっと人としての心をとか、まぁ日本語での翻訳は無理である。


▼コリアンアメリカンのグループ

LAFCのサポーター団体「THE 3252」はゴール裏の座席数が3252席であることから名付けられたオフィシャルサポーター連合である。
そのなかには約10個のグループが存在していて、それぞれ趣味嗜好に分かれている。なかでも特出すべきは「TSG」と呼ばれるコリアンアメリカンを中心に構成されたグループだ。

LAに滞在したことのある方ならご存知の通り、この街における韓国系コミュニティの強さは計り知れない。リトル・トーキョーには韓国人オーナーのお店が並び、コリアンタウンには日夜若者がほぼ裸で踊り狂う。

群雄割拠、外国人が生き抜くことがとんでもなく大変なアメリカ(どの国でもそうだと思うが)で自国の言葉を扱い、自国特有のビジネスを展開している者が結託することは当然のことである。そのアイデンティティは、自分がマイノリティの立場だと気がついたときに強く自覚され、熱を帯びる。同じ人種で同じ言葉を話す人たちが同じサッカーチームをアメリカで応援する。これにどのような意味があるか、日本で育った日本人には到底すべてを理解できない。

TSGの面々


▼最も適切なクラブとサポーターとのコミュニケーション方法

上記でコリアンアメリカン中心団体の例を挙げたが、そのほかにも大麻愛好家によるサポーターグループをはじめ、ユニークなサポーターたちによって団体が形成されている。そしてそれぞれのグループとクラブが密にコミュニケーションをとることで「提供と享受」以上の関係性を意図的に作る。

そしてその中には本当にたくさんの人がいる。東京に住んでいる人、地方在住の人。東京出身の人もいれば、地方出身の人もいる。なかには外国人だっている。見方に関して言えば、立ち見席で応援する人もいれば座って見る人もいて、ホームにだけ来る人、アウェイにも来る人、はたまた試合には事情があってこれないけど心の中で応援しているような人。下部組織を中心に応援する人。ユニフォームを着てくる人、アンオフィシャルのTシャツを着る人。Tシャツを作る人、マフラーを作る人、ステッカーを作る人、そしてそれを批判する人。なんか、多様なバックグランドを持った人たちが集まる場所、って東京という場所を集約した感じがしてすごくよくないですか。

抜粋:サッカーファン文化人類学

まさにロサンゼルスもその要素を含んでおり、そのさまざまな趣向やバックグラウンドからなるアイデンティティを団体として区分けし、連合として機能させる。これにはサポーターサイドの団結と協調が求められるはずであり、クラブ側の器の大きさも同時に求められる。一体どんなカリスマならこの難儀なコミュニケーションを確立できるのだろうと非常に疑問であった。そんな疑問を聞いたクラブスタッフは私にこう答えたのだ。

「普通に連合のリーダー格をコミュニケーション窓口として採用したよ」

抜粋:LAFCスタッフとの会話より


リーダー格のみなさん


■術3: 観光客と純粋主義者を取り持つ「〇〇〇〇」


ヴァージルは、「純粋主義者」(purist)と「観光客」(tourist)の両方にアプローチができる人でした。この言葉は、本書のキーワードの一つにもなっていて、いわゆる「ヴァージル語」です。
それぞれの言葉を一般的に言い換えると、puristは物知りな玄人、touristは好奇心豊富な素人、といった意味合いです。今回、純粋主義者と観光客という訳語を当てました。
一般的に、クリエイターは純粋主義者か観光客のどちらか一方にアプローチしがちです。業界内の評価軸を指針として、わかる人だけわかればいい的な作品づくりをするか、反対にセルアウトと言われる商業主義に向かうか。
ヴァージルは、その二項対立を意識的に回避して、純粋主義者と観光客をつないで、より多くの人々と同時にコミュニケーションをするアプローチを取りました。それによって、両者に届く新たなデザインやファッション、そして自分の方法論の可能性を追求したんです。

抜粋:ヴァージル・アブローの言葉を“ツール”として使い倒して欲しい(平岩壮悟)より


ヴァージル・アブローが生前有識者と対談した内容を記載した著書「ダイアローグ」の中で自身のプロダクトに触れる人々を "観光客" と "純粋主義者" と表現した。ナイキやイケアとのタイアップ作品、広告を制作する過程で必ず発生する「ただそのものを漠然と楽しむために訪れて帰っていく人」と「自身の経験や知識をそのものに投影して楽しみたい人」に対してどう対応するかを彼は常に思考していると、そう記載されている。

西海岸最大の街、ロサンゼルスも文字通り数多くの観光客が訪れ、スポーツ観戦はそれらを受け入れるコンテンツの筆頭格である。事実、LAFCの試合にも数多くの "観光客" が毎試合訪れている。

LAFCは "観光客" に対して限りなく "純粋主義者" に近い扱いを行い、"純粋主義者" を限りなく特別扱いする。例えば、LAFCの試合中の大型ビジョンには試合が目の前で行われているにもかかわらず観戦する客の姿が映る。皆思い思いに踊り、ビールを一気飲みし、パートナーとキスをする。このド "観光客" 向けのアクションはゴール裏のサポーターにも同時に行われ、サポーターもまた大きくカメラで抜かれた自分に興奮し、手を振り、ビールを一気飲みする。そういえばFanaticにより大量生産されたクールなデザインの安価なシャツも、覚えやすいチャントも、"観光客" にわかりやすい。

それでいてクラブスタッフは "純粋主義者" とコミュニケーションをとことん取る。試合後、選手に続いて「ブランディング&コミュニティ」のスタッフが胸のエンブレムを叩いてサポーターに挨拶にくる。ハグをしながら、次に考えているティフォの話をしたりする。同じスタジアムで行われている異なるアクションは "観光客" に対して "純粋主義者" の経験をさせてあげることを意味し、"純粋主義者" に対して "観光客" を受け入れることの尊さを説得しているように見えた。その関節となっているスタッフにとてつもない価値があることは言うまでもない。

22,000人を収容するスタジアムの半数以上は "観光客" だろう。となると派手な演出、メジャーリーグのような太っ腹なギブアウェイでスタジアムは埋まる。だがこれはサッカーなのである。そこにはいつも、サポーターがいる。
だからこそクラブは単独で施策を打たず、いつもサポーターと連携し、時にはその先の地域を巻き込んでスタジアムのエンターテインメントを完結させる。それは "純粋主義者" が "純粋主義者" であり続ける工夫であり、"観光客" だけのスタジアムにはどれだけ魅力がないか、彼らは知っている。


私が5シーズン所属したJリーグのクラブでは、時に地域の外から批判される奇抜な企画を地域のひとと協力して行うことでアイデンティティを確立していた。後者の存在は前者を「的外れな拡散機能」にしたてあげることを容認し、前者の存在は後者の「一員としての実感」を感じさせることもまた容易だった。

"観光客" と "純粋主義者" はそれぞれ異なった角度から、自身の欲求を満たす役割をスタジアムに、クラブに求めているように思える。そしてLAFCのブランディング&コミュニティはその欲求がエンターテインメントにとって、サッカーにとって重要であると理解し、異なる満たし方をしているようにも思える。

「はたしてその欲求の正体はなにか」

抜粋:私の心のなかより


▼ ”承認欲求” とアメリカのエンタメ

アメリカのエンターテインメントやスポーツを現地で観戦したことがあるかたはよくわかると思うが、それらは全てで "アメリカ" を感じることができる。日本人の感じる "アメリカ" を主催者側を自覚していて、全力で仕込んでくる。その証拠にLAFCでは試合開始3分前にタカがスタジアムを旋回する。

タカは学校や組織を訪問し、これらの雄大な鳥と環境に対するその重要性について若者に教えます。観客は鷹狩りの歴史、猛禽類の生理学、そして動物の驚くべき生活とその能力について学びます。このプログラムは、そうでなければ近づきができない野生生物を間近で見ることができます

抜粋・翻訳:タカ専用ページより


その中でも私が特に興味をもったのは承認欲求との付き合い方である。
そもそもこの単語「承認欲求」はSNS誕生以降で、私のような20代の間でもよく使われるようになった記憶がある。単語自体が市民権を得たのは最近かもしれないが、その概念は昔から誰もが感じていて、ことアメリカのスポーツシーンではこの欲求の満たす施策が数多くある。そしてうまい。

例えば "アメリカ" な雰囲気を感じるキスカムは、ホッケーや野球の試合中断時間に客席のカップルをビジョンで映し、みんなが観ているなかでキスを促す企画である。日本では絶対に流行らなそうなソレも、数秒の間にスタジアムの主役になれる機会を観客に提供する。そしてアメリカ人は、する。たまに舌を、入れる。
とにかく客を客として帰させない努力がいたるところにある。そしてその施策の根元にあるものが「目立ちたい」とか「イケているように見られたい」と見たくない現実にファンデーションを塗り、「他者との比較」から構成される『嫉妬の対象との距離を埋めたい』などの誰もがもつ感情を刺激しようとしているような気がしてならない。

このわかりやすいアメリカらしいエンタメは、"観光客"の承認欲求を満たすには最適である。彼らが本当にほしいものはクラブの結果や高いポゼッション率云々ではなく「大型ビジョンに映る自分」であり、9:16の縦長に詰め込まれた「イケている光景」である。そして時にその構成要素のひとつに煙まみれの汗くさいゴール裏が含まれるのだから、サッカーは美しい。

一方 "純粋主義者" にとっての承認欲求はどのような構成要素で満たされるのか。はっきりいって花火、大型ビジョンはどうでも良い。彼らが最もほしいものは「"観光客" よりも優遇されていること」と「自らの存在がクラブを構成している」と感じる瞬間の数々である。

メンバーシップに加入することによって獲得することができるシーズンチケット制度もそのひとつであり、積極的にサポーターの活動がクラブのオウンドメディアに掲載されることも、サポーターが自作のプロダクトを作成することもそのひとつである。

さらにLAFCは踏み込む。
前述した通り、LAFCの試合にはセレブリティが多く訪れる。そしてクラブスタッフが試合後、そのセレブリティを引き連れてサポーター連合へ挨拶に行くことが慣例となっている。クラブがゲストをサポーターに紹介し、会話することで、彼らを仲間にしたてあげようとの前提が、クラブとサポーター間で握れているからこその行いだ。

ブランディングとは「誰にどう見られたいかを主体的にコントロールすること」と仮定する。
そう考えるとLAFCは付き合うひとを選んで人格を創っているのだと思う。それはただ単にセレブリティを招待するだけでなく、セレブリティの日頃の活動や態度も加味しているはずであり、地域を愛し、愛されることが最大の価値であるサッカークラブとしての本質に”ロサンゼルスらしさ”を加えているとしか考えられない。

抜粋:わずか数分前にあなたが読んだ文章より

大勢のサポーターに優遇されたセレブリティは、広告換算価値を計算するのもたいへんな彼らのソーシャルメディアでクラブに関する投稿を行う。そしてその体験をメディアで話し、仲間を連れてくる。そのサイクルを繰り返しているうちにLAFCはだんだんと”ロサンゼルスっぽい”サッカークラブになっているのだ。


▼真ん中に置くものとしてのクラブスタッフ

これまで私は、閉ざした心の持ち主を納得させるものではなく、見た人がオープン・マインドになる作品をつくってきました。観光客と純粋主義者の真ん中に置けるものを。もし純粋主義者に向けて振り切るなら、閉鎖的なシステムをもっと強化することになるでしょうね。

ダイアローグ   ーー ヴァージル アブロー (著) 平岩 壮悟 (翻訳)

ヴァージル・アブローの著書から引用する。彼は "観光客" と "純粋主義者" の間におけるものをプロダクトとして作ってきたと話しており、それはプロダクトがブランドらしさを表現していることを意味している。LAFCで、その役割を担うのはなにか。

いうまでもなく「ブランディング&コミュニティ」のスタッフである。


■術4: 魅せることへの執念

最後にLAFCのビジュアル制作の構造について思考してみる。
ご覧の通り、MLSのクラブはほとんどがプロが制作したと一目でわかるクオリティの高い(それがクールかどうかはあなたが決めるとして)映像と画像を組み合わせてソーシャルメディア上でファンとコミュニケーションをしている。そしてその数あるプラットフォームのうち、インスタグラムを主戦場に使用している。


では、なぜインスタグラムなんだろうか。
答えは簡単、視覚的な訴求がしやすいプラットフォームだからだ。

そしてなによりもこの国では想像以上に文字を読み込ませることを嫌う印象を受けている。(私の友だちがそうなだけの可能性もある)車社会も相まってテキストよりもボイスメッセージを好み、電話よりもFace Timeを使う。

ソーシャルメディア上で形成されるクラブの印象が、彼らのつくる映像と画像に依存されることで、文字特有の余計なニュアンスが伝わることもなければ、映像の性格を理解できない顧客をハナから退場させることもできる。


▼情報は拾いに行くもの。 という前提

では私の参加しているボランティアやコミュニティ活動はどこから情報を拾っているのかというと、しつこいくらいに届くメルマガとHPがその役割をなしている。

そもそも情報がほしいひとは勝手に自分から取りに行くのである。ちなみにしつこいくるメルマガには、チケット情報とシーズンチケットの案内と、ボランティア活動の案内が記載されていて、大体週の半分くらいの朝に受信している。同様の案内はインスタグラムでも見ることができるが簡潔に、それも洗礼された画像と共におまけ程度に記載されている。

この「本当に情報が欲しいひとは自分から検索する」という前提と「そもそもあなたが知らなかったのはあなたが知らなかったことが悪い」という他責思考な態度が組み合わさったことで、いわゆる "観光客" にタッチするソーシャルメディアがごたごちゃしていない。

https://twitter.com/atlrs_official


ではなぜ、日本のサッカークラブの主戦場は「Twitter」なのだろうか。


▼似て非なる ”広報” と ”ソーシャルメディアプランナー”

さて、この記事を見ているあなたは少なからずJリーグに関心があることだろう。そんなJリーグに関する情報はどこで入手しているのだろうか。

1位:セレッソ大阪(J1)
Twitter:186,000人
Facebook:1,086,000人
Instagram:71,000人
2位:川崎フロンターレ(J1)
Twitter:427,000人
Facebook:298,000人
Instagram:159,000人
3位:鹿島アントラーズ(J1)
Twitter:438,000人
Facebook:70,000人
Instagram:155,000人

抜粋:【2022】Jリーグ全58クラブ、SNSフォロワー数ランキング

これは昨シーズン終了時時点でのJ全クラブのソーシャルメディアにおけるフォロワーをまとめたものである。上位2クラブのFacebookフォロワーに関しては、東南アジア国籍選手獲得に伴い急上昇していると推測するが(東南アジアではFacebookが人気のSNSのため)おそらく、日本の皆さんの多くはTwitterを情報取得の場として活用しているのではないだろうか。

当然どこかのクラブのファンであればインスタグラムのクラブ公式アカウントもフォローしているだろうが、例えばゴール速報、開門直後のスタジアムの様子などはTwitter上で投稿される #クラブ名 で得ていることが多いだろう。

事実、Twitterユーザーのなかで人口あたりの使用率は日本が世界で最も高い。これはハイコンテクストと高識字率の背景がかなり作用していると私は推測している。みんな空気が読めるし、いや「空気が読めてしまう」し「文字が読めてしまう」のだ。

さらにもう少し踏み込んだクラブの構造について話をすると、ご存知の通り企業スポーツとして始まったJリーグの構造上、決裁者が母体企業から出向してきた人物であるケースは少なくない。その決裁者の多くはZ世代でなく、デジタルネイティブでもない。母体企業で経理を務めていた人物がクラブに出向となり、広報を含むコミュニケーション部門を担当したケースも実際に聞いたことがある。

そして【広報】なのである。Jリーグクラブにとってのソーシャルメディアの扱いは「クラブの情報を発信する場」である。つまりローカル新聞や応援番組を制作しているケーブルテレビに、文書で情報を提供することと同義であることが多い。そこに含まれる情報は今週末のイベント情報であり、チケットの販売情報である。

文字をベースに構成され、情報の拡散がされやすいTwitterとこれらの情報は相性が良い。そして制作にコストがかかり、多くの決裁者の世代にはまだ新しいインスタグラムでのビジュアル訴求に踏み込むためのハードルは想像以上に高い。これは彼らのセンスを恨むとかどうとか、そういう話ではない。恨むならばいまのJリーグの顧客が2ちゃんねるノリを理解できていることを恨むべきだし、ニコニコ動画に明け暮れた青年期を恨むべきだし、そもそも島国であることを恨むべきである。

LAFCは「メルマガやHPを司る情報を届ける部門」と『ソーシャルメディアチームをはじめとした雰囲気を伝える部門』が分かれている。そしてもれなく後者のマネージャーはブランディング&コミュニティ部門のリーダーであることから、いかにソーシャルメディア上での発信内容がクラブの雰囲気作りにとって重要視されているかが見て取れる。ちなみにグッズも同じく後者の部門に属しているから興味深い。これも「誰と一緒にいるか(どことタイアップするか)」に対して敏感であることを証明している。


▼異常に「魅せる」と相性の悪いTwitter

そしてなによりも日本に生まれたことを不幸に思うこととして、現在多くのJリーグクラブが情報発信の主戦場としているTwitterが「魅せる」ことと異常に相性が悪いことが挙げられる。

絶賛公開中の傑作中の傑作「サンクチュアリ」を見てから、忽那汐里がかっこよすぎて、もうそれは所構わずおすすめしまくっている。とある大学時代の友達に彼女のインスタグラムを紹介すると「好きそ〜〜笑」と帰ってきた。
ハイコンテクスト高識字率日本人の皆さんには、このわずか数文字のテキストに「冷笑」「無力」「無情理」のニュアンスが含まれていることが理解できるはずだ。終巻呆然ジャンプである。

『ハイコンテクスト高識字率日本人の皆さんには、このわずか数文字のテキストに「冷笑」「無力」「無情理」のニュアンスが含まれていることが理解できるはずだ。終巻呆然ジャンプである。』

抜粋:どうしても入れたかった文章より

当然のことながら、ひとにはそれぞれの感想と意見がある。そしてその発言は時々力を帯びて、ひとびとのイメージを形成し、また修正する。なにが言いたいかと言うと、Twitterは各クラブが発信する情報と客の意見が同じフィールドで並ぶため、とんちんかんな意見も大切な情報と同列に見えてしまうことがある。私が投稿した何も考えていない適当なツイートがクラブの印象を作る可能性だってありうるのだ。

例えばあなたがパッと新作グッズの画像を見たときに「買いたいかも」と思ったとしても、その真隣にある「このデザイナーは過去にこんな発言をしたから不買しましょう」のコメントにより容易に購買意欲が削がれるように。とにかくTwitterはコンテンツホルダーの所在(または議論の中心)があやふやになりやすく、感想が制作物と近く、拡散性が高い。こんなにコントロールできないプラットフォームが冒頭で仮定した「誰にどう見られたいかを主体的にコントロールすること」と相性がいいわけがない。


▼なぜ魅せなければいけないのか。

確かにその意見があっても良い。なぜサッカークラブは魅せなければならないのだ、と。
私はこれに関して明確なスタンスを持ち合わせていない。なぜなら私がサッカーを実際にスタジアムで観戦しはじめたとき、クラブのブランディング云々よりも父親とテイクアウトした松屋の弁当が楽しみだったし、イケているインスタの映像(そもそも当時はない)よりも、勝利した後に感想を言いながら父親とバイクで駆け抜ける国道16号の生暖かい向かい風のほうが好きだった。

ただし、サッカーを名乗る以上その上位レイヤー(例えば代表チーム)は世界と同じ土俵にあり、前提としてプロの興行主催者は切符を売っている以上、より良いエンターテインメントを提供する自覚を持たなければいけない。梶山陽平の絶対に打たないミドルシュートも、イケている映像も重要度は大きく異なるが同じ構成要素で間違いがない。

この話題に関しては、河内一馬氏の古の名note群に詳しいので引用する。

クールになるのは「勝つため」であり「長期的に強くなること」であって、ビジネスのためではない。あくまで、後から付いていくものであると考えるべきだ。
つまり「Jリーグはクールなブランディングをマーケットが求めていないから行わない方がいい」という考え方を、私は否定したい。ビジネス的観点は、あくまでも副産物である。サッカーはビジネスであるという人がいるが、その本来の意味を履き違えてはいけない。
サッカーの世界は、時間が経つごとに「クール」になっていく。日本は、それに逆行してはいないだろうか。あらゆる状況を加味しても、全てを世界基準で考えなければ、これからの日本サッカーは生き残ってはいけない。外国人でも「かっこいい」と思うようなブランディングをすれば、日本人は絶対に掴める。日本人全体が「かっこいい」と思うようなブランディングをすれば、地域のファンは絶対に掴める。「かっこいい同士(もちろんそれぞれのかっこいい)の戦い」をJリーグで繰り広げなければ、日本サッカーに未来はないと、私はそう思う。
クールを求めろ。かっこよくあれ。
弱いとダサいは比例するのだから。


■まとめ:LAFCから学ぶ人格形成メソッド

本noteは世界で17番目に価値の高いアメリカのサッカークラブ「LAFC」が実際に価値向上のために現場で行っている施策を4つに分解し、それぞれのコミュニケーション方法を解説したものになる。

冒頭で4つのコミュニケーションをこのように掲げた。

「クラブと"地域"の関わり」
「クラブと"サポーター"の関わり」
「熱狂させるための"構成要素"」
「"魅せる"ことへのこだわり」

日本で "らしさ" をつくる仕事、ブランディングと聞くと「魅せることへのこだわり」に関しての議論が多いように思える。印象を左右するのはいつもビジュアルである。といわんばかりに。

ただし本noteの記載の通り、一見「魅せることへのこだわり」だけでらしさをつくっていそうな "ロサンゼルスらしい" サッカークラブは、地域とのつながり(サッカー特有)と顧客とのコミュニケーション(サッカー特有でない)を緻密に構築していた。そして「誰と同じ一緒にいるか」を非常に敏感にコントロールしていることが興味深かった。もれなく界隈への加入には地道で汗臭い活動が必要だということに対して、希望と絶望も感じる。


■おわりに: 緻密なマーケティングと愛

「やっぱ、どこまで行っても愛なのさ。愛なんだよ。だって、MMAってスポーツは裏切られるんだから。新日本プロレスはハッピーエンドで帰してくれる。ハッピーエンドで帰れないんだよ。泣いて帰るんだから、ファンが。」 ーー青木真也

抜粋:RIZIN.1  桜庭和志vs青木真也より

サッカーも同じである。愛なのだ。どこまで行っても。
それはサッカーに「サポーター」を存在するひとつ意義であり、反対に「サポーター」を生み出すひとつの意味である。

世間では、あなたのタイムラインでは、今日もスポーツビジネス談義やコレクティブな意見が飛び交っているだろう。まさにこのアメリカのスポーツもその対象である。「所詮金持ちの道楽」「ヨーロッパの偽物」そんなコメントが日夜浴びせられるアメリカサッカーだが、それでもスタジアムには熱狂があり、ロサンゼルスは盛り上がる。それで十分で、それ以外なにもいらないのである。だから、あなたの地域の娯楽を愛したらいいし、自分の好きなものを顔の見えない存在に邪魔される心配なんて、そもそもしなくていい。

渡米するまで、創設5年で満員のスタジアムをつくるLAFCのノウハウとそのクオリティの高い制作物の存在が不思議で、魅力的であった。しかし実際にサポーター団体に迎合していただき、クラブスタッフと仲良くなり、直接会話をするなかで、なぜここまで彼らが地域を愛し、サポーターを愛すことを最優先にしているのかがよくわかった。そしてもれなくそれは私に安堵を生み、普遍的な本質は変わらないことを証明するには十分であった。



なぜこのスポーツはこんなにも簡単そうで、面倒臭いのか。

それがサッカーだからである。















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