【雑草】「無学が独創性を生んでくれる」の幻想

 「自由な発想をしたいから、先達の技を学びたくない。」

 ありがちな発想ですが、プリミティブなだけに大変甘美で厄介な発想です。

 "自由"と“独創性”、"道具"という観念にフォーカスして考えてみます。自由=道具に縛られなければ確保できるもの、独創性=創作物の本質的な新奇性、道具=先人が積み上げてきた知識、としましょう。

 独創性に溢れる人は、きっと自由に創作をしているでしょう。"自由"は、独創性を打ち出すことの必要条件ではあるかもしれません。只、十分条件ではありません。これが意味するところは、「自由であれば必ず独創的である」ということではないのです。

 道具を全く持っていなければ振り回されることもありませんが、当然、できることは限られます。自由が確保されたと同時に可能性は制限されるやり方なのです。何も学ばないことで得られる自由は、可能性を掴む為に生じるリスクを避けた上で保障されたまやかしに過ぎない訳です。ピュアな人間ができる程度のことなどとうの昔にやり尽くされていますからね。そしてまた、道具を得たからと言って自由を失う訳でもありません。獲得したものを十分に使いこなせばいいのです。

 こうなれば、「道具を豊富に」取り揃えた上で、それらを使いこなして「自由に」創ることを目指す、というのが当然の帰結ではないでしょうか。

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