風呂敷を畳む

やはりこれからは風呂敷を畳む、というつもりで生きようと思う。数十年を、次第によっては数年を、その作業にすっかり当ててしまおうと思う。自身の可能性が野放図に広がっていくように思うと、期待に溺れてしまいそうで、それがいけない。冷水を浴びたかのように肺が一杯になって苦しい。終点が決まっているということが、希望に後ろ髪を引かれるという絶望を防ぐように思う。

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