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数理の目レトロスペクティブ|#11 最終給与比例給付

坂本 純一(さかもと じゅんいち)/(公財)年金シニアプラン総合研究機構特別招聘研究員

 給付算定式のしめくくりとして、最終給与比例の算定式を取り上げてみたい。最終給与比例の算定式とは、退職直前の給与額、ないし退職直前の数年間の平均給与額に勤続年数により定められた乗率を乗じて年金額を計算する算定式である。

 最終給与比例は職域年金、企業年金で使われる給付算定式で、公的年金で使われることはない。生涯の納付保険料が多いにもかかわらず、たまたま最終給与が低い人の給付が低くなることになり、世代内の公平性が保てないからである。

 一方、企業年金の世界ではこの算定式が使われるケースが多かった。英・蘭・瑞・米等の多くの確定給付型の職域年金、企業年金では、最終給与比例の給付算定式が用いられていた。わが国の単独企業が実施する企業年金の多くも、以前は最終給与比例の算定式であった。

 最終給与比例の給付算定式を用いる制度のもう一つのグループは公務員年金制度である。独・仏は現在もそうであるし、英国でも2007年7月30日前に採用された公務員の職域年金の給付は最終給与比例である。わが国の公務員共済年金も、昭和60年の年金改正までは最終給与比例であった。

 公務員年金がなぜ最終給与比例なのか、という点については国により理由は異なるが、ドイツの官吏恩給制度はその経緯を忠実に表していて面白い。ドイツの官吏(Beamte)は「その人の一生を国が買った者」という位置づけが今でもなされている。そのため中途で民間に転職すると、それまでの官吏の身分すべてが剥奪され、すべての期間が恩給期間からはずされ、社会保障年金の適用であったとみなされる。一方、官吏の終身にわたる奉職の見返りに、肉体的衰えから第一線を退いても、国は給与を支払い続けなければならない。これは「静かなる給与(Ruhegehalt)」と呼ばれ、すなわち恩給である。従って恩給が第一線を退く時の給与と勤続年数に比例するのは自然と言える。また、官吏には老齢のための引退による所得喪失がないから公的年金の対象とされていないことも、論理的帰結である。

 明治維新政府も恩給制度を導入するに当たり、このドイツの制度を参考にした面があることは、「官員は、元来、公衆の膏血を以て買はれたる物品の如し」(川路利良❝警察手眼❞ )という文章があることからもうかがえる。江戸時代の藩主と家臣の関係から、受け容れ易い考え方でもあったのであろう。

 昭和60年の年金改正では、このような伝統的な公務員年金の給付算定式を修正し、厚生年金と同じ生涯平均給与比例の算定式に改められた。この改正により給付面での厚生年金と公務員共済年金との差異が大きく縮小し、わが国は独・仏のグループから公務員も民間被用者も同じ公的年金制度に加入する英・瑞のグループに移行し始めたと言える。この文章を書いた2008年当時、厚生年金と共済年金を完全に統合する法案が国会に提出されていたが、昭和60年の改正はこの公的年金制度一元化に向けた大きな一歩だったと言える。

                [初出『月刊 年金時代』2008年4月号]

【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】

 最終給与比例の職域年金は今世紀初頭まで、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、スウェーデンなどの国々で、主に大企業において主力の給付設計であった。給付が退職時の所得水準にリンクするので、従業員にとっては退職後の生活設計が立てやすいというメリットがあった。

 最終給与比例の職域年金は、終身雇用、年功序列賃金の職域に適合する制度であった。雇用慣行は国によって大きく異なる面もあるので描写には注意しなければならないが、ざっくり表現すれば欧米の多くの企業も1980年頃までは終身雇用、年功序列賃金という雇用慣行を採用していた。このため当時の主力企業の多くは最終給与比例の退職年金を導入していた。
 
 しかしながら経済のグローバル化が加速し始め、また、アイデアや情報、高度な技術が激しい競争の中で企業が生き残る大きな要素であることが認識されるようになり、雇用の流動化が進むようになった。特にジョブ型雇用が一般的な欧米では、終身雇用から転職を常態的に受容する雇用への変化は比較的容易であったと言える。
 
 こうして欧米では終身雇用制を採用する企業が次第に少なくなり、採用する企業年金の給付の型も最終給与比例から他の型の給付に移行する企業が多くなった。
 
 一方で、わが国はメンバーシップ型雇用を慣行とする企業が多いため、終身雇用と年功序列賃金は欧米に比べて維持している企業は多い。しかしながらわが国においても最終給与比例の給付設計は、第2次世界大戦直後の時期においては多くの企業の退職金制度で採用されていたが、その後変貌を遂げていく。
 
 高度経済成長期において賃金が大きく改定されるにつれ、それに比例して退職金も自動的に改定されていくことについて事業主から抵抗感が示された。給与改定も退職金改定も労使交渉の主要なテーマであるが、両者が連動して改定される必要はないというのが事業主の主張であった。労働組合もこれを受け入れ、退職金のベースとなる退職金算定基礎給与は別に定められることになり、賃金が改定されても自動的に退職金算定基礎給与が改定されるとは限らなくなった。
 
 こうして1980年頃には、ほとんどすべての企業で退職金算定基礎給与が実際の給与とは別に定められることになったのである。この意味でわが国においては最終給与比例の形を取りつつも、実際には退職時の給与を反映する形ではない給付設計が、欧米が最終給与比例の給付設計を停止するよりも早く採用されていたと言える。最終給与比例の給付設計は企業への貢献度をきめ細かく反映しないというのも、企業が最終給与比例の給付設計を採用しなくなった別の理由であった。こちらの方はポイントシステムのような形で進化していった。
 
 このように民間企業の企業年金制度においては、現在では最終給与比例の給付設計を採用する企業はほとんどなくなったと言えるが、公務員年金制度にはこの給付設計が残っている国が少しある。G7諸国を眺めてみると、ドイツやフランスでは最終給与比例の給付設計が残っている。日本やアメリカは1980年代に最終給与比例から別の制度に移行したし、イギリスやスウェーデンも2000年代に別の制度に移行した。カナダは、最終給与ではなく、連続する5年間の平均給与のうちの最も高い給与に比例する給付となっている。ただし、カナダの場合は1870年に制度が創設されたときは最終3年間の平均給与比例であったが、1924年に最終10年間の平均給与比例に改定され、さらに1960年に最終6年間の平均給与比例とされ、1999年に連続する5年間の平均給与のうちの最も高い金額に比例する現行方式に改定された。
 
 多くの国で民間企業の企業年金が最終給与比例方式から離れる中、公務員年金も離れざるを得なかったものと推定されるが、ドイツが最終給与比例方式を守っているのは、憲法に起因していると言われる。ドイツの場合は、基本法(憲法)第33条第5項に「公務に関する法は伝統的な職業官吏制度の諸原則を考慮して定めなければならない。」と定められており、憲法裁判所がその解釈として、伝統的な職業官吏制度の諸原則は①終身にわたる奉職、②本人及び家族に対する生活保障、③忠誠義務、④政治的中立・中庸義務、⑤公務への献身義務、⑥ストライキの禁止、⑦特別な懲罰規定、から成ると述べている。このため現在でも官吏制度が残存し、官吏は定年で一線を退いた後も静かなる給与(恩給)を受け取り、何かあれば出仕するという仕組みが採用されている。例えばインフルエンザが流行して、学級閉鎖には至らないが出勤できる教員の数が足りないときなどは、引退した元教員が代わりに教壇に立つこともあるという。こういった事情から、恩給と位置付けられている年金は最終給与比例になっている。なお、行政機関を構成する職員には官吏のほかに公務職員が存在し、公務職員は公的年金制度の適用を受け、それに上乗せとしての職域年金が用意されている。
 

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