軍艦島に行く
コロナが落ち着いてきて、周りが活動し始めている中で自分だけが進めていない感覚。でも、ついに行きたかった場所に行くことができた。
軍艦島に行ってきた。
軍艦島は死ぬまでにやりたいことを100個書いた時に、行きたい場所として一番最初にあげた場所だった。
今思い切りで行かないと、行けないかもしれない。そう思って、悩んだものの行ってきた。
はじめて自分で計画した旅行だった。
集合場所に行くと大学生グループのような人が多い。
船では、片道40分ほどを軍艦島に関しての情報を船内のテレビから流しながら運航していく。大きさは新宿駅と同じ大きさで、最も栄えていた時は、5000人以上が住んでいて世界最大の過密地だったそう。
船に揺られながら、なぜ行きたいと思っていたのかを思い出していた。
なぜ、軍艦島に行きたいと思っていたかというとコインロッカーベイビーズに出てきたからだ。 中学生の頃、留学をしていた時に読んだ。
当時は、周りと違って大人っぽい本を読んでいることが、唯一の自尊心を保つ方法だった。背伸びをして、村上龍を読んでいる自分に酔っていて、正直面白さも内容もよく分からなかった。でも、軍艦島らしい島が出てくるシーンは鮮明に覚えている。日本が恋しかったのと、今いる場所から逃げ出したくて、早く日本に帰って軍艦島に行きたいと思っていた。
それからなんとなく軍艦島に行きたいと思っていた。
なぜ行きたいかという本当の理由は、廃墟で小説のモデルとなったからという野次馬的な好奇心でしかなかったのかもしれない。
強風と船の揺れに耐えているうちに上陸した。
上陸できるのは、軍艦島の舗装された一部分だけだ。でも、行けるのかすらわからなかったところに上陸できた喜びが大きかった。
周りを見渡すとかろうじて残っているような建物が多い。
ガイドさんの話によると、去年や今年に入ってからも緊急事態宣言や桟橋の修理の関係でずっと上陸できなかったそう。昨日も大雨で上陸はできなかったらしい。上陸できてよかった。
話によると、軍艦島での生活は、仕事はきつい分、財政が豊かだったそう。
炭鉱の作業は過酷で、サウナのような場所で12時間作業をすることも。
炭鉱の現場でなくなる人も毎年いた。
でも、給料面では恵まれていて、当時の平均初任給が6万円のところ、一番過酷な作業をする人は手取りで月60万。また、家賃光熱費水道代合わせてなんと8円。また、当時のテレビ普及率が20パーセントの中、軍艦島では100パーセント普及していた。それだけ、最盛期の島の暮らしは裕福だった。
しかし、今の光景はかつて人口過密地だったとは思えないような静かな光景が広がっている。
軍艦島の建物は、一年ごとに老朽化が進んでいるそう。でも、もう補修工事ができないそうで、ただ見守ることしかできない。賑わっていた頃の話を聞いた分、いつ朽ち果てるかわからない建物を見るのが悲しかった。
軍艦島は、写真で見ていることは違う島の雰囲気や空気感があって、想像以上の場所だった。建物が残っていてSF映画のような鉄筋コンクリートなのに、人々の生活していた証や暮らしの生々しさが微かに残っている。このアンバランスさは上陸してみないと気付かなかった。
最後に、ガイドさんが言っていた言葉が今も残っている。
この廃墟目当てに来た人もいるかもしれないです。ただ思い出してほしいんです。生活の場であって、一人でも命を失った場所であるということを。
正直、廃墟という物珍しさに惹かれてきた部分がある。
でも、確かにそこには人々の生活してきた後があって、何も考えずにきてしまった自分が少し恥ずかしくなった。
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