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カメラアイとか、私の記憶方法の話


おはようございます。今日は私のカメラアイについて書こうと思います。
カメラアイってご存知ですか?記憶の保存方法は人によって異なりますが、私はどうも聴覚保存がよくないらしく、視覚での記憶保存に頼って生きています。カメラアイとは、一度見たものをそのまま写真みたいにして頭の中に記憶することです。
これは私にとって時々良いもので、時々悪いものです。
人より聴覚弱め、視覚強めな元役者・現在演技講師のわたしのカメラアイについて書きますね。

メリット
・新しい台本をもらったら、頭の中にPDF化して保存。台本を思い出す時は頭の中の文字を読める。台本のページ数も言えちゃう(残念だがお芝居のうまさとは関係ない非常に無駄な能力である)
・あの時のお店の名前なんだっけなーって時、その前に行った時に入り口と看板をセットで見ていたら頭の中の写真を取り出して看板の名前を読むことができる(私の場合は素敵or残念な体験が伴っていないとお店関係は記憶に残らないみたい。でも打ち上げ場所の確保の際などに能力を発揮)
・会ったときに着ていた相手の服のコーデを覚えてるので、身に付けるもののプレゼント選びなどがしやすい、気がする・・・

ううん・・・メリットあんまり思いつかない。次、デメリット

デメリット
・「この台本に差し替えまーす」と以前の台本にセリフが増えたり減ったりしたものを改めて渡されると、全然覚えられない。似たものの記憶の上書きが無理みたい
・毎日がフラッシュバック祭り。走馬灯のように悲しかったり怖かったりした記憶がアルバム形式で駆け巡るよ!これまじやばい。そりゃネガティブにもなるって・・・

「カメラアイ」と書きましたが、私は「三次元映像」の特性も同じくらいです。これは時々とても使えます。振り付けを思い出す時、踊ってくれた先生の姿を映像で振り返れるからです(自分の体がその通り動くかどうかは別問題・・・)。でも聴覚での記憶保存が苦手なため、それはもうほとんどサイレント映画です。

記憶系ではないのですが、認知能力でいうと文字や文章を映像化してから思考する「言語映像タイプ」も同じくらいの数値でした。これは私にとって一番使える能力だと思います。文章を読むと、風景の広がりとか家具の配置とか登場人物の動きや位置、そこに漂う空気を細かに想像できます(悲しいかな、それを演技で表現できるかどうかはまた次元の違う話なのだ)。でも演技講師として暮らしている現在、この能力はすごく役立っていると感じています。言葉の列を三次元に立ち上げるとき、その空間を頭の中に作れば演技者と物語の乖離あるいはその合流を違和感や達成感を以て感じ取ることができるからです。
逆に文章を書くときも、小さなお家のようなものを頭の中に置いて、その文章を書くのに必要な要素を見易く配置していきます。まずはそれをやっておいて、書く段になったら玄関に立って見える景色を、そこからだんだん家の奥に入っていって立ち位置とともに変化していく風景をリポートするように言語化していきます。わかる?わかりにくいよね!!でもそうなんだもん・・・

私は自分自身のことについて、「みんなもこうなんだろう」と思って疑わない時期が長くありました。みんなそれぞれ違う記憶の保存方法で、それぞれ違う認知を持っていて、だからみんな考え方が違うのだということに気づくまですごく時間がかかった。ホント言うとここ8年くらいでやっとこ理解した。
「同じはずなのになんでこうも違う考え方になるの!?」と思うからどんどん心が狭くなってしまうのです。前提条件が間違っている、と思ったらすごくすっきりした。

全然違う能力のみんなで一つの星に生きているのですから、そりゃあ大変なことです。自分を知ること、相手を尊敬すること。そのシンプルな2つのことが「生きやすさ」の目指すところなんだと思って今、毎日いきてる。

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