ボディスクラブ

あるとき丁寧な接客の、化粧品ブランドでプレゼントを選んでいると店員さんに声をかけられ、「プレゼントを探してて……」と、意図を伝えた後のことが考慮に入っていない語尾の絶えた言葉を返すと、「相手はどなたですか?」と聞かれ、なんだか本当に答えたくなかったのだが「付き合っている人と」と答えた。「いいですねぇ〜」と言われるその白々しさが嫌だった。「だからだよ」とは言わなかった。

無事に、買いたいものを選び終えて会計すると、パウチ状のテスターをくれた。いつもこういうところでは、買ったものとライン使いできるものだったり系統の似ているものだったり、ぽろっと話した悩みに対応するものだったりをくれるが、プレゼント相手ではなく「お姉さんに」と明示した上でボディスクラブのパウチをくれた。私の考えすぎかもしれないけれども、あまりの深入りに、「だからだよ」と言えなかった。


そばにいたいのも離れたいのも、好きでいつづけることもそれをやめることもエゴ以外の何者でもなく、愛情を抱くことそれ自体がエゴなのに、なぜか「無償の愛」や「自己犠牲的な愛」は尊いもので、自己を犠牲にする代わりに自分の気持ちを犠牲にしたり時間を犠牲にしたりしなくてはならないという刷り込みがある。「なのになぜか」というより、愛情を抱くことがエゴだからそれを包み隠したいがための「犠牲を払う」なのかもしれない。が、この場合の犠牲とは相手と自分がいた時の自分側が払うもので(あるいは払っていると思っているもので)自分から相手に向けた愛情に対して相手から自分に向かった愛情が小さければ小さいほど、差の分だけその「犠牲」への認識も乖離することになる。やだねえ。出せる全てを差し出したとしても必要がないものは重さにしかならない(あまりにも嫌で句点を打つのも憚られる)

離れて欲しいというエゴを提示されて、自分のエゴを犠牲にした愛情表現としての別離を、それぞれがなんと呼ぶか知りたくもなく(探さなくても浮かぶあれこれの単語たち)


それとは別にスクラブを使う時、使ったところがスベスベになったのか、撫でている側の指が削れてスベスベに感じるのかわからなくなる。指紋を確認する。ある。






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