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遠いけど遠くない

2020.10.02

昔はもっと世の中は広いものだと思っていた。
物理的にも、気持ち的にも。


幼稚園や小学校の友達が、どこか遠くに引っ越してしまう。
もう会えなくなる。
「これまでの関係全てが、もう終わるんだ」なんて、思っていた。
友達が引っ越してから、物理的な距離も気持ち的な距離も感じた。
毎日書いていた日記に突然、白紙のページができたように。


これまで色々な経験をしてきた。
楽しい事、嬉しい事、悲しい事、辛い事。
これまでの経験全てに意味がある。
その経験から多くを学べる。
「あの時の経験から何を学んだんだろう、分からない」と、思う時もある。
その経験が生かされるタイミングまで気づかない事も多い。
でも確実に人は経験をして成長する。




遠距離の彼女から手紙が届いた。
何も聞かされていなかったし、彼女から手紙が送られてくることなんていままでになく、驚いた。
そして何より、嬉しかった。

僕たちは付き合いはじめてから、そんなに時間が経っていない。
つい先週に会ったばかりで、大阪に帰る見送りをしてから数日しか経っていない。
便利な世の中で、LINEでトークをしたり、声が聞きたい時にいつでも電話ができる。
トークや電話をしている間は、寂しさや距離を忘れられる。
でも、手軽にできるが故に、見返したりした時に「このやりとりをしていた時は、こんな時だったな」などを、思い返す事が少ない。
相手がどんなことを思って文字を打っていたのか、なんて普段は考えもしない。
だからこそ、ふとした瞬間に距離感を感じ、寂しくなる。



彼女からの手紙を読んだ。
手紙と一緒に、東京で撮った写真とブレスレットが入っていた。
LINEで、「現像した写真とブレスレット送るね」と、一言送れば伝わる世の中。
それでも彼女は、自分の時間を割いて僕に手紙を書いてくれた。
短い文章だったが、文字以外の何かがそこにはある気がした。
どんなことを思いながら、この文章を書いたのか。
スマホの画面で見る長文よりも、手紙にある直筆の文字の方が遥かに多くの気持ちが込められているような気がした。
そして何より、ものとして残る手紙や写真、ブレスレット。
これまで遠いと思っていたものが、一気に近くなった。



大阪と東京。
遠いと思っていた。
そんなことはなかった。
遠いけど遠くないんだ。
気持ちはずっと近くにあるんだと。
こんなことを思うのも、いつか経験した何かのおかげだ。
小さい頃は友達や人がどこか遠くに行けば、気持ちも遠いままだと思っていた。
彼女から手紙をもらうまで、こんなことを思うなんて考えてもいなかった。
また人として成長できたと感じる。
また生意気な年下の最高の彼女から多くのことを学んだ。
ありがとう。







このブランコみたいに、寂れるまでずっと隣にいたいと思う人。
もう少しで、またその人に会えるみたい。
また幸せな時間が待っていると思うと、生きていてよかったなと感じる。



おやすみ、また後で。



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