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伊吹藍への救いが欲しくて、

人生初のnoteを書いている。

8話はリアタイ以降なかなか受け入れることができず、最終回を迎えても大きなしこりとして残ってしまいっていた。要するに消化不良を起こしていた。
今回はそのしこりについて自分なりに向き合った結果をまとめておきたい。
そしてこれは考察でもなんでもないただの感想であり願望に過ぎないことを最初に記しておく。

※DC版ネタバレ無

1.人はそう簡単に救えないし、救われない

『人はそう簡単に救えないし、救われない』
これがMIU404における最大のテーマの一つだとわたしは解釈している。

伊吹自身ももしかしたら“救い”を求めていないのかもしれない。救われなくて当然とすら思っていそうだ。
実際、4話で伊吹は青池透子の人生についてこのように言及している。

『俺らが決めることじゃないっしょ』

たしかに人の人生は誰かに決められることではない。わたしに伊吹の人生を語る権利はない。

しかしながらそれでもやはり伊吹藍には全身全霊で救われて欲しいと願ってしまう。幸せになって欲しいと言い換えることもできる。
これはわたしの単なるエゴだ。
それを承知の上で、わたしは伊吹にとっての救いについて考えていきたいと思っている。


では、果たして伊吹藍の“救い”とは。
伊吹にとって唯一の恩人であったガマさんが崩れ去った今、伊吹を伊吹たらしめるものは何であろうか。


2.恩人

ここでまず考えたいのがガマさんと伊吹の関係性について。わたしはそもそもこの「恩人」というのが歪なものであると考えている。

「恩人」を辞書で調べると大抵このように書いてあった。
ー助けてくれた人
ー恩恵を施してくれた人
ー力になってくれた人

全て受け身の形である。伊吹からガマさんに対しての矢印はあってもガマさんから伊吹への矢印はない。つまりは一方通行なのだ。

ここが「恩人」の厄介なところで、どんなに伊吹がガマさんを慕っても、ガマさんに取っては伊吹の存在は取るに足らない、過去に助けた沢山の人のうちの一人に過ぎなかった。
ガマさんは刑事として、仕事として、たまたま伊吹を助けただけ。

だからガマさんはおそらく一番辛かったであろう事故や奥さんの死因についてを伊吹に伝えていないし、むしろ「病死」と誤魔化してすらいた。

そんなガマさんが刑事として人として一線を超えてしまった。これまで沢山の人を更生させてきた人が罪を犯してしまう。これは絶対にあってはいけないことだ。たとえどんな事情があっても。

志摩の言葉を借りるなら『何があっても人を殺してちゃいけなかった、全警察官と伊吹のために』


その一方で、伊吹もまた、伊吹の信じたいようにしかガマさんを見れていなかったのではとも思う。伊吹は伊吹にとっての理想的な恩人像をガマさんに反映させていた。恩人であるガマさんは道を外れることはないと信じたかった。
それゆえ、志摩が指摘した通り、勘が鋭いはずの伊吹は感情と昔の思い出で蓋をして、真実を見ないように気がつかないようにする。

『俺はどこで止められた?いつならガマさん止められた?どうするばよかった?ねえガマさん!』

そう尋ねる伊吹に虚しく、どの時点においても何をしても伊吹にはガマさんを止められることはなかった。ガマさんは伊吹にとってのスイッチとなったがその逆は有り得なかったのだ。
このことを伊吹は8話で突きつけられてしまった。

そしてガマさんは徹底的に伊吹を遠ざける。
『あの子に、伊吹に伝えてくれ。何も出来ることはなかったと』
この言葉自体は志摩に対して言ったものであり、その後志摩が伊吹に伝えたかは不明だが(おそらく伝えてはいないだろう)ガマさんが伊吹を拒絶していることに変わりはない。
また11話において、伊吹はガマさんの面会に向かうも断られている様子が見受けられた。
今後、何度断られても伊吹はガマさんの面会に向かうし、その度にきっとガマさんは断り続けるであろう。
また、仮にガマさんが伊吹の面会に応じたとて、それは伊吹にとっての一つの通過点でありそれ自体が救いになるとはわたしは考えていない。


3.11話で伊吹がみたもの

救いについて考える上で、触れずにはいられないのが11話クルーザーでの久住とのやり取りについて。
わたしはここをドラッグのバッドトリップ(≒幻覚・悪夢)と位置付けている。あの一連は起こり得たif話であるとか分岐した世界線だとかは考えていない。あくまでもドラッグの作用である。

そしてバッドトリップ時の久住は自己の投影、つまり前半は志摩自身、後半は伊吹自身であると解釈した。バッドトリップ時の久住の言動は全て伊吹/志摩が自分自身に対して思っていたことの現れである。それは2人の根底にある一番弱く脆いところだ。

『クズはクズのままとちゃうんか』

『どうしても許されへんかったらどうするん?殺すしかないんとちゃうか』

久住を通して無理やり引っ張り出されてくる認めたくない、潜在的な自分に対して、伊吹ははっきりと伝える。
ーーー『俺は刑事だ』

伊吹は最後に久住を射殺するのだが、それは自分の弱さと対峙し、克服したとも見て取れた。『すぐカットなる狂暴な犬』はもういない。

『刑事の自分を捨てても俺は許さない』
そして伊吹は自分の胸にガマさんの言葉を刻んだ。この言葉は十字架であり呪いだ。

恩人ガマさんは伊吹にとって生きる指標であった。が、しかし、現在の伊吹が目指す場所にはもうガマさんはいない。そのことを伊吹は十分に分かっている。伊吹は決してガマさんのようにはならない。

その証拠に『ガマさんみたいな刑事になりたかった』伊吹は久住に対してこう伝える。

『こんな世界にしたお前を俺は一生許さない、許さないから殺してやんねえ』

許さないから殺さない。
これが罪を犯したガマさんに対する伊吹のアンサーだ。
ガマさんを止められなかったこと、その過去は変えられない。
だから伊吹は前に進み続ける。後悔するのではなく、過去を大切に抱えた上で生きていく。許さないから殺さない、という確固たる信条をもって。


4.伊吹にとっての救い

これらを踏まえて考える伊吹にとっての救い。

それは「間に合った」を一つ一つ増やしていくことではないか。

『機捜っていいな、誰かが最悪の事態になる前に止められるんだろ。超いい仕事じゃん』

伊吹は1話で初めて機捜の職務に就いた日に、つまりガマさんの事件を知る前から「間に合わせること」を自分の中の一つの軸にし始めていた。これはおそらく無意識的に。

9話でも伊吹はメロンパン号の落書きを消しながら呟く『間に合うかな』そして志摩は答える。『間に合う』と。

誰かの最悪の前に止めること、間に合わせること、これが伊吹にとっての救いの正体だ。
それと同時に使命でもある。

これから先、伊吹は傷を抱えながら生きていく。
その傷は瘡蓋になることはあっても完治することはないだろう。伊吹はガマさんを止められなかったという事実を一生引きずる。だが、過去に立ち返ることはあってもそこで立ち止まることはない。

綾野剛はMIU404公式HPのインタビューで伊吹をこう評している。

伊吹は基本的に過去にとらわれない。現在進行形で、今起こっていることにしか目を向けないのが伊吹。そんな彼がガマさんのことで初めて過去に立ち返ったわけです。ただ、伊吹の「いつだったら止められた?」というセリフは、現在進行形に向き合ったから出てくる言葉であって、誰かの影響を受けたからではない。


傷だらけの伊吹はそれでもなお、ひたすらに走り続けるのだ。その横には志摩の存在がある。一方通行だったガマさんと違って志摩と伊吹は互いを相棒だと認識し必要としている。共に闘おうとしている。それだけでいい。

全11話を通じて伊吹にとって所謂分かりやすい“救い”がなかったことをわたしは腑に落ちないでいたが、それは至極当然のことだった。

伊吹にとっての救いは、伊吹が刑事の職を全うするまで、「間に合った」を少しでも多く積み上げていくことだからだ。


『誰かを助けた数と助けられなかった数、どっちが多いんだろうな』
『もしかすると助けられない方がはるかに多い』

たとえ助けられない数の方が多いとしても、伊吹は最後まで諦めない、誰かを救い続けようとする。良い方向へスイッチさせ続けようとする。

そして誰かを救うことが伊吹自身の救いに繋がる。

人は簡単に救えるものでもない、
でも諦めず求め、足掻き続けた先には救われる未来があって欲しい、あるべきだ。

そう願って止まないわたしを伊吹は笑うだろうか。

「勝手に決めつけんじゃねえよ」と。



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