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自己肯定感がなさすぎてつらいよねという話



先日 自己肯定感皆無芸人あるあるというものをつぶやいたら わかる〜 みたいな声が届いたのでちょっと詳しく書いてみます。

じっくり考えればおそらく他にもたくさんありますが 出したらキリがないのでそこそこに!



褒められると申し訳なくなる

褒められたら「あ、、なんかほんとすみません…ありがとうございます…」と言ってしまう。褒める側の気持ちもわかるから、素直に「ありがとう!」がいちばん良いことはわかる。わかるが、すみません。わたしなんかを褒めていただいて…ありがとうございます…。

ちなみに「その髪色かわいいね!」「その靴かわいいね!」みたいな具体的な対象があるものには素直にお礼できます。じぶんがかわいいと思って選んでいるのでね…。「やさしいですね」「センスいいですね」みたいなふわっとしたものだと↑になります。


いい人紹介してよというセリフは死んでも口に出せない

これ軽率に言える人まじですごいなと思う。嫌味じゃなく。だって自分に価値があると思ってないと言えなくないですか?紹介された側にメリットがあると思ってないと。

幼馴染み♀とすきなタイプの話してたら「周りにいなかったっけなあ…🤔」と言い始めたので、あ、いや…ほら相手からしたらわたしなんか紹介されたところでじゃん……?となりました。そういうことです。

あとまあこれは余談ですけど、これについて彼女と語った結果、軽率にこのセリフ言う人、だいたい紹介したいと思えない人だよねっていう結論に至りました。


会いたい人に会いたいと言えない

これも↑と同じようなもんで、会ってくれる側にメリットがあるかないかで考えてしまうと、わたしなんかと会ったところでなあ…と思いなかなか言い出せません。誘われたときも、そんな誘われるほどの者でもないんだけどなあ……と思ってしまう。行くけど…!


相手に尽くすことでしか価値を生み出せないと思っている

自己肯定感皆無女子がダメンズ好きと呼ばれる所以はこれです。好きというか育成しちゃうんですね…。ちなみにわたしは幼馴染み♂にダメンズ育成のプロだと言われたことがあります。(かなしい)(やめたい)

わたしが妹や弟に貢ぐのもその派生だと思うんですね〜。貢ぐことでしか構ってもらえないと思いがち。そんなことないけど!ないけど!
今尽くす人がいないので、その矛先が彼女たちに向かっているだけな気がします。はは


3人以上いる場だと存在意義が見い出せない

大人数の場が苦手です。飲み会とか。グループ交際的なものも。3人以上いると黙ってしまう。3~5人だったら相手によってはそれでもたのしめるけど、あれ?わたしいる意味ある?ってなって帰りたくなります。だから基本1:1でしか会わない。


酷いことをされても自分に原因があると思う

たとえば嘘をつかれるとか裏切られるとか。かなしいしムカつくけど、最終的には「わたしには大切にされるほどの価値がないからしょうがないな」ってじぶんに矛先が向かって自己嫌悪する。


できる自分にしか価値がないと思う

もともとじぶんに価値を見い出せていないことからできない自分になんて1mmの価値もないと思っているため完璧主義。0か100しか存在していないと思い込んでいる。


人の目が気になりすぎる

人前に立つのはもちろん苦手。悪口を言っている人を見ると当たり前に「わたしも言われてんだろうな〜」と思う。


自己肯定感がないとしあわせになれないということに気づいたが、自己肯定感がないのでそもそもわたしなんかがしあわせになれるわけがないと思っている

もうどうしようもない。



(…本当にキリがないのでここら辺でやめておきます。)


***


様々な経験をする中で、わたしが出した結論は最後の項目にある「しあわせになるためには自己肯定感が必要」でした。

でも、同時に、自己肯定感をじぶんひとりで育てることは難しい、ということにも気づき、絶望しました。


わたしはじぶんそのものには自信がなく自己肯定感皆無ですが、じぶんの作るもの・感性と名前はすきです。

それは何故かと言うと、単純に 褒めてくれる人がたくさんいるから。

特に名前なんて21年ずっと白水桃花として当たり前に生きてきてなんとも思ったことなかったのに、19歳〜急に褒められるようになり、肯定感を通り越して過剰な自信にすらなってきたように思います。苗字変えたくない…。(とはいえこれはわたしの努力などではなく完全に両親のおかげなのでね…)


作品に関しては、周期的にぜんぶだめだ!!と思う時期が来ますが、それでも生み出し続けることが出来ているのはファンだと言ってくださる方々がいるからです。


認めてくれる人がいて、はじめて、その価値や存在意義を見いだせる。


その理論で行くとじぶんを認めるためは、認めてくれる人がいたらなあ…と思うのですが、
たとえばわたしの場合は名前だったり作品だったり、髪型、服装、そういう目に見えてわかりやすいものって褒められる機会がまあまああれど、中身に関することってそうそう褒められる機会がないんですよね。


プラスして、たとえ褒められたとしても なんせ自己肯定感がないので、素直に喜べないという。元も子もないほんとに。


卑下することしか出来ないわたしを、根気よく褒めてくれる人がいない限り、この問題は解決しないのでは?

というかそんなのもうたぶん人類には無理だからAIに頼むしか…ない…?

みたいな考えにも至りましたがやはりそれは人間相手だからうれしいんだよなって気づきました。ワガママか。


***


もし、わたしが海外に生まれてたら、こんなふうにならなかったのかな?とすこし考えてみたりも。

最近ツイッターで話題になった「ブステレビ」と「かわいく生まれたかったと叫ぶたんぽぽ川村さん」。日本って本当にこういうのが多いよなあとつくづく思います。

たんぽぽ川村さん問題は、ざっくり言うとモデルさんと川村さんに対する周りの扱いがひどく違っていて、それに対して「かわいく生まれたかった」と言ったというもの。

これ、実はわたしも今年身をもって経験しました。詳しくは言いませんが仕事の場でそういう経験をして、でも不快に思うわたしがおかしいのかなと思って誰にも言えませんでした。

結局人は見た目だという意見はわたしも概ね同意しますし、仕方の無いことだなと思います。

が、それを笑いにしたり、仕事の場に持ち込むことは違うんじゃないかなあ。と。


話が逸れました。

日本ではそういう、人の見た目や、あとは失敗、苦手なことをやらせて見世物にする、みたいなものが当たり前な気がします。少なくともわたしが育った環境(主にテレビ)はそうでした。

海外に住んだことがないのでハッキリとは言えませんが、謙遜することがマナーで、すこしでもはみ出すと笑いものにされる日本では自己肯定感が育たないのも頷けます。自己肯定感がものすごくある人だと、ナルシストだ!と言われて馬鹿にされるのも見てきました。

日本人でも自己肯定感がある人はたくさんいますが、恐らく海外と比べたら基準が低いのではないでしょうか。


***


高校時代に、人生には自己肯定感が必要だと気づいてから、わたしの課題はずっと「自信と余裕を持つ」です。

今のところ、持つどころかどうしたら良いのかもいまいちわかりません。これから先解決できるのかも、、どうですかね。


わたしがものすごく好きなアーティストが「自信ない…」と落ち込んでいたら、、「わたしはこんなに好きなのに!なんで自信持ってくれないんだ〜!元気だして〜!!!」と思うし、きっとわたしの友人だったりファンの方もそう思ってくれているんだろうなとわかるんだけどなあ。じぶんのことになると、どうも、難しくて。


好きだと言ってくれる人がいるなら、その人達に胸を張れるように じぶんのことちゃんと認めてあげたいなと思う。思うから、毎日、狭間でもがいている。


こんなわたしでもいつか堂々と「わたしはわたしのことがすきだ!」と言えるようになるのかなあ。




…と、このままいい感じにまとめて終わりたいんだけど、正直に言うと、↑言えるようになるの、生まれ変わっても無理な気がするよね。

…ほんとそういうとこ。永遠ループだ。



まとめ:自己肯定感売ってくれる人がいたら買いますのでどうぞよろしくお願いします。


オワリ!



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