鬼滅ブームとは何だったのか?

結論:漫画、アニメ映画、アニメの発見。

言ってしまえば普段漫画やアニメやアニメ映画を見ていなかった人々による現代アニメ、漫画の再評価だった。

サザエさんやドラえもんやちびまる子ちゃんしか知らない人々に20年近い構成や技術や演出の進化・クオリティの向上を20年分一気にみんなで認識してしまったのだからそれはそれは楽しいだろう。

言うならばアニメ、漫画の知識のアップデートが日本国民で行われたのだ。

割と簡単な話でそれだけアニメを見ない人々にとってはこれだけ進化していたら評価されて当然なんだけどじゃあなんで鬼滅だったのかという方が興味深い。

考察:なぜ鬼滅だったのか?

1,バトルごとに区切られる細切れできる舞台、敵が変わるごとに読み始めてもついていける寛容さと簡易さ。

コンテンツの軽量化、高速化が進む現代においてこれが最も大事じゃないかとさえ思う。とにかく一話完結まで行かなくても戦が終わるまでを1クールで区切りそこだけ読めばとりあえず話は通じる、そういう区切りはとても大事なように感じる。

2,最後まで裏切らない物語。

少年漫画でこれは実は結構珍しい、ラスボスはこいつで主人公はこいつだ、なので目的はラスボスを打ち倒すことで主人公に倒される。こんな構成は実に珍しい、根本的に別の目的はあって出発するが早々にボスが確定することはあまりない、倒しても裏ボスが出現するのは普通のベタな少年漫画である。

とにかく簡単なあらすじでタイトルを読めばわかる鬼(無惨)を倒すということを登場人物さえも全く裏切らない、人間はなにか勧められたときにこの裏切りはかなり萎えてしまう要素なので大事だ。

テニスをする人間はテニスの漫画を勧められてテニプリを見た時に拒絶させてしまったりする。

だからとても人に勧めやすいし失敗しない作品に仕上がっている。

3,今からでも間に合うしちょうど終わるというタイミング

一番爆発的に流行ったのは割と後期で無惨といよいよ戦うぞというぐらいだったようにおもう、今から追いつけばみんなでフィナーレに間に合うというお得感があった。

コロナ禍で丁度いい終わりかけのコンテンツでジャンプでやっていた看板漫画でアニメ化もされているし映画化もされるぞという完璧なコンテンツの形をしていたのは間違いない。

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