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どうか自分の純粋な願いに集中して生きられますように

noteを書けなくなっていたのは
本当の自分の声とエゴの声が
ぐちゃぐちゃになって
わからなくなってたから。

書くほどに
エゴの声を強化しているのではと
感じてしまったから。


本当の自分の声が聴きたい。


自分の中に染み込んでいる
母の観念(エゴ)によって
自分をジャッジしていないだろうか?

自分の中に築き上げた
父の悲願の物語(エゴ)によって
今の地位(いる場所)に
執着していないだろうか?

それが家族との繋がりの証と
感じていたのだとしても

見つめる先、意識を向ける先は
1つなんだ。


「私」の魂の望みは
何なんだろうか?

その問いに
根を下ろしていたい。


今の職場での
自分の在り方は
私の真の望みではない。

ただ、0%ではないのだ。

エゴ(父の悲願)と私の願いが
綱引きをして拮抗し
さらに別のエゴ(母の観念)で
自分を裁いているのが
今の状態だ。


自分の感情の揺れを
嫌なものとして回避するのでなく
自然現象、潮の満ち引きのように
受けとめたい。

その器を育むことが
私にとっての成熟なんだ。


ピーターパンのように
ずっと子供でいたかった。

だけど、それは
インナーチャイルドの
周りへのゴリ押しでなく
ワンダーチャイルドの
解放のはずなんだ。


自分のすごいと思う部分ばかりを
発揮して生きていたいと
願っていた。

その願い自体がアンバランスで
バランスを取るために
色んなことを現実化させていただけ。

良い部分悪い部分なんてなくて
私の凸凹のその形のままに
自分を発揮し尽くして生きる

それが
本当に願いのはずなんだ。

それを
母の観念や父の悲願の枠に
留まろうとするから
苦しいだけなんだ。


だから
私自身の純粋な願いに戻れ。

そこに意識を向け
集中して
根を下ろす。


どうか
私の魂の目的に集中して
生きられますように。


アリア

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