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7/9と8/19と9/17

昨夏の記録

最近こういう衝撃の受け方をしていないな、
良くも悪くも。


7/9

ダディ初日を見に行った。
展開というか関係性?感情の動き?が目まぐるしくて、とにかくパワフルで。とんでもなく体力の要りそうな演目だった。全員の矢印が中山優馬さん演じる主人公に向いていて、思いのほか相愛され話だった。ダディって公演タイトルなぐらいだ、その"ダディ"との関係が大変な話なんでしょう、ぐらいの心構えで行ったら序盤からそれはそれはアクセル全開で、ついていくのに必死だった。何が起こってるかはわかる、けどこれをどういう視点で感じればいいんだ???絆したり絆されたり、今だれが掌握してるターンなんだ……?みたいな。

みたいな、なんて言えばいいんだろう、えーっと、って言い回しに、輸入した台詞回しであることを感じさせられた。日本語って長いんだなあ、とか。

あとこれはネタバレになるのかならないのか微妙なところだけど、ノリというか流れでプロデューサーと寝るじゃん、寝るんだなあ、というのが今回も気になった。定番の展開というかシチュエーションなのかな。海外からすれば夜の仕事系の作品での営業の話は なんか日本にはそういうのが?あるっぽくて?回りくどくね??? とか思われてたりするんだろうか。(?)
逆(?)とかはなんとなく分かるというか知ってる感じがするけど、ロマとかじゃないほうの指向はむしろ分からない。ニュースであった140人の話とかも謎だった。だからといってどこらへんがどう法律に引っかかるのかもよく分からなくて、誰が何をどう支配することで誰の何が守られているんだろう、と考え込んでしまった。最終的には消費や搾取に辿りつくのだろうけど。そうやって根幹で繋がってるかもしれない問題についてだって、自分に直で関係あると思ってこなかったから考えたことない方面ってある、ので、ほんとは損なわれたくなくて考えてほしいのに関係ないから多くの人々に考えられてないことって生じてしまうよなあ、とも思う。


8/19

いわゆる前乗り、で訪れた先、あまりに観光しすぎるのも疲れるからと目的地に定めたのは美術館だった。
がまくんとかえるくん、の作者の展示を見た。
ああ、あの、ブラザーフッド、な感じの、あれ、という思いを持ちながら見進めていくうち、ある写真の解説文が目に入った。
言い方がとても難しいけれど、展示に入ってすぐ、コラムの文章でニューヨーカーだったことを知って、没年も、なんとなく分かって。作品の雰囲気から、どうなんだろう、とは思ったのだけれど、その場では調べる気になるのも違くて。
帰ったあと、関係ないワードでの検索1回目で分かってしまったことがあった。展示のどこかにも書いてあったのかも、しれないけれど。

この思いあたり方だって、正直いいことではなかったのかもしれなかった。
期を悟るしかなくなって決断をして、みたいなのが透けて苦しくなった。写真を見る前に開けためちゃくちゃな厚みのマザーグースの本だって鬼気迫っているように思えてきてしまったし。
そう思わせることだって本位じゃないだろうし、自分がそう感じたことも全部少し悔しかった。


9/19

まだ残暑の去らないうちに、異性装の歴史展を見に行った。ずっと行ってみたかった松濤美術館。

百年単位で昔の記事や絵、文章を目にして、実在の証から伝わる念がすごくてクラクラした。
たくさん話したいことがあって、でも帰らなくちゃならなくて、帰り道は全然言葉にならなかった。
アマポーラの映像がずっと頭から離れない。
ふらふらと階段を上がって、メモランダムを目にしたとき、それがとても大事な本だということが分かって、すぐに買った。

友達にボーイフロムオズ見たかったんだ、と言われて、あの時だって誘えば良かったのか、と思った。せっかく土日なら、なにかイベント見るのもありだよね、と言い出してくれなかったら私だってDumb Type S/Nを見られなかったわけだし。

古橋さんとピーターアレンが同じwikiのページに載っていることに、ふと思い至って息が留まった。
S/Nがブラジルに向かったこととボーイフロムオズのラストが急にダブったように思えて、帰りの電車ではリオデジャネイロを聴いていた。


わたしの感想は何のどこの部分にどう対応しているんだか、自分でもよく分からないけれど、いつだって自然に選んだ先で打ちのめされてしまうばかりだ。
打ちのめされるのが良いとか悪いとかっていうより、自然に選んでいたくはあるけど前情報無しで向かうと想像を超えてしまいがち、というか。
何も思いたくないわけが無い、とはいえ、あーこんなにしんどく思うことになると予想できてなかったな……と呆然としながら会場を後にすると衝撃が尾を引いてしまうので難しい。


この投稿を下書きから出そうと思ったのは、乗り換えで新御茶ノ水駅に降りたとき、あの長いエスカレーター直前にDumb Typeのポスターが貼られているのを見つけたからだ。
自分の視野というか、意識に留まる言葉が増えているのを直に感じるのは嬉しい。
けど、こうやって そういえば と思っているうちに遺作のうちのひとつみたいになってしまったりもしていて、やるせなさが行き場を無くしてゆく。

…とはいえ、せっかく辿り着いたのだから、見に行けるといいなあと思う。そういうのの積み重ねで日々を構築していたいわけだし。結局。

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