見出し画像

藤と鳶

2023年GW

藤の咲き狂う風景を通り過ぎ、海岸線を望むルートで仙台へ向かった。

そういえば近所の神社に藤棚があるのを見つけた次の日、いつもは見ないリビングの窓に寄ったところ、フェンスの手前を藤が這いつくばっていた。
どうやらこの時期って藤の季節で、それは中吊り広告の中に限らないっぽい、と気付いてから、車窓を眺める視線の先にずっと紫を探していた。

それはそれとして、花壇の藤は近所を覆い尽くす前に棚に住まわせてあげた方が良い。
野生の藤の我が物顔、整然と並んで圧倒してくる施設のそれらとも、また違った迫力があった。


月初めまで行くか迷っていた ARABAKI ROCK FEST. 23。チケットを取るなら両日、と思って覚悟を決めた。
SYNCHRONICITYの、たしか2日目。ライブハウスの扉を開いて、気が付いたらパルコに足が向いていた。

受け取りにもう一度岩盤行かなきゃだし、どうせ渋谷に行くなら!と取った無限大のチケットは21時開演だった。最近は遅い時間帯のライブばかり行っている。

2泊3日、連日で遠征のフェスに行くのは人生初。
気合いを入れた割には2日間とも14時くらいからの入場で、ひとステージのトリを見たらどっか寄りながら帰る、ぐらいの潔さで過ごした。

雨に降られなかったのもラッキーだったな。
去年は自分の行った前日に降雪があり、足場は2日目にしてぐちゃぐちゃだった(昨年は少ステージ3日間開催)。
あんなにずっと晴れてるならもっと遠くのステージと行ったり来たりしてもよかった、のかもしれないけれど、それは体力が許さず。
良くも悪くも予定通り、陸奥には終ぞ辿り着かない2日間になった。

なんか見たらどっかでご飯を食べて次に備える、の繰り返し。
のんを見ながら川崎そばを食べたりもした

お目当てはワンマンでも対バンでもどこでも見に行きたいようなバンドばかりで、正直フェス行かなくても見るじゃん、という気持ちも薄らあった。けれど、今回アラバキまで行ったおかげで、自分がBIGMAMAやNothing's Carved In Stone、THE BACK HORNにどれだけ感動するかを知ることができた。
"音を立てて動いた"ってこういうことなんだな、と分かるような。


10年代前半のバックホーンは特にシリアスで、それは時代的にも仕方のなかったことだけど、初見では正直その気迫がおそろしくて、背負っているものが深刻すぎて、どうにも打ち解けられなかった。
でも、なんか、水戸を通って縦断して仙台まで辿り着いて、すごく腑に落ちて。こっからの人生にはバックホーンがいるんだなあ、と明確に思った瞬間があった。
2日目の、ステージを見る前にロンTを買って備えた。爆轟樂團って袖までプリントのあるTシャツ、響きだけ聴いたらジャンプの何かみたいな四字熟語。爆と轟を背負うって自負がすごくてアガった。

1曲目、刃のシンガロング。アラバキでしか起こりえない感情の揺さぶられ方で、信じられないエネルギー量が目に見えるようだった。
活動が続くには、続けられるには理由があるんだってことを分からせられた。
とてつもない求心力でたまらなかった。

その日見たステージを通して、"友達が好きだったバンド"は一生"友達が好きだったバンド"ではあって、私が直に経験した月日ではないというのに、妙にセンチメンタルな気持ちになっていた。
当時はその人気ぶり、盛り上がりぶりが謎に映っていてむしろ自分からは遠ざけていたシーンの、そりゃあ夢中になってしまいますよ、と思うような熱量とか華とか、直視しては煌めきに目をやられてばかりだ。

ステージング力、とでも言えばいいのか、曲の良さとかだけじゃないんだな、バンドって、という根本的なことを思い知らされるような瞬間がたくさんある。

ここしばらくは(SYNCHRONICITYからの流れもあり)エモくてグランジでオルタナな若手が好き!みたいな気でいたのに、蓋を開けたら2007年の曲で盛り上がれる心地好さに安心しまくっていた。
私にとっての2007年て今の中学生にとっての2018年てことで、それって、それってさあ…………とビビってしまう。さすがに。

9mmのPunishmentもバクホンの罠も2007年作
私はといえば学童で月9の話とかしていた時期

いつの間にか、人生のうちで9mmを聴いてない時期の方が短くなっていたらしかった。
帰ってきてからLuckyFMを聴いて、久々に滝の声を耳にした。あんまり喋ってくれないけど、ああ私(たち)のギターヒーローってこんな声だったな、ということをたまに思い出せるとなんだか安心する。

雑木林の途切れた瞬間、常磐線から見え続ける田園風景にはトラクターが走っていて、滝もああやって日々を重ねてるんだよなあ、と馳せる瞬間があった。来年(以降)もひたちには乗りたいけど絶対に9mmに間に合いたい。あの風景を見てからの午後出番を見てみたいと強く思った。

福島泊まって南下しての水戸とかも良い。なんかそういう、高まってから見るライブって特別だ。
週末見れんじゃん、みたいなのももちろんありがたく、悪くはないけれど。
自分の体力的にも、そしてバンドの活動頻度的にも、享受出来るあいだにできるだけたくさん幸せに浸っていたい。


移動してライブして、が非日常でなく生活だからこそ生じてくる感情があるのだ、と2年目にしてようやく向き合う気になってきている。
いつか三陸のライブハウスにも足を伸ばしたい。
仙台GIGSがどんな土地に建っているのかだって、今回海に向かうバスの道中で初めて知った。

仙台駅から荒浜に寄って、帰りの道中聴いていたのはバックホーンの未来、希望を鳴らせ、テナーの羊の群れは丘を登る、シンクロ。
小学校の壁に貼られた付箋には、わたしは当時生まれていませんでしたが、という文言が並んでいた。12年という時間の長さ、自分もこの海に来るまで12年かかっている。

荒浜小学校屋上から臨んだ景色
流れていた当時の映像に出てきたひとと浜辺ですれ違って
あ、と思っているうちに車が去っていった

新しい建物が建って、電車が開通して、でもずっと更地のままの場所もあって、住んでる人がいて、通う人たちがいて。目にした色んな出来事がGWの間中頭のなかを巡っていた。
ぼんやり眺めていた車窓、雑木林のなかから鳶が姿を現して、開発中のまちの空を飛んでいるのを見たとき、人がいなくなっても鳥は飛び続けていた事実に初めて触れられたような気がした。


帰りの福島駅ぐらいから書き始めて、結局2ヶ月も経ってしまった。
春の遠征記は一旦ここまで。
夏の遠征記(九州編)にすすみます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?