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180日

人生ってのは半年もあればここまで変わるんだな、とつくづく思わされる日々だ。
大学の近くに一人暮らしをし始めて、半年。バンドに関わるようになって、半年。彼女と付き合うようになって、半年。
多分去年の運勢は変化の年とかって占われてるはずだ。そう言ってない占い師がいたら首を括った方がいい。そもそも大学に入って、ってのもありますしね。


誕生日も半年前で、まるで18年間がぜーんぶひっくり返ってまた新たな人生を始めたような気分である。なんと清々しい!幸せで充実した生活!
とか思ってると何か悪いことが起きるかも、と思ってしまう性分は変わっていないね。
実家に帰って来たが、もう一、二年離れていたかのような気がする。懐かしみよりも適応するのに時間がかかるというか、ほんとに半年前までずっとここに住んでいたのか?と思う。ここでの記憶も最近あんまり思い出せない。

だけれど今の自分に繋がるものはここで培った訳で、そんな経緯を考えるとパソコンとスマホ1台ずつに全てがあったような気がする。だからもし生まれ変わってもインターネットさえあれば今の自分に戻って来れる自信さえある。人生つまんねーなあーといろんなものをスクロールしてきた事が積み重なっていたのだ。感慨深いものである。

この家にいた時は、もっとずっと緩やかに物事が進むと思っていた。バンドを組んでちょっとずつライブをして、ちょっとずつ曲を作って、学校もふつーに通いながら並行してバンドをやって、3年か4年くらいにそこそこバンドが大きくなって、就職しないで生きれたらいいなーぐらいに思っていた。それが、ネ友の友達が1人で始めたとかいうバンド、激流を木の板1枚で下る船とも言えないようなものに惹かれ、目撃する度に何故か気掛かりになって、スペースで毎日のように話していたらいつの間にか仲良くなって、いつの間にかマネージャーになって、いつの間にかメンバーになってしまった。しかもその勢いは留まる所を知らず、今年は日本中を駆け巡ろうとしているのだから大変だ。


しかしながら、行動力というのは本当に大事だと思う。今のデジタルネイティブの子達は色んな情報を見て、学んで、選んで行くことに長けている。自分もそう。そこで、色んな人間たちの成功、失敗、反省、後悔、特にTwitterに毒されているタイプは一般の人間がしてきた色んな後悔をよく目にする。そしてこれではいかん、自分は同じ過ちを繰り返さないように、と賢く賢くなろうとするのだ。そうして空虚な経験値が人生の岐路に立った時に目の前に立ち塞がり、安牌を取ることしか出来なくなってしまう、挑戦の先の失敗を見据えすぎてしまう、そういう奴が多分めちゃくちゃいる。だからこそ、行動力が大事なのだ。行動すること、それは学びを得ることだ。決して人の言葉を受け売りにするものでは無い、そいつは君を不安にさせない、自信を持たせるものだ。それがなくして、君が賢く選んだ選択肢は達観ではなく冷笑しぐさ、であるのだ。相対主義の坩堝にハマって抜け出せない。

TwitterやTikTokを見ていると、親ガチャから始まる生活環境の違いと学歴社会、限界知能や知的障害と言った言葉や、強者・弱者男性論、アイドルやホス・キャバ狂い、それが具現化したトー横界隈であったりなどなど、様々な社会問題が目に触れるが、そいつらは結局相対主義に囚われた愚かな生物に成り下がっていると感じる。本来の生物が持つ絶対的な幸せ、本能的な幸福を失った状態だ。原因はやはりSNSによって元々先鋭化していた個人主義が社会全体に向けられ、パーソナリティを比較することばかり考えさせられるようになってしまったからだ、と思う。

堅い話になってしまったが、僕は元々社会とか政治とかそういう話が好きな人間であるから日々そんなことを考えているし、ニュースを見れば自ずと色んな考えを浮かばせてしまうとはいえ今住んでる家にはテレビがないからニュースを見る機会が激減したのだが。
つまり根っからの社会派で、これらのバンド活動もアクティビズムの一環なのだ。自爆のヘルメットのモチーフは学生運動だし、まあそれが政治思想的にシンクロしているかと言われたらかなり違うのだが、変革を求める機運は同じくそういう点では同一視されても構わない。ただ内ゲバだけは起こしたくないな、俺ら仲良くやってるし。そのままがいい。それは変わらなくていいや。

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