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よだれ族誕生からごみ拾いまで

ある女子中学生の落書き

今から20年前、当時中学生だった奥さんが「なんか変なキャラクターをイラストできるようになりたい」と、ふとした思いつきでノートに落書きしたのが、『よだれ族』の始まりだそうです。当時奥さんは「よだれ族さん」と呼んでいたそう。

なぜ「変なキャラを描こう」と思ったかというと、当時奥さんがそれはそれはもう病的と言っていいほどにハマってたある男性アイドルが、変なキャラのイラストをよく描いていたのを見て、自分も変なイラストをやってみたいと思ったそうな。(これだけでそのアイドルが誰かわかる人がいるのかなあ?)

奥さんは当時、学校で休み時間になるとそのアイドルの出演する番組情報を、小さいしおりくらいのサイズのビラに書いて地道にクラスメイト全員に配ったり(記憶の限り自分のクラスにはそんなやつおらんかった笑)、黒板全面に書いたりと、本人に言わせると「キモい」くらいにそのアイドルを応援していたそうで

その黒板やしおりには必ず「よだれ族さん」が書かれていたそうです。当時の写メは残念ながら残ってないそう。

ただ1枚だけ、高校の卒業文集に奥さんが描いた「よだれ族アート」が残ってました↓

とある高校の卒業文集表紙

※高校時代の奥さんの親友が今日(2022年9月18日)うちに遊びにきたんですが、「懐かしい〜っ」と言っていました。やっぱり結構インパクトはありますよね。

塾講師や家庭教師をしながら何回も痛感したけど、こどもたち・ティーネージャーズってマジですごい。奥さん曰くこの絵は「なんも考えずに描いた」そう。

「若い」ということの最大の武器は、この「何も考えずにやる」ということが自然とできることだと、其れ相応の歳をとった今思う。

振り返れば自分も、何も考えず大阪の家を飛び出して東京の大学に行ったり、留学したりしてたなあと思う。

この「よだれ族さん」を、NFTにしてみようと思ったのが2022年8月31日でした。

なぜ「よだれ族さん」をNFT化しようと思ったか

これを説明するには、まず自分自身の歩んできた道のりについて書く必要があるですが、今回はそれを飛ばして1番のきっかけとなった直近の出来事を書こうと思います。

1番のきっかけとなった出来事。
それは、2022年7月2日に第一子(男の子)を授かったこと、です。

ほんの3年前まで、「結婚なんて自分にはできるわけがない」と本気で思っていた自分にとって、この新しい「いのち」との出会いはそれはそれはもう、天地がひっくり返るような出来事でした。

初めてのお産立会い

お産の日のことを少し。

7月2日は朝から、奥さんが「お腹痛い〜陣痛かも」と言って陣痛の間隔を記録していました。その記録を見ると結構、しっかり等間隔で陣痛がきているなあと思ったんですが、7月6日が予定日だったので確信が持てず。

とりあえず奥さんのマッサージを朝にするのが日課だったので、朝の10時半くらいマッサージをしていると….11時ごろに「パンっ」という音がして、2人であれっもしかして、、、と思ったらやっぱりそう、破水してました。

そこからすぐに病院に車で行って、しかしコロナのため自分は病院の駐車場で車で待機。13時くらいに奥さんから電話があってお昼ご飯買ってきてくれとのことで、近くのスーパーで大量に(3000円分くらい笑)お昼買って来て、そこで「いったん家で待機してください」ということで家に帰る。(家-病院は車で10分くらい)

そこから1時間半くらいで病院から電話があって、「奥さんが来て欲しいと言っているので、来てください」ということで、再び17時くらいに病院に。

着いたらなんと、奥さんがあまりの痛さにギャン泣きした後だったそうで、奥さんが泣きながら「麻酔しちゃったあ〜」と。

妊娠がわかってから、色々と調べていく中で「自然分娩で産みたいなあ」と自分が言っていたので、麻酔を使ってしまったことに少し罪悪感というか、そういうのを持たせてしまった汗

後から聞くと、最初に担当した助産師さんが「絶対お産経験してないでしょ〜」というくらい若い新人さんで、全く安心できなかったそう。

陣痛が本格化してしばらくして、「そろそろ姿勢を変えましょうか〜」と言われたその姿勢が激痛だったらしく、「痛いから元に戻してください」とお願いしても「院長の方針なんで〜」の一点張りだったそうな…

「早く旦那(自分)に来て欲しい」と言っても、「まだ呼べません〜」としか言われず、最終的に不安と激痛に耐えられずかなりの大声で泣き叫んだところでこれはまずいと他のベテランの助産師さんと院長が来てくれて、彼らに自分に来てもらうよう頼んで、また麻酔もお願いしたそうな。

ちょうど17時がベテランの助産師さんと若い助産師さんが交代の時間で、早めに待機していたベテラン助産師さんがいてくれてほんとによかった…

麻酔をして、ベテラン助産師さんもついて旦那も来て、一安心したのか痛みもひいた奥さん。しかし麻酔の時間が遅かったのと、病院の方針で「完全麻酔」ではなく「和痛分娩」ということで、そこから23時9分までの出産は壮絶でした。

「子宮の開きが遅いねえ」と妊娠促進のホルモンを投与され、また麻酔しているので水を飲んではいけないから、水分補給のための点滴もして、管だらけになりながら必死で痛さに耐える奥さんの姿にはもう感服しました。

途中で赤ちゃんの心拍が戻ってこない、と助産師さんの顔が静かに青ざめ、いろんなところに電話されていたときは生きた心地がしませんでした。幸い、妊娠促進剤をちょっと弱くしたら心拍が戻って、「赤ちゃんがちょっと早いよって言ってたんやな〜」と言いながら、しかしなんとしても12時をまわる前までに出産をしたいということで、最後は吸引分娩で赤ちゃんが出てきました。

か弱い、けど力強い泣き声。

御多分に漏れず、感動してしまいました。ちょうど中学の同級生のカメラマンの奥さんが1ヶ月半前に出産をして女の子を授かっていて、「どうだった?」と聞くと「自然と涙が溢れた」と言ってたんですが、こういうことかあ〜と病室でしみじみしていました。(涙は出ませんでしたが、奥さんの痛がりようが尋常ではなくそっちの方にも大きなショックを受けたからだと思います)

その出産からもう2ヶ月半。出産後の2ヶ月間は奥さんの授乳トラブルもあって、なかなかまとめて眠れず非常に体力的にキツかったんですが、それでも小さい我が子の顔は何よりも愛おしく、ずっと横で寝ていたいくらいでれでれで幸せな日々でした。

そんな息子の寝顔(よだれだらだら)を見ながらふと、「20年、30年後にこの子が大きくなった時に、自分と同じ幸せを感じられる世界のままにしないといけない」と強く思ったんです。

お産前までの過去

20代半ばから30過ぎまで、塾や家庭教師で主に英語を教えながら売れないシンガーソングライターをやっていて、なんとなく、まだ子供もいないし子供ができる見込みもないくせに「未来の子供のために」という思いで曲作りをしていました。塾講師や家庭教師をしていたのも、自分は漠然と「子供」に惹かれる習性があるからだと思います。

「未来の子供のために」とは一体どういうことか


かいつまんで説明すると、作曲のテーマに「反戦」を据えて歌を作っていました。自分は被爆四世で、祖母が小学五年の時に母親(曽祖母)を広島の原爆で亡くしている、というルーツがあります。祖母自身は疎開先で原爆を免れたんですが、その疎開先で曽祖母の死を知らされる数日前に、曽祖母がたくさんのクロアゲハと共に夢に現れたそうです。

そんな、物語のような本当にあった話が、ずっと「過去の昔話」のままであってほしい。そういう思いで歌を作って活動していました。いつか子供ができたときに、その子に「俺はこんな歌を作ってたんだ」と言うために。結局自分の作った歌は社会にほとんど影響をもたらすことはできず、今、(これは自分の考えですが)戦争に向かって着実に進んでいると感じています。

※祖母の黒い蝶の夢の話を聞いて作った曲です。限定公開ですが、おヒマな時にご視聴ください。


YouTubeでの活動


2018年9月に、26歳から6年続けたシンガーソングライター活動と塾講師をやめ、半年間はフリーランスの家庭教師一本に。そして2019年4月から職業訓練制度を使ってWeb専門学校に2年間通いました。そこで出逢った同い年の今の奥さんとYouTubeでの音楽活動(ねるひる-歌で英トレ🎙-というYouTubeをやっています)に移行した時も、基本は同じでやっぱり「未来の子供」をイメージしていました。

そうやって目に見えない「未来の子供」のために色々クリエイトしてきたところに、「リアルな自分の子供」が現れたのです。よだれだらだらの我が子と接する中で、奥さんの「よだれ族」をなんとか世に出すことはできないだろうかという考えが自分に芽生えます。これが、よだれ族さんたちがNFTの世界に産まれるまでの、ざっとしたお話です。

※この記事を書いてる最中に、ちょうど弟夫婦から連絡があり無事に姪っ子が産まれたとのこと!!!!!!!!

よだれ族のコンセプト

こういう背景で産まれたよだれ族さんのコレクションコンセプトは、シンプルに、「Love&Piece」です。「よだれだらだら眠れる世界」って、愛と平和が無いと絶対に成り立たないですから。

先日、『「よだれだらだら眠れる世界」というよだれ族さんの夢とデザインの関係性が迷子w』とツイッターで言って頂きました。

世界がもしも安全に眠れる場所でなくなってしまったら、世界からよだれが消えてよだれ族さんたちは絶滅してしまいます。

コンセプト実現のための「ごみ拾い」

自分たちが生きる場所を確保するために、よだれ町の番人「よだれ組」の侍達がごみ拾いをする、という活動を9/15からスタートしました。

このごみ拾いのきっかけになった出来事があるんですが、それはまた別記事で書いていきます。

最初は拾ったごみをバックにpfpコレクションを作成していたのですが、それだとNFTアート・ごみアートとはちょっと呼べないし、何よりあまり楽しくないので、ジェネラティブごみアートにすることにしました。(ツイッターでの反応も、ジェネラティブの方が断然良いというのもあって)

1番最初に作ったpfp


ごみ写真をジェネラティブ加工したpfpサンプル

https://twitter.com/SpiceCurryPri/status/1571892536666624000?s=20&t=Angfg391aofXu_3XXcnS_g

よだれ組の侍さんたちが、ごみを退治しに行くというコンセプトでやっていこうかと記事執筆(2022.9.20.TUE)時点では考えています。


価格は0.002ETHスタートのoffer制にして、ある種寄付を募る感じにしたらどうかと考えていますが、この辺はまた別記事にまとめていきたいと思います。


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