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Bristol connection の原点

英国ブリストルとのつながりは、わたしたち夫婦がまだ大学生のころ。
当時はよく池袋のWAVEや渋谷の宇田川町あたりでレコード屋さんに足しげく通っていた。
下北沢のZOOで瀧見さんのLove Paradeに行ったり、その後店名がSLITSに変わってからは日替わりでたくさんのイベントに通っていた。
そのころ出会ったMoonflowersというバンドに興味を持ち、当時の友人たちと作っていたフリーマガジン”grassroots”でインタビューしよう!ってなったことがきっかけ。
Moonflowersは確か瀧見さんがremixかどこかで紹介していたんじゃなかったかな。
当時はインターネットもSNSも無くて、FAXや国際電話でのやりとり。
イギリスに旅行に行くと話したら、遊びにおいでよ、と当時のわたしたちにしてみたら夢のような話で、とんでもなくトリッキーな経験だったのだけど、その話はまた今度。

その後わたしはサラリーマン、E-JIMAは江古田の大学前にあった中古レコード店で働き始める。
リキッドルームで定期的に開催されていたDBS(DRUM & BASS SESSIONS)でMORE ROCKERSで来日していたロブ・スミスと出会う。
これがまた大きな分岐点となった。1997年のこと。
この時のDBSはJAH SHAKA初来日で、MORE ROCKERSはスペシャルゲストの扱いだった。

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この年1997年の9月、ブリストルでロブと再会。
ここからFlynn & Flora、KRUST、DIE、SUVなどFullcycleのメンバーやRay Mighty、Henry & Louisなどのドラムンベース、レゲエ、ベースミュージック方面にもどんどんとコネクションが広がっていったのだった。

この1997年9月のE-JIMAのブリストル訪問日記はこちら

タイトルの写真はE-JIMAが20年1月に入院後、ゆかりのあるブリストルのミュージシャンたちが治療費のためにドネーション・アルバムを作ろうと立ち上がってくれて、写真撮影をしてくれたときの一枚。
本当に素敵なつながりだし、何より本人が一番うれしかったと思う。
残念ながら生きているうちにリリースは間に合わずでしたが、残された私たち家族にとっては本当にありがたく、何にも代えがたい宝物です。

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このコンピレーション・アルバムはブリストルだけでなくトーキョーのミュージシャンたちも参加してくれて、全64曲入り!のアルバムとなりました。
ちょうどコロナが蔓延し始めた時期と重なって、ミュージシャンもアーティストもDJも、レコードショップも誰もかれもが大変で辛い時に、こんな愛に溢れた作品を無償提供いただけたこと、本当に感謝しています。

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