パニック障害は自分には関係ないと思っていた私の話③

交差点での渋滞の悲劇を起こした後も、仕事がある限り運転をしない訳にはいきません。

片道50キロかかる山越え、交通量の多い道。アカペラでのカラオケタイムであったり、景色を眺めて季節を知ったり…私にとっての楽しい時間は、あっという間に苦痛の元となってしまいました。

「けど仕事は行かなきゃ」

自分に言い聞かせ、PTSDなんかないはず、大丈夫大丈夫と誤魔化しながら日々運転していました。しかし、狭い道路に差し掛かった時、渋滞に巻き込まれそうになった時…いてもたってもいられない不安感が生まれ、コンビニの駐車場や広い路肩に停車せざるを得なくなることが増えてきたのです。

ハンドルが握れない

すでにその頃は処方されたデパスにすら「ラムネかよ!」と見切りをつけ「健康診断で問題なかったんだから後は気合!」と昔のニコレットのCMの舘ひろし氏ばりに、誤った認知で過ごす毎日でした。

しかし、日に日に運転出来る距離は短くなるばかり。不安感を無視して運転を続けると、ものの見事に動悸と震え、過呼吸に襲われるようになったのです。

「この道なら行ける」そう思って運転→発作を起こす、まさに負のループ。「この道路で発作が起きた…また起こすかも」と坂を転げ落ちるように、ついには東西南北どこにも遠出が出来ない状態となってしまいました。

記憶を消したい

発作が起きそうな時は前兆がわかります。ソワソワした不安感から発作は始まるのです。もうその前兆だけで私は心が折れてしまい、たった200m先の交差点を越えることも出来ません。停車した車内で1人、ひたすらに「都合よく発作を起こした時の記憶だけ消したい」と泣きながら思いました。

「病院行こう」

今振り返れば、まさに予期不安→広場恐怖症のテンプレな症状です。しかしパニック障害の病名は知っていても「芸能人が最近カミングアウトしてる病気かー、死ぬ程の苦しい発作って言っても死なないのにー」くらいの感想しか持っていませんでした。

この頃の私、チョコラータ並みにボコボコにしてやりたい!(ジョジョ第5部)

みるみる弱っていく私を見て、親は言いました。「病院行こう」と。

ここまで書いておいて何ですが、極めて個人的な病気の話、長いですね涙。読んでくださった方、本当にありがとうございます。

もうちょっとだけ続くんじゃ()