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人によって自由を感じられる部分が異なる

この間ジョージアという国について話を聞いた。1年間ビザが無くても過ごせるらしい。ビジネスに関してもまだルールが定まっておらず許可申請のハードルが低い。言語は母国語をグルジア語とし、英語はまあまあ通じる位らしい。物価も安い。

初めて海外に住むという選択肢が生まれた。面白そうだ。行くまでには何個かやっておきたいことがあるから、それが終わり次第行くことにした。なるべく早い段階で行かないと国のルールが形成しはじめてからでは、僕が味わいたい、日本では味わえない感覚を感じられない気がしてしまう。

選択肢を広げることは不自由を認識し、自由を見出すということだ。自由は不自由を知ることで形成出来る。つまりなんでも出来る世界は元々あるが、不自由によってそれを知ることができ、それにより現状認識していない自由を認識できる状態にする、作ることが出来る。自由の中には不自由が含まれており、それは環世界において発生する。環世界とはある環境において人それぞれ認識してる部分が異なることを示すこと。例えばある部屋で人間と犬とハエがいた時、それぞれの世界の見え方は異なるが、環境が変わっている訳ではないということだ。それが人によっても違うということ。優先順位と思考の流れと知識量が人によって異なるからだ。

つまり人によって得たい、感じたい自由が異なる。だから自分で見つける、作る方が自由を認識出来る確率が上がる。自分の感覚を他者に100%伝えることは不可能に近いから。

おわり

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