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ぶつかり

人間は約二万個の細胞から作られており、その細胞は親の精子と卵子からなっている。その親の親の親は・・・と繰り返すと宇宙のどこかからやってきた生物ではない元素の集まりが親となり、その素はどこからやってきたのか分からない。宇宙は約137億年前にもともと何も無いところから揺らぎによって膨張を始めたとされるが、僕はもともと何かがあったのではないかと想像する。そもそも無いという状態が存在しないのではないか?と考える。宇宙の外側にも現在観測出来ない何かがあり何かの拍子に動きが生まれぶつかり広がっていったと妄想している。無い、0というのはもともと満ちていた箇所に囲いを作ったことによる余白というイメージでそこに何も無いという状態は存在しない。0があるからだ。ドーナツの穴はドーナツがあるから穴もあるし、穴があるからドーナツでもある。穴のないドーナツもあるけど、僕は好きじゃない。だからもともと何かで満ちていた空間で何かが起きて何かがゆらいで何かがぶつかって別の何かが生まれての偶然で今の僕になっているのだろうという妄想をしている。

 そのルーツだったとして、僕は誰かや何かとぶつかることなく存在することが出来ない存在なんだと仮定する。ぶつかるというのは対立するとかケンカするとか殺し合うとか肩と肩がぶつかるとか言葉と言葉を交わすとかセックスするとか話をするとかご飯を食べるとか電車で満員電車に揺られるとか好きな人が出来るとかデートするとか相手を傷つけるとか傷つけられるとか仕事をして上手くいかなくて怒られるとかそのストレスを発散するために誰かに八つ当たりするとか美味しいご飯を食べるとか誰かに優しくされるとか慰めてもらえるとか育ててもらえるとかハグされるとか手を繋ぐとか朝起きるとか夜寝るとか夜起きて朝起きるとかそういうありとあらゆる生きていて起きうるものが起きる可能性がいつでもありそれがいつか認識出来なくなる時がいつか訪れるということなんだろう。特定のぶつかりを避けようとすると何か別のぶつかりになる。そしてそのぶつかりを何とか取捨選択してコントロールしたいという感情が人間にはありそれを頑張っている。そのぶつかりの法則を物理とよんだり化学と呼んだり論理や運命や神や法律や経済と呼んだりすることがある。

ぶつかることが僕のルーツであり、ぶつからないこともまた僕のルーツであるが、一度もぶつからずその後ずっとぶつかり続けないということは絶対に出来ないだろう。

人間には寿命がある。この寿命というのは死ぬまで自分が受け取れるぶつかりを認識出来る時間の終わりだ。自らその時間を終わりにすることも出来る。その時間をいつにするかは寿命が来るまでは自由だ。

ルーツであるぶつかりはエネルギーとも連想出来る。全てはエネルギーだ。もはやエネルギーだらけで認識しづらくなってるけど全部がエネルギーだ。扱いやすいしにくいがあるだけだ。人間もエネルギーだ。僕は1番サステナブルなエネルギーは人間だと思っている。だから人間のエネルギーを有効活用することが出来れば持続しやすい世界が作れると思っている。人間がサステナブルなエネルギーだと感じた理由はエネルギーの選択が狭い範囲だけど可能だということだ。ここに効率というものが生まれて、少ないエネルギーで大きなエネルギーを生むことで持続しやすいという考え方が生まれると想像したからだ。選択が無いとエネルギーを集めておきづらくなる。エネルギーはぶつかったらそのままにはならない何かの形に変わり別のエネルギーになる。人間が認識出来ないだけでエネルギーはありとあらゆる形で存在する。

人間はそのぶつかりの中で感情というものを感じる。エネルギーである自分が他のエネルギーと関わり合い対立したり融解したり膠着したりする。そのタイミングで感情を感じる。感情もエネルギーだ。僕はこの感情というエネルギーがサステナブルなエネルギーだと想像している。

この世界は偏っているというものが存在しない。バランスが悪い状態というものが存在しない。宇宙の始まりから今現在までゆらぎの連鎖がずっと続いている状態でその法則から逃れるという状態が存在しない。人間としての寿命や死は自己認識が無くなるというだけでこの連鎖から逃れるという状態ではない。
死んでもこのゆらぎの中から離れることは無い。これを輪廻と呼ぶのだと想像する。そこから解脱したと言われているブッダのことが嫌いです。悟りとか解脱とか存在しない。あえてありうるとしたら感情を無くすということがそれにあたると想像する。ぶつかりとはエネルギーであり、その一つ一つの何か事態もエネルギーだとしたらそのエネルギーのゆらぎ事態もエネルギーでありそこに個という感覚を無くしぶつかりの中で感じる感情を無くし全て私であるという感覚に至るということで巡るとか死んだあととか今とか輪廻とかそもそも全ての変化、エネルギーであることという感覚が無くなるという状態を言うのだろう。くそじゃん。

ただその道中に至る中で人間の負の感情が和らぐことがあるだろうとは思う。

ありとあらゆるエネルギーがどう動きどう変化するのかを知ればその後どうなるかを予測出来るようになる。AIにもまだ出来ないし、人間にもまだ無理だと思う。でもたぶん出来る。0を作ってそこでどういうエネルギーの法則があるかを設定してその通りにエネルギーを流せば良い。つまり限りなく何も無い状態を作れば予測出来る、コントロール出来る世界を作ることが出来る。物語というのはそういうことでそれが出来る人というのは素晴らしいと思う。ありがとう。その物語の中に自分という存在を加えて世界を構築し存在するということは不可能ではないと思う。その結果すべてが予測出来る世界を人間が創造し体感することが出来る。ただし感情と寿命と認識というエネルギーをどうするかという問題がある。自分が自分を認識するとは一体なんなんだろう。僕の認識する世界と他者の認識する世界は同じなのだろうか。あなたと私はそもそも同じ世界に存在しているのだろうか。宇宙の大きさとは何の大きさなんだろうか。こうやって考えても何も分からないことを文章と呼べるかわからない状態にして入力するエネルギーは次にどんなエネルギーに変化していくのだろうか。このエネルギーはもともとなんだったのだろうか。エネルギーをどう扱うか選択出来るとはいえ全てを選択することは出来ずその最たるものを感情と置いている僕は感情をコントロールする、される時代に生きている。なぜならこのエネルギーが1番効率が良いエネルギーだからだ。


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