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退屈して借金して4年後に自己破産した話#2

まずカードローンで150万借りた。そのあとキャッシングができるカードを作れるだけ作って借りられるだけ借りた。大体300万円くらいになった。借りる前と借りた後で想像していたよりも心は動かなかった。そこから僕は金銭感覚をぶっ壊すためにやりたいことをやりまくった。返すことは全く考えていなかった。
・食べたいものを食べたいだけ食べる
・服装もちゃんとして高級フレンチに行って女の子におごる
・クラウドファンディングで投資する
・車イスに乗って電車に乗る
・ガールズバーに行きまくる
・スカイダイビングする
・ダイビングの資格を取る
・動画を撮って編集する
・音楽を作曲する
・欲しい本を買う
・南の島に移住する
などした。今までだったら、その行動に対してどれだけメリットがあるかとかリターンとかリスクとかお金とかいろんな判断基準があってそれに見合うものを選択していると思っていた。選択をせざる負えない状態で選んでいたことが多かった。それが、ただやりたい、興味がある、欲しいという欲望に忠実に行動した。あっという間にお金は無くなった。初めて学校にも職場にもいかず、行かなくてはいけない場所もなく、眠くても起きなければならない生活をしてめちゃくちゃ幸せを感じた。のんびりして、思いついたことをすぐ実行できてめんどくさいことは何一つやらず生きた。自分の欲を自分で満たすということが楽しいことだということを知った。

今まではなにかの制約のもと叶えられる欲望を叶えていたにすぎず、自分がやりたいことをやりたいようにやるということがどれだけ気持ちがよいことか知った。ただそれは長く続かなかった。どれだけ贅沢をしても、お金を使ってもこれから自分の人生は長くそして自分の欲を満たしきるということは永遠にできないことに気づいた。そしてそれをし続けるために必要なお金はいくらあっても足りないことに気づいた。南の島でのんびり暮らしても、徒歩1分できれいなビーチで海や山を眺めても、3日もしたら日常に戻った。僕はお金を使って非日常を味わい刺激にまみれ心を動かしていたが、それは長く続けることはできず、非日常はいずれ日常に変わり、また退屈な日がやってくることが分かった。それは仕事を変えても、住む場所が変わっても、人間関係が変わっても変わらないことだった。このあたりで自分が退屈な人間だからということに気づいたが、じゃあ自分を変えよう!なんて思いには至らなかった。なぜならそんなめんどくさいことはしたくないからだ。

僕はめんどくさがりだ。僕のめんどくさがりとはどういうものか考えてみた。やりたいことより面倒で困難なことをやりたくないし、失敗したくないし、やったところで心が動いても、ものの数秒でコスパは悪いし、キャリアなんてものはとっくのとうに積み上げていないし、改善しないと我慢できないような不満も、困難もなく、ただ生きているだけで十分で、とにかく嫌な思いをわざわざする必要がないと思った。これが僕の面倒くさいだ。

南の島でネイチャーガイドの仕事をしていたが、コロナがやってきてショップのオーナーから事実上クビを伝えられた。前々からウマが合わないことがあったし良いタイミングだと思って次の仕事を探して福岡に行きついた。1か月でやめて次は大阪。また1か月でやめてまた福岡の田川市に行きついた。僕はこの田川市で約1年半何もしないで過ごした。何もしないというのは無理に生産的な活動をしないということだ。居心地をよくするために無理に関係を作ることをしなかった。話を合わせたり愛想よくしたりしない、挨拶もろくにしない。わざと離れるのではなくただ自然のままにあるがままでいた。話たいと思ったときに話をして、食べたい時に食べ、寝たい時に寝て起きたい時に起きた。健康や将来のこと未来のことを何も考えずただただ存在した。とても健やかだった。でも心はほとんど動かなかった。嫌なこともなければ良いこともないディストピア映画みたいな感じになった時もあった。幸運だったのは人間関係をまったく築こうともしないし何もしない僕を悪く言う人が一人もいなかったし、受け入れてくれる人がたくさんいたことだ。僕は自分が自分一人でできているわけではないということを初めて実感した。もしかしたら裏で悪く言う人もいたのかもしれないと思ったが、借金まみれで仕事もなく僕と無理に仲良くする必要が全くない状態で無理に関係を取り繕う必要がないのにそんなことしないかと思った。無敵だった。働かなくてもただ存在しているだけでよいということも分かった。ただ退屈だということに変わりはなかった。でも退屈が悪いものだとは思わなくなり、退屈を紛らわせる術を身に着けた。僕が生きていくためには働かなくてはいけないのではなく、生きていくためにお金が必要なのではなく、生きるためには空気と屋根のある部屋、2度の食事、睡眠が必要なことが分かった。冬は1週間くらい、夏は3日お風呂に入らなくても自分で自分を許せなくなることがないことが分かった。お金を使わなくてもいくらでも時間をつぶせることが分かった。働かなくても生活保護を受ければ生きていけることも分かった。息をするように僕にできることがたくさんあることが分かった。他にもきっとある。この1年半はとっても面白かった。

自分の軸で選択した結果想定外なことは山ほど起きた。借金をしたことで出会った人がたくさんいて、面白い出来事がたくさん起きた。これらは偶然起きた出来事だけど自分の軸で自分の選択をすることでそれ以降の出来事が奇跡的なことだと実感することができた。実感することができるというのは僕にとって、とても大事なことだと分かった。人生において、本で読んだり動画で見たり聞いたり、人から言われたことやアドバイスは選択肢を広げることに役立つが、自分にとって正しいとは限らないと思っており、全く信じられないからだ。僕の人生を生きた人は僕しかおらず、僕のことを僕以上に考えている人は僕以外存在しない。もちろん僕が考え付かない部分を考えてくれる人はいるかもしれないが、大体は優先順位や気持ちが抜けていることが多い。孤独とはこういうことなのかもしれないが、僕は孤独が結構好きだ。

もう何がどうなったとしてもいいやと思うようになった。退屈でもいいし、ただ生きているだけでも良い。やりたいことがあったらやってもいいし働いてもいい。失敗してもいいし、人に傷つけられてもいいし、傷つけたっていい。自分の選択を一回でもして生きていればその後の人生がどうなろうがすべて奇跡になるということが分かって考えることがなくなった。一年半いた田川を出てまた働くことにした。暇になったからだ。あと彼女もできた。

つづく

サポートしていただいた費用はたばこと生活費になり僕の血と肉と骨になってまた書けます。