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「一緒に遊ぼう?」って誘えない。怖いから。

最近やりたいことがどんどん湧いてくる。
実現するために何が必要で、どうすればいいかを考える時に必ず自分1人だけでは出来ない現実にぶつかる。僕がやりたいことが他の人にとって良いことなのかどうか良く分からないし、何より自分がやりたいことを実現できても、手伝ってくれた人に何を返してあげたら良いか分からない。その点お金は便利だと思った。でもお金もない。その後考えることは実現したら、相手にも良いことがあって、自分も嬉しい状態にすること。そのためには自分と相手の最大公約数を探すか、歩み寄りによって新しい良い目的を創り出したい。で、それをするには相手の意見を聞きたい。知ってる人だったら直接聞ける。聞ける状態であっても僕に教えてくれるかどうかは分からない。伝わり方が違って目的からずれることもある。

根本で自分だけにメリットがあるものは嫌いだとわかった。なのに、結果自分だけにメリットがあるのではないかと思ってしまうことで、行動に移せない、移さないことがあることに気づいた。

ここでタイトルに戻る。
僕は誰かを自分のプロジェクトや遊びに誘うことが怖い。
何が怖いか。
自分が面白いと思っていたことが相手にとって退屈なものだったら嫌だし。良い時間にしてほしいと思う。でも、そんなことばかり考えていると自分が楽しめなくて、そんな自分が嫌だと気づいた。

具体的にそういう体験があったわけではないけど、幼い時から友達と遊ぶ時に自分から誘ったことがないことを思い出した。

幼い時から今現在まで。

もちろん自分から誘って遊ぶこともあるけど、
その時は相手が楽しんでるかどうかを気にかけてしまっていた。
僕は遊びに誘ってもらえることに優越感を感じているんだと思った。
他の人は誘ってないのに、僕を誘ってくれたと嬉しくなった。必要とされている感覚を感じていたいのだと思う。だから、誘われた遊びは一見つまらないことも楽しめるよう自分を合わせていった。(誘われた遊び全部が自分を変えて合わせているわけではなく、一部ね。基本何でも楽しめる人だよ)

デートは自分から誘うんだけど、めちゃくちゃ好き。楽しくなくてもいいと思ってるから。素を出せる人を好きになって、デートするから問題ない。でもいきなり素を出すのではなく徐々に出すから、どこかのタイミングで相手からストップがかかってだいたいの人にこんな人じゃないと思っていたと言われて別れる。悲しい。

脱線したけど
自分から相手を誘うことが怖い理由は
きっと自分が傷つきたくないだけなんだと思った。
断られたり、遊んでも退屈させちゃう自分を受け入れたくないのだと認めた。

じゃあこれからどうすればいいか。
切り替えの早い自分は好きだ。相手を置いてけぼりにするくらい早い。

誘うことに慣れて、相手に楽しんでもらいながら、自分も楽しめるようにすれば全部解決だ!

「それを自分だけで考えるのは疲れてめんどくさくなっちゃうから一緒に考えてくれる人がいたら協力してほしい。」

↑この「」の誘い方が僕が今までやってきた誘い方。協力してほしい。とか、どうかな?とか
否定されることを元々考えていますよっていう意味を含めていて傷つきたくない感を意識せずに出てしまっている。

さっきまで長々と振り返って自分のことを認めたのにもかかわらず、少し経つともうこれだ!
なかなか自分を変えることは難しいね笑

自身を持って誘おう。

「1人で考えてるの寂しい!形にしたいけど1人じゃできない!助けてほしい!
退屈させちゃったり、自分のことしか考えないで話すことがあるけど、ごめん!許して!笑」

つづく

サポートしていただいた費用はたばこと生活費になり僕の血と肉と骨になってまた書けます。