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『月夜の森の梟』について2

 朝日新聞に毎週、50回に渡り連載された文章を1日で読んだのは、精神的にきつかった。作家がじっくり考えて書いたものを一気に読むのは、やめた方がいい。思いが私にも伝染し、胸が苦しくなってしまった。

 余命を意識した夫が、毎日軽井沢の風景を眺め、野鳥の鳴き声を聞いた。「こういうものとの別れが、一番つらい」。長く軽井沢に住み、その自然と動物と一緒に暮らして、自分の一部になっていたのだろうか。

 私は考えた。余命宣告された者と見送る者は、どちらが辛いだろう。比べられるものではないが、考えてしまった。死ぬのは一生に1回、見送りは何回遭遇するか分からない。いや、生きられる期間が決まっているから、相手を残して先に逝く方が辛いかもしれない。自分だったら見送られたくないと思った。

  著者が、両親の死を織り交ぜて書いていたのは、夫と両親を見送るのは違うと言いたかったからだと思った。両親に対しては、寛容な気持ちで接することができても、夫にいらだちをぶつけられると腹がたった。看病する側の大変さが理解されないことに怒り「もうじき解放されるよ」と夫に言われ、怒りが悲しみに変わった。

 死を前にしても、夫婦は相手の反応を求めて喧嘩する。老いて穏やかになると思っていた著者は、それが誤解だったと気付く。老年期も思春期も、どうにもしがたい感受性と日々闘って生きていると書いている。

 それにしても軽井沢のどこらへんに住んでいるか知らないが、いろんな動物が出てくる。フクロウ、アキアカネ、ヤマネ、リス、キジバト、シジュウカラ、シマヘビ、キセキレイ、ムササビ、サル、キツネ。当然、これらの動物の生死にも立ち会うわけで、観察された死は、夫だけでなく両親、動物と重層的である。夫の死だけを書くのは、あまりに辛すぎたから、色々なことを書いたのかもしれない。

 「代われるものなら、自分が代わってやりたかった」この言葉がすべてを表していると私は思った。