ネオユニのお話について(書きかけ

ネオユニヴァースの育成シナリオについて
時系列や詳細な設定などを精査する事なく、感想文を書くのと同じ感覚で雑感を書き殴る。

ネオユニヴァース(ウマ娘)はウマ娘という一種の新しい宇宙に生まれた存在である。
両親もおり、作中での生物としての存在の成り立ちは他のウマ娘と同様である。

ウマソウル(と呼称されるもの)の影響により、ウマ娘宇宙の人間の女性には別宇宙(我々の済む世界)の競走馬の魂がなんらかの形で改変され、転生に近しい形で生を受ける。
→ウマ娘として産まれる

いかにして現実世界とウマ娘世界が繋がっていくのか、という部分に初めて視点と焦点を置いたストーリーとも言える。

まず根底にあるある種のお約束や、明言されていないが多くのプレイヤーが推測の範囲で保持している予備知識として、歴史の強制力というものがある。

これはウマ娘として転生している存在が、転生の元となった競走馬の一生に大きく影響を受け、また、それに関わった厩舎や騎手、馬主やファンの反応などもさまざまな要素となって一個体の性質へと変化する。

その中において、とりわけ誕生と死は色濃く影響を受け、次いで体の丈夫さ、それに付随しやすい競走成績、それを取り巻くエピソードなどが複雑に絡み合い、新たな生を始める。
そして歴史の強制力と書いたものについてだが、そちらはウマ娘世界においてのウマ娘の生き様は、「現実世界で競走馬が辿った運命の大筋をなぞる形で未来へと進む」事を、柔らかく強制されているという事象に対する表現である。

ここで柔らかく強制されていると書いたことに対する自分の考えとして、ウマ娘はまず身体的構造が競走馬と異なる事や、人格形成などに周囲のファクターがミックスされて誕生した存在であるため、100%正確に運命をなぞらされる事は無いと結論付けている。

同一存在でなければそれはもちろん新しい運命を辿る自由も同時に与えられている。
しかし、だからといっても依然として生と死や体の丈夫さなどについては、比較的強い強制力を持ち、現実世界と同様にウマ娘の人生に強く影響を与え続けるファクターとなる。

サイレンススズカのメインストーリーについては、その強制力からの、ある種の呪縛からの離脱が描かれていると個人的に思っている。
アストンマーチャンのシナリオにおいては、運命そのものが大きく現実世界の影響を受けた上で、彼女のウマ娘としての人生に分岐点を与えている。

話が大幅に脱線したため、今一度ネオユニヴァースの育成ストーリーについての大筋について乱雑に振り返る。

まずネオユニヴァースは自身のウマ娘としての存在について、他のウマ娘に比較して「異質である」という自覚を持っている。
これは“摂理”の外にいる存在である事であり、その主たる要因としては多元宇宙の観測が可能である事が最も大きい。

もう少し噛み砕くと…
ネオユニヴァースは自身が何によって生み出され、どういう歴史の強制力を受け、どのような未来を辿るかを観測する事ができる。
推察を含むものを書き出すとキリがないのだが、考えを整理するために列記する。

ネオユニヴァース(ウマ娘)はネオユニヴァース(現実)によって生み出された。
ただし、それ一つがファクターなのではなく、大幅に端折って表現するならば、

ネオユニヴァースから騎手へ向ける愛
騎手からネオユニヴァースに向ける愛
ファンが自身の存在を望むことによる愛
競走馬ネオユニヴァースに関わった多くの関係者の愛
ウマ娘として転生後に多元宇宙内で別の運命を辿ったネオユニヴァーの想い
競走馬ネオユニヴァースを取り巻く人々の(ヒトソウル)的なものを受け継いだトレーナーによる想い
多元宇宙のトレーナーの想い

が作用した結果、
育成ストーリーで描かれる結末、という新しい運命が紡ぎ出される。

ネオユニヴァースがグッドエンド内で「彼ら」と表現するのは、言い方を変えれば全ての「自分以外の自分」であり、それと合わせて「自分を取り巻く多くの存在」を含むと考えられる。
「自分を含む多くの存在」とはメタな言い方をすれば、運営元であるサイゲームスや、ネオユニヴァースの存在をウマ娘内に望んだファン、(もちろんフィクションだが)競走馬ネオユニヴァースの死後残る想い、など実に多くのものを愛と表現した上で、転生→グッドエンド世界への到達へのファクターとして表現されている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?