私について(前半)

前回の初投稿たくさんの方にアクティブ頂きましてありがとうございました😊

見られてると実感すると、もっと頑張らなきゃと言う気分になります。
別にそんな頑張る必要もないんですけどね。笑

まあとりあえず、何から書くのがいいのか分からなかったですけど、きっと私が今から持論をたらたら語ったところで皆さん何も感じないだろうと思ったので、私の生い立ちというか、私の人生?について書いてみようと思います。


私は東京都でうまれ、東京育ちです。
家族構成は母、妹の母子家庭3人家族。

父は私がまだ小さい頃に借金を積み重ね、母と離婚しました。
その当時家が持ち家だったのでそこが差し押さえになり強制退去になりました。
いや、あの頃の恐怖と言ったら凄かったですね。私も妹もまだ小さく何が起こってるかよくわかりませんでしたが、消費者金融、銀行から毎日電話や郵便物、電報なんかが止まりませんでした。本当にすごいんですよ、電話の量が。

学校から帰ってきて夕方ごろから家にいると本当に10分に一回くらいそういった電話がくるんです。その当時から私は家の固定電話がなる音が嫌いです。

まあそんなこんなでもちろん母に引き取られ3人で暮らしていましたが、そこからまた私は地獄でしたね。

少し話はズレますが、私は顔体型性格すべて父親になんです。逆に妹は母に全てがそっくりなんですよね。


なんとなくわかりましたか?
そうです、父親に似てるということであたしは毎日理不尽に怒られて喧嘩するたびにボコボコに殴られていました。
母親と1年口聞かないとかザラでした。

両親の離婚が成立したのがあたしが中学1年生の頃だったのですが、中学の多感な時期、少し友達と悪さをした時も、門限を過ぎた時も、顔がパンパンになるまで殴られ、トイレに行こうとすると大声で、まだ生きてるのー?なんで死なないのー?とい言われていました。笑

その当時は私の親は他の家庭よりしつけが厳しいお家なんだなくらいにしか思っていませんでしたが、今考えるとあれは確実に行き過ぎた行動をされていたんだなと思います。


そんなこんなで大学に入学し、19歳になった私に人生の転機が訪れます。 

その当時母親と口を一切聞かない生活を続けていたのですが、あることがきっかけで、母親の堪忍袋の緒が切れたんでしょうね、あたしが学校に行ってる間に家の鍵を変えられました。

そしてラインでひとこと、家の鍵を変えました。さようなら。とだけ来ていました。


流石にその場で親に連絡し、出て行くのはわかったから家にある教科書と服を返せ、今日の夜とりにいくと連絡しました。

そして荷物を取りまとめた後に私が大学に通うために借りていた奨学金が振り込まれる通帳を親に盗まれていたので返せと言いました。

そして、その通帳を投げられ、それを拾い中身を見たら、30万ほど入っていた奨学金と少し貯めていたお金、全部盗まれました。
話を聞くと、お前の私に対する慰謝料だよ、でてけさようならと家を追い出されました。

まあもちろん19なのでお財布にそんなお金も入っているわけがなく、これでは満喫にも止まらないので、地元ですごく仲の良かった女の子を呼び、事情を説明したら快く家に泊めてくれました。そして新しいお家が決まるまでいていいよとその子の両親にも言っていただきそこから居候生活がスタートしました。


長くなりそうなので、前半後半にわけようと思います。


ここまで見てくださった方ありがとうございました。