私にとっての「信念」~スキマスイッチが教えてくれたもの~

私がスキマスイッチのファンになったきっかけは、その圧倒的なライブパフォーマンスだった。
とあるきっかけでなんとなくライブに足を運ぶことになったのだが、ボーカル大橋卓弥の歌のうまさ、ピアノ常田真太郎とサポートメンバーの演奏力の高さ、それらの相乗効果から生み出される音の波に抗うこともできず飲み込まれた。
そしてMCはうってかわって面白い。二人の人柄がよく分かる。ライブ参戦後、そこから彼らの音楽にのめり込むまでに時間はかからなかった。

これまで私はずっと、スキマスイッチのライブで感じたとあることを、文字に起こしてどこかに発信したいと思っていた。しかしそうこうしているうちに数年が経ち、気がつけばこのコロナ禍。その中で彼らが立ち上げたツアーを見た時、ようやくひとつの文章にまとめられそうな気がしたので、今回筆を取った。

まず、この話の核となる一曲を紹介したい。それはアルバム「スキマスイッチ」に収録されている「SF」である。
イントロはピアノ一本で始まり、ループされるコードにメロディーを乗せながら、ドラえもんの道具に擬えて、「現実世界では出来ないこと」が歌われる。
間奏を挟んだ後、ラストに歌われる歌詞がこれだ。

「何も出来やしない 不思議なポケットなんてないけど 大切な人の涙を僕が止められたなら
君がいるから 今日もギターをかき鳴らして 歌う」

アーティストにとって、音楽を聴く人がいるなら歌い続けていくという決意が込められた歌詞。
初めはファン思いでいれくれて嬉しいなぁ、くらいに思っていた。

このアルバム「スキマスイッチ」のツアーは2015年に開催され、始めは名古屋公演だけ参戦した。
しかしその後、とある公演でのMCでの発言をきっかけに、彼らは不特定多数から非難を浴びることとなってしまう。

大好きな人が否定されている。SNSでファンが擁護するもその言葉が潰されていく。この状況がすごく怖かった。
そうしてだんだん、彼らに何か出来ないだろうかと考えるようになった。
その中で前述の名古屋を振り返ってみた。私たち以上に彼らは楽しそうだった。バンドメンバーたちと音を鳴らす喜び、目の前で楽しそうにしているお客さんを見るときの優しい瞳がとても印象的だった。そうしてもう一回ライブに参戦して楽しむことで、おこがましくも彼らに力を与えることができるのではないかという結論に至った。

私は人見知りなのでSNSで知らない人に声をかけるなんてもってのほかなのに、神戸公演のチケットの譲渡を希望してる人にみずから声をかけ、ファンではない友人に声をかけて当日一緒に行く約束をした。「好き」が原動力になるとはこういうことなのか、と今振り返ると思う。

そして迎えた公演当日。直前の公演が大橋さんの喉の不調で中止となったこともあり、始めはハラハラしながら見ていた。しかし後半は声の伸びもよくなりいつも通りの姿を見ることができた。

そして一番最後に歌われたのが「SF」。
あの象徴的な歌詞が歌われた後、アウトロに入った。
原曲のアウトロはイントロ同様ピアノ一本で終わるのだが、ライブではその前にぬサポートメンバーたちが奏でる多くの楽器の音色でアウトロのメロディーをループし、それが最後の歌詞を後押しするような力強い音となって観客の胸を打つ。
このとき、メンバー一人一人が全身全霊で音を鳴らしていた。それは名古屋公演とは全く違う音で、まるで命そのものを演奏に全て注いでいるようだった。
悩んでライブに赴いた私に、何があっても歌い続けること、そして音を鳴らし続けること、それは決して諦めないんだという決意を2人と、サポートメンバーが演奏を通じて伝えてくれた気がした。
私とスキマスイッチは直接会話を出来る立場にはない。でも起こした行動にちゃんとレスポンスが返ってきた気がして、公演終了後、その場で泣き崩れた。
私が本当の意味でスキマスイッチを好きになったのはこの日からだと思う。私もずっとこの人たちについていきたいという決意を固めた1日だった。

それから時は流れて2020年。新型コロナウイルスが蔓延し、満員のお客さんを呼んでライブを行うことができなくなってしまった。そんな中関西から首都圏に引っ越したばかりの私の元に、スキマスイッチが新たなツアーを行うという知らせが入った。
その時点での感染者数は落ち着いていたためあまり迷うことなく東京•中野公演のチケットを取った。しかしツアーが始まったのは12月。首都圏の感染者数は日増しに多くなり、私自身の危機感も強くなり始めていた。

ライブに行くのは2020年2月以来。そして自身の性格上、人が集まるところにわざわざ赴くというリスクをとることに気が乗らず、ギリギリまで悩むこととなった。

最終的に行くことにしたのは前日だった。その決め手となったのは、前述した神戸のライブだった。
このツアーが発表された時、何があっても歌い続けるという彼らの決意が今日までブレておらず、そしてこれが今回のツアー開催の根幹にあると思った。しかし今彼らがどんなことを考えてライブをするのか、それはたとえインタビューなどで何かの媒体に載ったとしても、やはり彼らが鳴らす音を、放つ言葉を、自分の目で見て聞いて、そこから感じたことを整理しないと、自分の中に落とし込めないと思ったのだ。

そして当日。入り口で消毒検温を行うところはすでに習慣化されているので違和感はなかったが、そもそも半数しかお客さんを入れていないため、客席もロビーもガラガラ、会場に入ってからもいたるところに置かれた消毒液、感染症対策への協力を呼びかける開演前のアナウンス。今まで自分が頑張る糧としていた非日常がこんなに変わってしまったのかと、開演前にも関わらず悲しみや悔しさに似た気持ちが浮かび上がってきた。

そして公演が始まる。このツアーはゆったりな楽曲を中心に選曲されており、終始座ったまま聴くスタイルだった。両横に人がいないのもあり、ゆったりと音楽を聴くことができたが、やはり開演前に感じたことが自分の中に引っかかっていたようで、スキマスイッチの二人を目の前にしても、歌声を聴いても、どこか気持ちは重たく、あまりライブにいるという実感が湧かなかった。

そして本編最後に演奏されたのが、あの「SF」だった。

正直このツアーで歌われるかもな、という予感はあった。
でも歌ってしまうと、この楽曲はリスナーの中にかなり重たい意味を持たせてしまうため、歌ってほしくないなとも思っていた。
しかし演奏は始まってしまった。このタイミングで冒頭の「現実には出来ないこと」を聴くのはあまりに苦しかった。特に、

「時間を止めることなんて出来やしない、時間を巻き戻すことも出来ない」

この歌詞には絶望さえも感じた。
しかし、君がいるから今日もギターをかき鳴らして歌うのだ。その言葉を受け取った瞬間アウトロに入る。相変わらず力のこもった演奏。でもステージ上のみんなの想いは2015年と全く違ったはずだ。
ライブをさせてもらえない環境が続いた中、やっと開催できたツアー。彼らも自分の居場所を守るために必死なのだ。そして大切に守り続けた居場所に一人でもお客さんが現れるのなら、歌うのだ。背後に流れるのは宇宙の映像。無限の銀世界に少し希望を見出すことができた。そのとき、ああ、これがライブなんだとそこで実感した。
そして2015年の神戸公演と同じく、起こした行動にちゃんとレスポンスが返ってきた気がして、ライブに行くという私の判断は間違ってなかったよと言ってもらえたような気がして、最終的には映像が見えなくなるくらいぐちゃぐちゃに泣いた。
また、ツアーを行うにあたり、大橋さんは音楽以外でも、言葉で色んな想いを伝えてくれた。中野公演で何を言ったかは記憶がぼんやりとしているので割愛するが、それも聞いてやっぱり行って良かったと思った。
(未だにこの日のことを思い出すと苦しくなってしまい、映像作品はまだ見れずにいます)


コロナ禍になりよく考えることがある。ネットやニュースで様々な情報が溢れている中、どれだけの人がその情報を鵜呑みにするのではなく、咀嚼し、考え、自分なりの指針を見出して行動しているのだろうか。
私も外出するだけで感染するんじゃないかと怯えていた時期もあれば、感染者数が減ったからそんなことはないかと楽観していた時期もある。ステイホームが叫ばれる中、何か新しいことをしようとするとき、確固たる意思や考えがあれば、それに基づいて行動することができるので、周りの状況に揺らぐことはない。残念ながらこの時の私にはそれがなかった。

しかしスキマスイッチは、歌うことへのブレない信念があった。SFで歌われていることは、その場の感情だけで書いたものではなく、音楽をやるにあたりずっと貫いてきたものだと痛感させられた。

周りがどうとかではなく、自分の信念に基づいて考えて、答えを出して、動くこと。動いて得た結果を受け止めて、次に繋げること。
SFという楽曲と、ライブに臨む彼らがそれを教えてくれた。

私が次に二人の音楽に触れる予定になっているのが12月の武道館。
次に会えたら、私は君がいるから、今日も前を向いて、生きているのだととびっきり大きな拍手で伝えたい。
そんな日を心待ちにしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?