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努力なんて認められなければいい

初手から嘘です。努力は認められてほしい。少なくとも僕と僕の推しの分は。

ただ"世のあり方"として「個人の努力が正しく認められる世界」を望むひとって、往々にして「努力しないひとが生きるのが難しい世界」や「努力できていないひとが見下される世界」も併せて求めるよね、と常々感じていて。願った光には必定影が生まれるよね、という話。そんなん💩🖕☠️じゃん、って。二葉亭四迷。

第一さあ、個人がどれだけリソースを費して、ストイックにつきつめて、「よくぞここまで頑張ったね」と声をかけたくなるほどの努力であっても、大体はそれでも「努力してない他者が恩恵に与れてない程度」のしょっぼい努力なんですよ。大量殺人はできても治世までできる英雄は滅多にいないんですよ。もしも努力を物差しに用いるなら結局はお前も偉ぶれる高みにはいないからね?

……という、文句の吐き散らかしであると同時に自戒を込めてこの文章を残します。僕自身も「そうなっている」時が確かにあるので。

様々な場面側面で多発的に感じていることなのでどこか特定の界隈に言及したものであはりません。

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