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雑記 #変わりゆく街並みと値札シール

はじめの挨拶

ハローワールド。ねこむらです。この前は体裁の話をしたのもあって、これまでの記事にもサムネイル画像を設定してみました。気づいたかな?これにより今後なにか書こうとするたびにおれは頭を悩ませるってワケ。
それにしても、九月も半ばだってのにまだまだ暑い日が続きますね。おれはちょっと前に免許を取ったものの車を買うほどのカネはないし、そもそもが趣味ってこともあって、相変わらずメインの交通手段が自転車(*1)なんですけど、どっか行くたびに暑すぎて瀕死になっています。湿度もヤバすぎ。夜とかは涼しくてかなり過ごしやすい感じはあるんだけどね。でも夜になると友達も集まってくるし、ここんところスプラ3しかしてない(*2)や。
で、たまには外の世界にも目を向けなきゃなと思っていたらなんかおもろい話があったんで、書いていきます。今回はそういう話です。

*1:だいぶ前にパクられたので今は臨時のママチャリに乗っています。本当に許せねえ。新車買うなら20万くらい貯めてかっけえ電動のやつ欲しいな。
*2:Discordとかいうところにオタクが夜な夜な集まり、イカタコシャケをシバいているらしいです。こわいね。

変わりゆくもの

決して都会とは言えないけれども、田舎だって自虐するのにはちょっとだけ抵抗あるっていうか、それはガチ田舎の人に対して失礼なんじゃないかなっていうか。そんな街に暮らして20年と少し。ふと気づけば田んぼや畑が住宅街になっていたり、つい最近まで足を運んでいた飲食店が別のお店になっていたり、駅前のたこ焼き屋さん(*1)が潰れていたけれどあそこは正直言ってあんまり美味しくなかったからそこまで悲しくはないなだとかってのはよくある話。まあ、日本全国どこもそんなもんだとは思うけどね。
でもよ、ブックオフに、寂れたパチ屋に、謎の工場に、あとマジで前は何があったのかなんも覚えてないとこ。それが全部ドラッグストアになるってのはさ、おかしいだろ。どんだけ需要あるんだよ。病人しかいないのか。
あと、これは普段乗るのとは別の路線で数駅離れた場所の話なんですけど、こんなとこになんでスタバが!?ってのもなんなんだ。そんなとこに需要はあるのか。めちゃくちゃ行列できてたからあったらしいです。いいな。おれも近所に欲しいわ。めっちゃ行くわ。並んでなかったら(*2)な。

*1:大阪府の各駅前には、必ずと言っていいレベルでたこ焼き屋さんが存在する。ない街はFake。HIP-HOPじゃないってコト。
*2:最近はモバイルオーダーとかもできるらしいが、ねこむらはなんか面倒だと言いながら、ぜんぜん理解してないし時代の流れに取り残されている。Uber Eatsもやっと来るようになったらしいけど頼んだことないし、飲食店のスマホで注文するやつもあんまり快く思っていない。たすけて!

変わらないもの

中途半端な田舎の暮らしには、中途半端な複合商業施設が付き物だ。ほら、AEONって名前(*1)だけはデカデカと掲げられてる古びた建物(*2)だったり、こんな名前ここ以外じゃ聞かねえぞみたいなやつだったりね。
地元の駅から各停に揺られ(*3)、一駅や三駅ほど離れた場所にあるそれらのシケたスポットは、小学生の頃からおれたちの遊び場だった。幼いおれたちの行動範囲内にはそんなもんしかなかったからだ。だが今となっては、無駄にデカい本屋も、めちゃくちゃ安いけどそこまで美味くはないうどん屋さんも、近隣の系列店を吸収合併して生まれたものの品揃えは微妙なゲームショップも、UFOキャッチャーのアーム設定がどう考えても強すぎるせいであらゆる景品が取れまくるゲームセンターも、おいしいグミやキャンディーやラムネなんかを量り売りで購入できる夢のようなイベントスペース(*4)も、流れる時間と共に消えた。雨の中の涙のように。
後から聞いた話じゃ、あの本屋はなんかめちゃくちゃ万引きされまくってたらしい。許せねえよ。山田悠介(*5)のサインとか置いてたんだぞ。いや別にそこまで好きじゃないけど。
とにかく、あの頃のおれたちが好きだったものはみんな無くなっちまって、今じゃ味気ないショボい本屋に、ゲームは取り扱っていないカードだけのショップに、休日でも人が全然居ないゲームコーナーがぼんやりと存在するのみ。うどん屋は復活したと思ったらまた潰れてた。量り売りのコーナーは何度か入れ替わった今のスーパーに存在しているんだけど、あれはちょっと違う気がするんだよな。駄菓子屋と駄菓子売り場は違うんだ。
でも、いつの時代も変わらないものも確かに存在した。
文房具店である。
俺の記憶が確かなら、本屋が潰れた時も、ゲーム屋が潰れた時も、ゲーセンが潰れた時も、そのちょうど中央に位置していたあの文具屋は変わらず営業していた。本屋が長いあいだ空きスペースになり、やがて服屋になり、服屋が家具屋になっても、ずっとその場所にあった。ゲーセンの規模が半分ほどに縮小したり、楽器屋のスペースが三割ほどになったり、その空いた空間に新しい本屋ができたりもしたが、文具屋だけは同じ顔で佇んでいた。
そしていつの時代であっても、その店先には目を惹くポップなカラーと書体でこう書かれていたのだ。『売りつくし!閉店SALE』と。
それはおかしいだろ。ファイナルファンタジーくらい終わんねえじゃん。得はしてるわけだからあんまり強くは言わないけれども、それはそれで一種の詐欺じゃん。幼い頃の夏休み、帰省した田舎で親しくなった近所の少し年上の女の子。なぜだかその子のことが忘れられないまま日々を過ごす主人公。そして十年後、祖父の死をきっかけに再び田舎を訪れた主人公は、あの頃のままの姿をした少女と再会する……ってやつ(*6)じゃん。違うか。

*1:その名は永遠を意味する。
*2:大抵はジャスコかサティ。サティの由来、Select Any Time for Yourselfの略なの意外とかっけぇよね。
*3:あの頃はみんな金がなかったので、移動手段は自転車だけだった。今は時間に余裕ができたので、だいたいは徒歩で向かっている。友達とダラダラ喋りながら歩いてる時間が一番たのしいので。
*4:本来はなんかいろんなお菓子を袋に詰め込むやつなんだろうけど、おれはラムネ瓶の形をしたラムネにめちゃくちゃハマっていたので、いつもそれだけを大量に買ってた。そういうとこやぞ。
*5:小説家。代表作は『リアル鬼ごっこ』や『僕はロボットごしの君に恋をする』など。ちょっと本を読み始めた中高生はみんな読んでる。
*6:そういうやつすき。

消えゆく文化、消えゆく店舗

令和の時代、サブスクの時代。人類はCDなんて買わなくなった。無駄に場所をとる漫画も、舐めたら苦いゲームソフトも買わなくなった。人々はKindleやめちゃコミック(*1)で活字に触れ、ゲームは事前ダウンロードして発売日の深夜0時からスタートダッシュをキメるのだ。これこそが、PSP go(*2)には成し得なかった、輝かしい未来生活。しかし眩い光あるところにはまた暗い影もある。そう、中古ショップの衰退である。そして手軽なネットフリマの流行がトドメとなったのだろう。世はまさに、古本屋大閉店時代。この暗黒の時代において、おれは数々の古本屋を泣きながら見送ってきたし、閉店セールでCDをめちゃくちゃ買ってきた。そしてまた一軒、その灯が今まさに吹き消えようとしている店舗が存在した。今日はその話をしよう。
その店は、なんにもないおれたちの地元から東のほうへと30分ほどチャリを漕いだ場所にひっそりと建っていた。ゆるやかで無駄に長い坂を登り終えたその場所には、他には何もない。あったとしても、古いうどん屋さんとか、少し道を逸れて傾斜がキツすぎる心臓破りの坂を登った先にあるシケた商業施設だけ。こう言っちゃなんだが、おれたちがいつも行ってたような近所のとこよりも数段見劣りするやつだ。マック(*3)があったことだけが救いか。
初めてその場所を訪れたのは、中学生の頃だった。その頃のおれはパンピーを気取る前の救いようのない逃げ腰の負け犬のガチ陰キャだったし、オタク仲間と呼べるような友達が数人いた。そしてそいつらと共に店舗に足を踏み入れた時、おれたちはみんな度肝を抜かれた。地元のブックオフの3倍ほどはある脅威の店舗面積に、うずたかく積まれた本の山、CDの山、そして、フィギュアの山。その頃はまだブックオフも本とCD、せいぜいゲームくらいしか取り扱っていなかったし、おれたちがオタク・グッズを入手するためには、地元から1時間ほど電車に揺られて日本橋の電気街(*4)へと足を運ぶよりほかなかった。だがここには、全てがあった。まさに宝の山だった。
当然、その有り余るほどの宝を手中に収めるためには、現金という名の実弾が必要だ。そんなモンは当時のおれたちにはほとんど無かったが、まるでジャングルのように入り組んだ通路を搔い潜り、輝く財宝めいた商品たちを眺めているだけでも、おれたちの心は満たされた。拙者はお小遣いを貯めていつか手に入れてやるでござると息巻くやつもいれば、別に買ったところでどこにも置く場所なんて無いし、こうやって見てるだけで満足だなっていうおれのようなやつもいた。だが所狭しと並んだ陳列棚を眺めるみんなの目は等しく輝いていたし、時間があれば誰が言い出すでもなく足を運んでいた。確かにあの頃、黄金郷はそこにあったのだ。
それから十年以上が経った今では、その店舗の三割ほどは小綺麗な古着屋に呑まれちまっていた。そしてゲーム売り場やヒーロー玩具のコーナーが少しだけ拡がり、代わりにfigmaやねんどろいどの数は減少していた。あの頃はあまり行けなかったイオンなんかによくある、ヴィレッジヴァンガードにも負けず劣らずの混沌とした薄暗く薄汚い空気は、区画整理と一新された照明により完璧に払拭されていた。無情にも押し寄せる時代の波により、神秘は失われたのだ。あの頃の友達ともあまり会わなくなっていたのもある。自然と、足は遠のいていた。そしてつい最近のことだ。偶然近くを通りかかったときに、閉店セールの文字が目に映った。そうか、お前もか。
数年ぶりに入店したおれは、思わず笑っちまった。予想したよりも遥かに、マジでなんもなかったからだ。入口の近くにデカいアルミラックがいくつか置かれており、そこには漫画の全巻セットがめちゃくちゃ並んでいた。それ以外の見える範囲には、なにもなかった。他の棚はほとんど空っぽで、古いゲームソフトがチラホラと残っている程度か。なによりも面白かったのは、もう使われないであろう棚や、延々となんらかの映像を映していたであろうモニターなんかにも値札が貼ってあったことだ。それも売ることあるんだ。まあ他に引き継ぐ店舗がなかったんだろう、悲哀を感じるね。店の奥のほうには棚ごと購入された漫画たちが売約済みのラベルを張られていたし、その横には少しだけCDが残されていた。あらゆる商品に、上から100円の値札が貼られていた。おれはそこから十枚ほどをピックし、漫画の棚なんかも少しだけ眺めたあと、レジへと運んだ。なぜか更に半額になった。なんかもう、感謝を通り越して恐怖だった。やっす。こっわ。あと、昔からレジ上に吊るされていた数十万くらいのワニ革は未だに売れていなかった。だろうな。
斯くして、おれたちの思い出の場所はまた一つ、地図からその姿を消した。仕方のないことだ。形の在るものはいつか消えるし、記憶もそうだ。でも、こうして吐き出した文字情報はきっと消えてくれない。いまのおれの心情は、このnoteだけが覚えていてくれる。それでいい。

*1:なんかムカつくよねあのCM。
*2:おれ以外だれも買っとらんSONYの黒歴史。あの時代に物理的なソフトを読み込めないってのは流石に強気すぎた。復活を望んでいます。
*3:大阪人はみんなマクドと呼ぶけど、ねこむらは普通にマックって呼ぶ。クドナルは流行らせようとしたけどあんまり浸透しなかった。
*4:西の秋葉原こと、ポンバシのオタロード。オタクと客引きが多すぎるのであまり近づきたくはないが、トルコカフェやカオマンガイカフェは美味いので今でもたまに訪れる。

おわりの挨拶

今回も軽い気持ちでキーボードを叩き始めたんですけど、ふと気が付いたら五千文字くらい書いてるし、そこそこデカい台風は通過していくし、冒頭でまだまだ暑いねって書いてるのに一気に気温下がって風も強くてクッソ寒いし、びっくりですね。なんだこれは。正直言ってもう書くこともないので早々に切り上げさせてもらうんですけど、またなんかおもろいことあったらお会いしましょう。具体的には、チェンソーマンのアニメ作曲陣が良すぎてテンション爆上がりしちゃって布教用のDJMIXなんかを作っちゃったりね。こうしてここに書いとくことで逃げられなくなるって寸法よ。ではまた。


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