休職日記 #50(終)

休職日記がめでたく50回目を迎えました(パチパチ)。「休職」という名を冠していながら休職の話はほとんどせず、「日記」を謳っていながらサボってばかりだったけど、それで良かったと思う。(めっちゃ言い訳してるみたいだけど)そもそも文章を書くことで競争してなけりゃ強制もされていないので、好きな時に好きなことを書いて良いのですよ。ぬるっとでいいの、ぬるっとで。

最初は読み手を想像して書いていたけれど、最後の方はあんまり気にせず好きなように書いていた。そもそも自分が頭の中で勝手に想像している「読者」は、自分のことをそこまで気にして生きていない。途中でふと自分に期待をし過ぎているのは「自分自身」だと気付き、頑張らなくていーやと思って手を抜いた。

これは自分の悪い癖なのですが(また何故そうなったのかも重々承知しているのですが)、何かを継続して成長することを常に求める自分がいて、心の中で辛いと感じている自分の声を無視して突き進みがちなんですよね。自分がどう見られたいか、他人が自分をどう見ているか…とか、意識の底には必ず他人の視線が介在していて、それを長年苦しく感じていた。

結局、その視線は外からでなく自分の中から生じるものだと分かって、ある意味「自分」を諦めてからは肩の力が抜けて楽になった。周囲に追いつこうとして嫌々知識をインプットしたり、必死にアウトプットしようとしなくていい。他人を気にせずに自分が心から「楽しい」と思えることだけしていいんだと開き直ってからは、やっと心待ちにしていた凪がやってきてくれたように思う。なので今は(相変わらず寝つきは悪いけど)地獄のような日々からは脱せたような気がしてます。

休職中は何というか…心の中で姿を隠していた闇がぼんやりと浮かんできて、それと向き合って苦しんで、光を求めて這いずり回り、ある時なんとなく方向が分かってジリジリと近づくような、むずがゆい期間だったと思う。ショートカットで解決できる方法がなければ、普遍的な解決策もない。自分の場合はこうして一生懸命もがいて考えることが好きだったから、自分なりの解釈で自分が納得する兆しっぽいものを捉えられたのかなと思う。旦那に話したら「何も考えず適当にしてればいいのに」と言っていたので(旦那は私の話をたくさん聞いて答えてくれた上でこの言葉を掛けてくれているので、決してモラなんとやらではないです!念のため!!)、普遍的な解決策がないというのは詰まる所そういう事です。私は旦那が心底うらやましいけど、ぐるぐる考える自分を捨てたくも無かったのですよ。

この日記に「これさえやれば休職乗り切れるぜ!」的なアンサーを求めていたとしたら期待外れだったかもしれない。すんません。でも時を同じくして休職中にアホほど苦しんでいたヤツがいると思えば、辛さを一緒に分かち合えるかもしれない。そう思ってこの文章を書きました。

最後に。この日記を読んでくれてありがとうございました。休職期間は終わりますが、まだまだ色々と続くのでぼちぼち頑張ります。少しでも皆さんの毎日に平穏が訪れますように。

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