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来週死ぬはずだった私が、松田迅に命を救われた話

はじめまして。
社会人4年目、絶賛休職中のいちかと申します。

内容はタイトルの通り、来週死ぬ予定だった私がPRODUCE 101 JAPAN SEASON2に参加していた松田迅くんに命を救われたお話です。

そもそもPRODUCE 101 JAPAN SEASON2(以下、日プ2)とは、
あのIZ*ONEやl.O.lを輩出した、韓国発の視聴者参加型サバイバルオーディション番組「PRODUCE 101」の日本版であり、記念すべき第1回ではJO1というボーイズグループが誕生した、あの番組の日本版第2回目の番組です。

詳しくはこちら↓

JO1に関しては友人が沼落ちしていたことや、私もめざましテレビでエンタメプレゼンターを務めていた豆原一成くんを毎朝見ていたことで「よく知らないけど、大人気なんだなぁ」というくらいの認識だった。

0.はじまり

ひとまずここからお話させていただきたい。
身バレを防ぐために色々と伏せるが、
2021年4月、私は関西から地元である関東に異動となった。念願叶っての地元での勤務。期待に胸がいっぱいだった。

だが、現実はそう甘くなかった。
何故かグループに自分の席はなく、色々あって私にはやることが何もなかった。
どうすればいいか相談するも、「まぁ、うまくやって。」の一言。

絶望だった。

1ヶ月間、全然関係ない部署に席を置かれ、仕事もなく、ただ1日を過ごすと人間どうなるのか。

そう。病むのだ。

病むと涙が出てきて、眠れなくなるのだ。
なけなしの仕事も手につかなくなり、普段出来ていたことが出来なくなった。知ってるはずなのに、分からないのだ。
シャンプーとリンスを間違えて手に出しただけで、涙が止まらなくなった。

これはやばいかもなぁと思いつつも、ひとまずGWを挟んでからゆっくり考えようと決めたのだった

1.日プ2との出会い

地元勤務とはいえ一人暮らしをしていたため、
GWには実家に帰省をした。

私には似たような趣味をもった姉がおり、
家に帰ると姉が「今やってるオーディション番組に菅井ちゃんが出ているらしい」という情報をくれた。

私も姉もハロプロのオタクでもあり、菅井ちゃんの指導内容の恐ろしさ(面白さ)をよく知っていた。
とりあえず菅井ちゃんのところだけ見ようぜ!!と、私たちの日プ2は菅井ちゃん1pickから始まった。

するとどうだろう、菅井ちゃんに立ち向かう子、恐れ慄いて声も出せない子がいる映像が流れたのだ。

立ち向かう子の名前は篠原瑞希くん。

彼の進退に興味を持ち、軽い気持ちで最初から見始めてしまったのがいけなかった。
何故か母まで巻き込み、2021年のGWは日プ2によって溶けていった。

この時には既に松田迅くんのことは知っていたのだが、ヴィラン寄りのお顔だなぁという感想しか持たず、興味がないどころか苦手なお顔立ちだった。(許さん)

こうしてGWは溶け切り、また自分の家へと戻ることになった。

2.休職

自分の家に戻るとまた元の生活に戻ってしまった。
あんなに楽しんでいた日プ2を見る気持ちの余裕もなかった。
丁度、伝説の花束組が誕生したポジションバトルや、今や大好きなA.I.Mなどが披露されたコンセプトバトルの最中だった。

眠れない夜には嫌な思考ばかりが続く中、
私の来週の予定は死ぬことになった。

死にたいわけじゃない。死のうとするわけでもない。
ただ、遊びの予定が入るように、来週の私の予定は死ぬことになった。

流石の私もこれはダメだという自覚が芽生えたため、会社に相談し、病院にて適応障害と診断された私は、ひとまず一ヶ月の休職をすることとなった。

3.松田迅という存在との出会い

休職にあたり、実家にて療養を行うことになった。

実家に帰る道中で、電車内で可愛いお姉さんが「プデュの花束やばいんだよ!!」と言ってるのを聞いたことを姉に言うと「花束見てないの?!」と言われ、気がついたら実家のテレビには日プ2の映像が流れていた。

取り敢えず途中まで見たという回を一緒に見ることにした。
そして出会ってしまったのだ。

そう。タイトルにもある通り、松田迅くん。その人に。

その時のことはよく覚えている。
彼の参加していたコンセプトバトルのSHADOWのリハーサルで起こったことだった。

スタッフ陣からの愛の籠ったサプライズにより、リハーサル中に音楽がとまり、国民プロデューサー(日プ2の視聴者の意)からの応援メッセージが流れるというものだった。

踊っている最中に音楽が止まると、当たり前だが全員が動きを止めてしまった。
彼もまた、動きを止めた1人だった。

しかし少しして、松田迅くんは1人で踊り始めたのだ。
音楽もかかってない、周りも踊っていない、そんな中で1人で踊り始めたのだ。
他のグループももちろん続けようとしたメンバーがいたことは知っている。
でも、たった1人で、誰も続こうともしない中で踊り続けようとしたのは彼だけだったのだ。

私自身、少しだけ舞台の経験があるため、ステージの上がどれだけ楽しく、どれだけ恐ろしい場所であることはよく知っている。
ましてや、人生のかかったオーディション番組だ。何かおかしな事をすれば落とされかねない。そんな状況下で、プロでの経験もない、少し前まで普通の高校生だった彼が、どれだけの勇気を出して踊りを続けたのだろうか。

そんな彼に大きく胸を打たれてしまったのだった。

4.私が死ぬとデビュー出来ないかもしれない

サバイバルオーディション番組を謳っているだけあり、彼らのデビューは国民プロデューサーと呼ばれる日プ2の視聴者の投票に委ねられている。
つまり、私が投票期間に投票しないと彼の未来は無くなってしまう。

前述の松田迅くんのプロフィールを見ていただきたい。
デビュー出来るのは上位11名のみ。
彼はとんでもないことに、デビュー圏内に一度も入った事がなかった。

そこからの私の行動は早かった。
とにかく投票期間に投票をし、投票を呼びかけ、Twitterで狂った様に松田迅を検索して「サブリミナル松田迅」などと言ってはリツイートをし続けた。

気がつけば、私の来週の予定は死ぬことではなく、松田迅くんを追っかけることになっていた。

5.待っていた未来

そして、最終回。

最終回は地上波で放送された。
正直、一度もデビュー圏内に入った事ない彼だ。
とにかくギリギリの順位でも何でも良いから、デビューしてくれればそれでよかった。

それは突然の発表だった。
放送が開始されるとすぐ、現在の順位発表が流れたのだ。
最終順位の前の、最後の事前投票の結果だった。

「松田迅」の名前が7位の場所にあった。

7位?!え?!!!な、7位?!!!!
混乱しすぎてスローガン片手に椅子の上に立ち上がった。
7位??????えっっっデビューじゃん?!!!!

マジで動揺した。
でもここで安心してはいけない。
かの有名なテニスの王子様の跡部様だって、バレンタインでキングの座を奪われた際に、雌猫(跡部様のファンの意)たちは「慢心していた……」と後悔していたものだ。

慢心せずに一票を投じ、放送を見守ることを決めた。
ファイナルでみんなが見せてくれたパフォーマンスの一つ一つ全てに想いが詰まっており、見ているこちらまで手に汗を握った。

そして、最終順位発表。
10位から順々に発表されていく。
錚々たるメンバーが呼ばれる中、こんな凄いメンバーの中に推しが食い込めるのかと失礼なことまで考えてしまった。

そして7位。

ステージでの覚醒ぶりに、誰もが驚いたことでしょう。

この紹介に、スローガンを持つ手が強くなった。
入るなら、この紹介しかない。そう感じた。

様々な面々がカメラに抜かれる中、
呼ばれたのは「松田迅」。
私の応援し続けた人の名前だった。

大泣きした。
Twitterに書き込み、友人からの「おめでとう!!」とリプやらツイートやらをしてもらい、生きていて良かったと心から思ったのだった。

6.気が付けば

そんな感動から、もう半年ほども経ち、
彼らはあっという間に芸能人になっていった。
ファンクラブ開設、YouTubeコンテンツ公開、CD発売、ハーフミリオン達成、ファンミーティング開催……。

ほんの半年前、デビューを賭けて戦ってきた彼らは、今や世界に向けて戦いを挑んでいる。

私はそのほんの少しの手伝いになれればと、せっせとCDを買い、YouTubeを再生し、ファンクラブコンテンツであるプライベートメール(推しからメールが届くという素晴らしいサービス)に返信をするなどしている。

ヨントン(推しとテレビ通話出来る機会)が当たり、何を言うか考えるにあたって、沢山お礼を言いたいし、命救われた事も言いたいけど、そんな時間もないだろうからnoteに吐き出すことにした。

私の推しは半年経ってダンスも歌も上達し、MVでは良い場所をもらい、MVが公開されていない歌も美味しい歌割をもらっていることがわかり、しめしめと思っている。
グループ内では、末っ子猫ちゃんとしてお兄さんたちに可愛がってもらっている彼が愛おしくてしょうがないのだ。

彼を追い続けていたら、気が付けば私の中の「死」という確信がなくなり、常に上を見続ける彼らが私の生きがいとなっていた。

そんな彼らのグループ名は「INI」。
彼らがいつまでも私たちと繋がりつづけ、世界へと羽ばたいていくことを願って。


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