リアコという概念とアイドルの進化

がっつりアラシックだったのは中学・高校の頃で、大学受験の頃に離れていき、5年ぶり?ぐらいにSnowManとTravis Japanにはまっている私。ジャニーズ、数年でめちゃ変わったな!と思うことがすごく多いです。

その中でも、「は?」ってなったのが、「リアコ」「リア恋枠」という概念。ジャニーズのYouTubeの楽しみは、まずアップロードされた数分後にみて、何回かみて、一週間ぐらいたった頃or昔の動画を、コメント欄を読みながらみることだと思っている。

そこでよく出てくる言葉、「この時のふっか、まじリアコ」。コメント欄だけでなく、ユーチューブひらけばおすすめとして出てくる動画にも「リアコすぎる正門良規」などなど。少年忍者をSnowManが紹介する動画で、誰かが「リア恋枠狙ってます!」って言ってた記憶がある。

なんじゃそりゃ、5年前のジャニオタ界隈にはなかった概念。令和のアイドル用語、難しい。

調べてみた。要するに、リアルで恋しちゃうような存在、または、推しにリアルに恋してる状態。noteとかでは、リア恋しんどい、嫉妬してしまう、とか、そういう文脈もあった。

でも一番リアコを理解したなと思うのは、正門くんの動画をみている時。ラジオでの優しい声、特に、漢字を読み間違えた高橋くんや大橋くんを訂正する姿。なるほど。ああ、こういう先輩いたら、好きになってしまうだろうな、みたいな、優しく寄り添う姿。なるほど。昔のテラハをみたことがある方がいれば、東京編のはんさんみたいな。

これをみて、思いました。きっと、5年前とかのジャニーズ界では、こんな評価軸は存在しなかった。櫻井翔のような、目鼻立ちのはっきりした可愛いイケメンであること、いかつい道明寺のような、machismoの塊のような、俺様キャラであること。性差別的な表現だっていくらでも見逃されてきた。その辺にいそうな奴や、その辺にいそうな性格や素ぶりは、別に評価されなかった。そんな人のための「枠」なんかなかった。アイドルの評価軸は多々あれど、パフォーマンススキル以外に重要なのは、顔、バラエティで面白いか、ぐらいだったでしょう。

でも、時代は代わり、横柄な俺様キャラはパワハラであり、女子はキラキラ王子様を待ってるばかりではいられない。女子だって、毎日勉強やら仕事やらに精を出しているのです。

そんな、令和の頑張る女子が求めるのは、癒しであり、優しさです。正門くんは確かに平野紫耀のようなイケメンではないかもしれないけれど、イマドキ女子が求めるのは、可愛い顔の男の子よりも、人間性のしっかりした、頼れる先輩のような存在の、正門くんなのです。

要するに、ルッキズムの権化のようだったジャニーズも、リア恋という新しい評価軸を得て、顔面ばかりの空想の中の王子様ではなく、現実にいてほしい優しい男性だってありじゃない、ということなのかもしれない。外見やパフォーマンスばかりではなく、人間性をもっとみていこうよ、という流れを表しているのかもしれない。リア恋という概念は、ジェンダー観の進化の現れなのかもしれない。





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