絵のせんせい
大学の時に、駐輪場の整理のアルバイトをしていて、いっしょに作業する職員のおじさんと仲良くなった。
そのひとは抽象画や書道をしていて、アルバイトが終わると、自分の作品が載った雑誌や毎日描いているクロッキー帳を見せてくれたりした。
シンプルだけど力強くて、やわらかいけど芯のある、おもしろい作品。なんだかよくわからないけどすきだな、とおもった。
そのうち、絵の描きかたをおそわるようになった。
わたしは説明するのにがてなのでむつかしいんですけど、点と線のバランス、色の塗り方、もろもろ ときには宇宙のはなし
わかりやすいようなわかりにくいような(そもそもめっちゃもごもごしゃべるので半分くらい何言ってるかわからない)説明をふんふんきいて、わたしも絵を描くようになった。
「こういう絵にしよう」ときめずに、おもったところに線をひいて色をぬるのがたのしい。脳からでるなにかをそのまま線にうつしていくかんじ それはいまも たぶん詞とおなじ
わけのわからない絵、そもそも絵なのか?みたいなのがどんどんふえて、おじさん、もとい、せんせいは、そのひとつひとつを見て、手短なコメントをつけてくれた。(半分くらいなにいってるかわかんなかったけど)
せんせいといっしょに、喫茶店でちいさな個展をしたりもした。なぜかさかなにとりつかれたわたしは、さかながどこかにいる絵を飾った。せんせいは花の絵を
「はな と うみ 展」
駐輪場のアルバイトはやめてしまって、そもそもあまりまじめでないわたしは、それからもぼちぼち描いたり描かなかったりして、でもまた個展やろうってはなしになって、そろそろ準備しようか〜ってときに、せんせいはしんじゃいました
なんか連絡とれないな〜っておもってて、さいきん絵描いてないから愛想つかされてたらどうしよ、とかおもってたら、なんかぽっくりいきはってた
たまに会う絵のせんせい、もう会えない実感はいまもないまま、2回目の個展は大学にたくさん飾られていたせんせいの作品を借りてやりました、なんとか個展をせねばというおもいだけで、やってしまい、いろんなひとに迷惑をかけて、でも、あー、いきててほしかった と、いまさらおもう
せんせいのおくさんから、せんせいがしぬ間際のはなしをきいた
あまりに急だったので、いよいよ、というときに、銀行の暗証番号をあわててきいたら(おくさん…)、暗証番号、おくさんの誕生日だったそうな。なごむ…
そういうひとだった。過去形はしっくりこないな。せんせいは、そういうひと
わたしたちの会話には、いまもあたりまえのようにあなたが登場します
あたらしいばしょでいきていこうとしているわたしのことを、どうにもまわらないあたまでどうにかやっていこうとしているわたしのことを、どうか、いつものによによ顔で、みまもっていてください。
もらった絵、「今日も明日もずっと快晴」、いいタイトルだなあ、あらかじめ決めてたのか、わたしにくれるときに決めてくれたのか、どっちでもいいですけど、きいてみたかったな
こんなこと、こんなとこにかいたってしょうがないんですけどね。
おわり
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