生きる

生まれて最初の15年、当時は「高機能自閉症」とかいう小難しい病気を抱えた私は、思えば他人の悪意ある攻撃から守るだけで精一杯だった。
私にとってこの時の味方は、ずっと母だけだったように感じる。
どうにかして悪意から自分を守るのに、賢い人が集まる場所なら大丈夫だろう、と思い立って、私は働くのにも最適な高専を選んだ。
幸いにして、もしくは不幸にも賢かっただろう私は、必死に4年かけてその場に食らいついて、ある時気づいてしまった。
私の居場所はここではなかった。私は賢いだけの子供だった。
私の頭の回転の早さについていける友人がいても、私と趣味が合う彼女を作っても、大人が集まる場所で私が混じっても。
私自身が子供のままでは、我儘な化け物のままではどうしようもない、と切に思ってしまったのだ。

高専を辞めた時、ここまで人として生きることをモットーにした私にとって、人の世界で生きるのには息苦しさを嫌という程十二分に感じていたし、子供の感性で生きることより、大人になることを優先せねばならない、と感じた。
父母の居る場所に戻り、苗字を変えて、私は過去にとらわれずに大人になろう、と思い立った。
入った場所は働く場というよりも、大学のサークルのような場所と言った方が近いだろう。各々抱えている問題を吐き出して考えながら、他方仕事になれる意味合いで実際の仕事にも体験する。世間体は決して良くないだろうから周りにもぼかして言わざるを得なかったが、そこは私たち半魚人が生きるのに最適なアクアリウムだった。
アクアリウムの管理者も変人揃いで、究極的には麻雀卓がアクアリウムの中に設置されたりもしたっけ。そんな風に様々な考え方の半魚人に出会い、友人となり、笑い合って、時には意見をぶつけ合いながら、そうしてこの場所を卒業していく。

こうして凡そ2年を得た私は去年の3月、背伸びしてようやく大人になれたのかと。

私は勘違いしていた。

本来であればこのアクアリウムから卒業したものは様々な場所で働いていたのだが、その場所が田舎だからか中々私に合うものがない、という話を何度かしていた。
そうして私は大人のフリをして一人都会に赴くことになったのだ。それが4月。

私は自分自身を勘違いしていた。

引き継ぎ先がなかなか見つからない中、1人のんびりと料理をし、昼寝をして、ぼーっと不安を感じ、ようやく6月に新しいアクアリウムに入ることになった。

私は大人を勘違いしていた。

新しいアクアリウムは、いわゆる一つの仕事場と何ら変わりはない。
上司がいて、先輩がいて、自分がいる。後輩は自分が確認している中では今もいないと言っていい。
ゆるくありながらもノルマは存在し、ゆるくありながらも会社の哲学もあるような場所だった。

そして私は、だんだんと魚の世界に閉じ込められる感覚がした。
周りは化け物しかいないようだった。
管理者がいくら言っても聞かない顔をするバカもいた。上司が指示をしてもいつも間違うバカもいた。

何より私が化け物であることに気付かされてしまった。

長らく上手く見つからなかった私の定義。
複雑に言えば自閉症スペクトラム(発達障害)なのだが、昔から持っているそれは障害ではなく個性だ、と教わった私にとって自分で表せる定義がふわふわであった。
ひとつの線引きとして、健常に生きている人を「人間」、重度に抱えて明日を生きるのもやっとの人を「魚」と言えるなら、そういう意味では、指すものは違えど、とあるものの「半魚人」という言葉は私にとってしっくり来る言葉だと思う。

今まで私は忘れてしまったことがある。
「魚」にも魚の世界があること。
夢を持つこと。
本を読むこと。
料理をすること。
朝、すっきりと起きること。
夜、それなりに早い時間に寝ること。

怖かった。
一人暮らしが出来ないからグループホームに行けと言われた時は、これ以上魚の世界に入るなら死んでしまってもいいと思った。
背伸びをしてでも私一人が居心地のいい空間がほしかった。
そのグループホームの人に「夢はなんですか?」と聞かれた時に、無難なことしか答えられなかった自分におぞましさを感じた。
それでも大人になることに執着しようとした。毎日朝早くに働き、8時間万度に席につき、残業や休出をこなし、上司や同僚の言葉に耐えることが大人だと。

全部とまでいかなくても、私は相応の勘違いをしていたのだ。

やがて、夜帰るのが10時であることが最早日常で、働いても雀の涙ほどしか貰えないお金を「まだこれでもまし」と思い始めた頃。

思えば、九条家に出会っていなかったら、私はもう少しだけ何も出来ない日々が続いてたかもしれない。九条林檎(この時はNo5)に出会い、最初は邪推なぞをして、そのうちに記録をとり。

ある時にお悩み配信にこんな質問を送ってみたのだ。

ディナーネーム:死にかけの猫
やりたいことが見つからない時はどうすればいいですか?

『寝ろ。我儘になれ。心配するな、やりたいことだけやっていても人は生きていける。やりたくないことをやらなくても生きていける。それが今の我だ』

『追い掛けたいと思うことに遅すぎだなんて言わせない』

限界だった私の心は、この日を境に決壊してしまった。厳密に言うと、自分で封じていた「子供っぽい」が、唐突に蘇ったのだ。
奥底に残っていた元気の貯蓄を少しずつ崩したからか、今は仕事はおろか食事すらまともに取れてはいなかったりする。
それでも構わない。そのかわりに、様々な人によってようやく、私のやりたい生き方が、ぼんやり見つかったのだ。

私が元気になるその時まで。
私がもう一度、私らしく生きるその時まで。

その時はいつか、みんなに恩返しをします。


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