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EX1話:『企業戦士 東野』06
「どうせ貴方の事だから、プロジェクトメンバーの履歴書なんて一通り目を通してるんでしょ」
椅子に座りなおし、背もたれに体重を預けた。
「……まあ、一通りは」
「そう。なら、貴方がご存知の通り、ウチは早い時期に両親が離婚してね。私が小学校の時から父親と二人暮しを始めたわけ。母への慰謝料で、父の生活は相当苦しかったみたい」
父が母にした仕打ちと、母の父への恨み。どちらが過剰だったのか、あるいは等価だったのか。随分な慰謝料だったらしい。
「変な話よね。私の前では口論一つしたことのない両親だったのに。で、父は随分働いたみたい。毎日残業残業で、帰ってくるのは私が寝入ってから。中学生になってから、父の夕食をとってるところなんてほとんど見た事がなかったわね。――そんなのが三年も続いたかなあ。そうなるとね、どうなると思う?」
「……いや、想像がつかない」
「たまに家で顔を合わせてもね。お互いに話すことが無いのよ。一応それまでには、多少なりとも離婚の事情は理解出来るようになってたから、父を恨むとか無視を決め込むとか、そういうつもりはなかったと思う。
でもね、ううん、それだからこそ。『別に話すことなんてない』の。たまに朝食を一緒に摂った時は酷いものね。向かい合わせに座っていながら、二人して脇のテレビを眺めてるの」
そのいたたまれない雰囲気は今でもはっきりと思い出せる。理性も、感情も、目の前の人が、一緒に居て当然の相手とわかっている。なのに、『なんでこの人がここにいるのかわからない』という違和感が、確かにあったのだ。それも、お互いに。
「親子ともども、相手が居ないことが当たり前になっちゃってたのよね。でもそのままじゃ流石に悪いと思ったから、成績を見せる事にしたのよ」
「成績っていうと、中間テストの点数とか、そういう奴?」
「そう。実際の所、私はクラスの中ではそこそこ勉強が出来る方の人間だったから。テストの度に、『私は貴方に払ってもらった学費でこれだけの結果を上げましたよ』って、成績を報告する事にしたのよ。
そうすれば少しは、養ってもらってる恩も返せるってもんでしょ。点数が悪くちゃ話にならないから、それなりに勉強は頑張ったつもり。そうね、友達のいないガリ勉少女と言った方が近いわね」
まあそのおかげで、結局、県でトップの公立の高校、国立の理系大学に進学がかなったのであるが。ちなみになぜか高校進学後は、そのストイックなスタイルがやたらと女子連中の信望を集めてしまい、結果としてこのような性格が形成された次第。
「大学に入って上京するのを契機に、父とはきっぱり絶縁したわ。お互いに憎んでもないけど、好きでもなかった。これ以上一緒に居ても、お互いにメリットはなかったから。――結局。私達は、最初にすれ違ったまま、それを取り戻すことが出来なかったのよ」
自販機で買ってきた、もう一本の烏龍茶の缶を開ける。ついでに買ったホットコーヒーも東野に押しやる。気がつけば、終電の時刻は過ぎていた。東野のも、彼女のも。
「まあーそんで。家とも縁を切ったことだし。大学時代は随分遊んだもんだけどね。卒業を控えて就職ともなったら、さすがにアタシも人並みには悩んだワケよ」
「サイコロで決めたとか?」
「……アンタアタシを何だと思ってんのよ」
「いや、これは冗談。入社時の志望動機も読んだよ。音楽が好きだったんだって?」
「げげ、そんな文書にまで目を通してたんだ。なんかそこまで行くとストーカーの類ねぇ。まさか、よその会社のゴミとか漁ったりした事あるんじゃないの?」
さてどうだったろうね、とはぐらかす東野。
「ま、隠すような事でもないしね。前述のよーに割りかし暗いベンキョー生活を送った美少女中学生だったアタシの、唯一の楽しみが、音楽を聞くことだったワケよ。
随分色々と聞いたものねえ。ポップスに始まって、洋楽、クラシック。図書館で借りた民族音楽も随分ダビングしたもんだし。三年の終わりには演歌と琴にも手を出してたっけかなあ」
その当時に築き上げた彼女の音楽ライブラリは、一人暮らしをはじめた今も部屋の棚を三つ占拠している。
「テンション上げたい時にはポップス。テンパってて、でも負けてらんねぇ、って時はメタル。集中したいときはなぜか演歌だったもんよ。
でもアレね、同級生みたいに、どっかのバンドの追っかけとかには全然興味わかなかったんよ。ホント変なんだけどね。曲が好きって言うより、曲を聞くっていう行為が楽しいって言うか。節操ナシって良く言われるんだけどねー」
「そんな事はない。それは節操がないのではなく、純粋に『音楽』が好き、ということじゃないか」
亜紀は、目を白黒させた。
「……すごい新解釈。……ま、だからサ、アタシも気がつけば理系の大学出てガチガチの技術屋になってたわけだけど。音楽に関わってメシが食えるなら、それがいいかなー、なんて思ったワケよ。もっともそう思ったのは三月の終わりで、もうここしか募集してなかったんだけどねー」
それは嘘だ。彼女は複数社の内定をとりつけていたはずだ。が、別に取り立てて口にする必要はない。東野はプルタブを押し込んだ。亜紀も烏龍茶を飲み干して、缶を机に叩きつけた。
「念願かなって就職出来たワケだから、さー、これを機にバリバリやってやるぞー、なんて意気込んでいた時期がアタシにもありました。ハイ!!ってか、そろそろそっちからも喋ってよ東野さん。アタシがホされた件、アンタが調べてないわけないでしょ?」
「新企画として提出した、小型HDD搭載プレーヤーの件、だね」
「……やっぱり知ってたんだ。まー、これも隠すほうが難しいってヤツよね。あんときはさー、アタシも若かったんだわ。尻の毛が抜けて、ヒヨコは卒業したと思ってた頃かな。開発課に配属された以上、画期的な新製品を開発する事が、我に与えられた使命!って感じで」
当時、まだ新人扱いだった亜紀は、日本中に浸透したインターネットと、そこでやり取りされる音楽に注目した。そしてそれを小型ハードディスクに入れて持ち運んで再生する。……つまりは、今日爆発的に普及した、iPodをはじめとするデジタルサウンドプレーヤーの原型である。
「iPodよりはずっと早かった。あのまま行けば、間違いなく連中より先行して売り出せてたと思う」
その当時の亜紀は、停滞しきった社内の雰囲気を変革すべく、まさしく孤軍奮闘していたものだ。上司から何度と入るチェックを、徹夜で都度訂正し、工場に日参してコストを試算し、ラボで評価を繰り返しつつ、昼は営業にくっついて取引先を周ってリサーチの真似事をしてみたり。
今思えば、随分と稚拙なことをしでかしていたものだ。だが――間違いなく、充実していたとは思う。
「でもね。結局、上を説得し切る事は出来なかった」
「なぜなら、当時のゲンキョウ上層部にして見れば、貴方の開発した製品は、楽曲の違法コピーを推奨する品物にしか見えなかった。以前に低価格路線を打ち出して大失敗をして以来、万事に消極的な上層部は、お得意様である音楽業界を敵に回す気概はなかった、ってとこだろう」
まさしくそうね、と亜紀は肩をすくめた。そして、金の卵は孵ることなく、間もなくiPodが世界を席巻する事になる。
「悔しかったなー……。チャンスを逃した事も、あの時ベストを尽くせなかったことも」
例え専務と刺し違えてでも世に出すべきだったかな、などと本気で呟いてみる。
「でもま、それならそれで次回頑張りましょう、ってな結論ならアタシもリベンジかますか、って気分になったんだけどね。これがまあ、お粗末な話しでサ」
――後日。とある会議の席で、当時の社長がiPodの躍進を目にし、部下達に問うた。なぜ、ウチではああいうものを作る事が出来なかったのか、と。
社長直々のご下問に、亜紀の当時の上司である赤山部長は、彼女の目の前で恐縮しながら応えたものだ。すいません、ウチの部下はやる気のない使えない連中ばっかりでして。いやあホントにお恥ずかしい。
そうか、アタシは使えない連中か。
以後。亜紀は、成果の出せない社員として、窓際に追いやられてゆくことになる。
「とまあ、これが一年近く、社内で一人バカ騒ぎしていたピエロのオチ。その日から、折角親愛なる油スマシ氏が定義してくださった、『やる気がない使えない連中』でいる事を愚直に守り続けて現在に至る、と」
烏龍茶の缶をゴミ箱に放り込もうとして、ふと手が止まる。
「あれ。そもそもなんでこんな話になったんだっけ――ああそうだ。とにかく、家にはこまめに帰って、家族と会話をすること。仕事のためとかそんなのは二の次。娘さんをアタシみたいにさせたくなかったら。了解したかね、東野軍曹?」
「了解しました。以後、可能な限り家庭を優先させる事を誓います」
「可能な限り、ではない。いかなる時も、である」
「いかなる時も」
苦笑して敬礼する。それならよろしい、と亜紀は笑って、重い頭を振って立ちあがった。終電は行ってしまったが、幸か不幸か、駅前なら簡単にタクシーを捕まえられるはずだ。仕事を終えた東野と一緒に戸締りをして、外に出る。固辞する亜紀にタクシー代を渡して別れる際、東野が聞いた。
「兵頭君。最初に話した、社畜と誇りの話だけど」
「ああ……はい」
「君は、まだ自分の誇りを持っているのかい?」
げらげらと笑った。
「誇りはホコリまみれ、なんてね。ここんとこほったらかしです」
まったく、眠いし酒は飲みすぎ、まったく宜しくない。だから亜紀は、
「――でも、捨てたつもりはありません」
等と、答えてしまった。
「だからだよ」
「……えっと、何が?」
「最初の最初の質問。君をプロジェクトメンバーに推薦した理由、さ」
タクシーのドアが閉まる。走り出す車からガラスごしに振り返る。遠ざかる視界の中、手を振っている東野の姿が目に入った。
誇り、かあ。
ぶつぶつとつぶやく。帰ったら水洗いしないと。ああ、洗うのはまず顔だっけ、などと酔っ払い独特の意味不明の言葉を吐くと、なぜか急に全身の力が抜けてきた。重い荷物を降ろしたときのように大きくため息をつくと、亜紀はすとんと眠りに落ちていった。
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