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EX1話:『企業戦士 東野』09
「やられた!」
息せき切って駆け込んできたプロジェクトメンバーの一人が広げたその日の日経新聞を見て、一同はまず愕然とし、次に怒りとも怨嗟ともつかぬ声を上げた。そこには某大手電機メーカーの広告が半ページを使って掲載されており、以下のようなコピーが大々的に踊っていた。
『”貴方の感情が曲になる” 新世代携帯音楽プレーヤー『JukeBox』 12月17日発売』
そしてその下には、プレーヤー各種センサーを利用してユーザーの状態を読み取り、次に最適な曲をするといった説明が続いていた。
「これじゃカペラともろにバッティングするじゃないか!」
「バカな、こんな偶然ってあるのか!?」
始業前である。次々に新聞を抱えた社員達がオフィスに飛び込んできて、同じ記事を囲んでいる同僚達を見つけ輪に加わっていく。
「まさか……情報が、漏れたのか?」
「そう言えば……。連中はすでに、年末商戦は従来機種のバージョンアップ版を主力として売り出すことを決めてたはずだ。なのに並行してこんなものを売り出すなんて」
「じゃあ何か?この機種は、ウチを潰すためだけに打ち出したってのか?」
「有り得なくはない。出足を払いにきやがったんだ」
「ふざけるな、ウチのセンサー技術ならあそこには負けない。そう簡単に同じものが作れるか!」
「だが、大手の連中が先に発売すれば、ユーザーはウチの方がパクったと思うかも……」
「クソ、発売日はご丁寧にウチより一日だけ前になってやがる!」
「東野サン」
今やオフィス中に轟々と意見が飛び交う中、朝刊をひっさげた亜紀が席に向かうと、東野は自販機から取り出したホットコーヒーを持って戻ってくるところだった。朝刊の内容を見せられた東野は、
「手を打って来たね」
と短くコメントしただけだった。そしてちょいちょいと胸のポケットをつつく。それが意味する所を察して、亜紀はそのまま東野の後ろについて喫煙スペースへと向かった。そして驚いた。
「やあ、兵頭君」
そこに居たのは源田社長だった。疲れたような嬉しそうな、何とも中途半端な表情で、煙草を一本もらえるかね、と問うた。亜紀が頷いて箱を差し出すと、そこから遠慮なく二本引き抜く。分煙機に取り付けられたライターで火をつけて、美味そうに吸った。
「禁煙の誓いも二ヶ月で終わり、か」
そんな源田社長のコメントとほぼ同時に、東野が紫煙を分煙機に向けて吐き出す。口が空いたのを見るや、亜紀がたまらず疑問をぶつける。
「手を打って来たね、って。東野サン知ってたの?」
頷く東野。
「カペラの開発情報を盗み出そうとする動きはあったのは知っていた。だけどその背後関係がわからなかった。今回の件で、黒幕の企業がどこか……それと、内通者が誰か、はっきりしたわけなんだ」
その表情は硬い。
「犯人って、まさか……」
「開発主任の君には言っておくべきだろうな」
灰皿に吸殻をごりごりと押し付けて、源田社長がプリントアウトされた写真を取り出す。そこには夜、誰もいないオフィスで、図庫の鍵を開けている赤山専務の姿がばっちり写っていた。
そして、USBメモリーにせっせとCADデータや企画書を保存している姿の録画データ、赤山がログインした際のファイル操作のログ。いずれも、一週間前の夜に記録されたものだった。
「たしかに社内で一番容疑が濃かったのは奴だ。背任にも薄々感づいていたが、証拠は無かった」
源田社長がこつこつと卓を叩いた。リズムこそ軽いが、指を叩きつける力は決して弱くはない。
「実際に見るとそれなりに堪えるな。きっちり報いは与えてやるとしよう」
写真をテーブルから掬い上げ、憮然とする。
「つまり」
ぼそりと呟く亜紀。
「あの油スマシは。アタシ達が今まで気合入れて作ってきたモノを、他社に売り飛ばした、っつー解釈でいいんすかね?」
声はむしろ静かなものだった。代わりに、亜紀の目が爆発寸前の恒星のように危険な輝きを放っている。このまま役員室に飛び込んでいって赤山の首をへし折るくらいの芸当はやりかねない勢いだ。
「落ち着きたまえ兵頭君。奴にはきちんと罰を――」
「落ち着いてなんていられません!」
分煙機のテーブルに叩きつけられる掌。源田社長が驚く。
「……あ。すんません。でも、これ、社運をかけた本当に重要なプロジェクトなんですよね?アタシだってそうです。アタシもこれを成功させなきゃ、前には進めないんです。罰なんて正直どうでもいいんス。だけど、金目当てか何か知らないけど、開発に関わってもいなかった奴に売り飛ばされるなんて、絶対に――」
「ああ、兵頭さん。話は最後まで聞いてもらえないかな」
「ナンすか!?」
ぐるりと方向転換された矛先を、東野は至って真摯な顔で受け止めた。
「まだチャンスはある」
言うと、先ほどの新聞記事を広げた。
「彼らが提唱してきたのはカペラの二番煎じだ。いや、本来は二番煎じとなるべきものを、リークされた情報を元にフライングで攻勢をかけてきたと見るべきだろう。だが、逆に言えば、あちらもこのカペラを脅威と思っている事は間違いない」
爆発的に普及した商品は、次の段階として差別化を狙って珍妙とも言える機能を組み込んだものが多く世に出回る。携帯電話しかり、ノートパソコンしかり。その多くが一発芸や早すぎる商品として埋もれていく。
そんな中、皮肉にもカペラは競合相手によって、『見込みアリ』と認められた事になるのだ。
「私が追跡調査した記録から推測するに、赤山専務が持ち出せたのは、機種のコンセプトと、要求されるスペックだけ。そこからカペラに追随するものを製造するのは容易ではないよ」
それには亜紀も頷かざるを得ない。機械の開発時に『どのくらいスペック必要か』を算出することは無論大事だが、『要求されたスペックを満たす部品やユニット、ソフトを作り出す』のは並大抵では済まされない。現に亜紀は夏以降、殆どこの作業に忙殺されていたのだから。
「でも、彼らは現にこうして広告まで打ち出してきたんでしょ?」
「とにかく機先を制する。それが彼らの狙いだろう。正直に言ってしまえば、企業としての知名度はゲンキョウよりあちらの方が上だ。その彼らが同じコンセプトのものを先行して発表し、かつ発売したとなれば、カペラの方が二番煎じと思われてしまう。
多少性能が劣っても、次の春商戦までにバージョンアップ機を開発させればいい、という所だろう。そして彼らはそれを成し遂げるだけの地力がある。ぶっちゃけ、今回彼等が送り出す対抗馬は、我々を牽制するための捨て駒に過ぎない」
「それじゃあやっぱりまずいんじゃないっスか!」
だから落ち着きなさい、と社長と東野に両側から諭され、亜紀はしぶしぶともう一本煙草を取り出して火をつけた。
「我々にはまだ、彼らには真似出来ないものが一つある」
言って、東野は亜紀を指差した。
「アタシ?」
「そう。君の開発したシャッフルプログラム。これだけは、連中にはそうおいそれとコピー出来る代物じゃない」
それは、ハードのみならずソフトの知識もあり、かつ、膨大な音楽を聴き続けた亜紀が指揮を執って作り上げたからこそ実現可能だった。
ハード面での部品ごとの性能については、多数のラインナップを持つ競合メーカーはその地力で肉薄してくるだろう。だが、ソフトであれば、少なくとも製品を発表するまでは、こちらの手札を伏せておく事が出来るはずだ。
「東野君の言うとおりだ。我々の今後の戦略は変わらない。今までどおり開発を続けること。そして発表時には、シャッフルプログラムを前面に押し出し、明確に先方との違いをアピールする事。これに尽きるだろう」
なんとなく釈然としないものの、源田社長の言葉に、亜紀も頷いた。
「今後、機密管理についてはより一層厳重に扱うこと。特に……」
東野は言葉を切って、亜紀にコーヒー缶を差し出した。
「シャッフルプログラムのロジックは、最重要機密になる」
「了解ッス」
喫煙スペースで行われた非公式の方針会議はこれにて終了だった。そして、亜紀が現場に戻ろうとした時。
「ただ」
ぼそりと東野がコメントを漏らした。
「ただ?」
「一つだけ気になることがある」
言って、東野は眉をひそめた。
「奥歯にモノ挟まった言い方はカンベンしてよ。何なの?」
「それにしても彼らの動きは早すぎた。スペックを入手する以前から、ある程度の基礎開発を進めていなければ、ここまで迅速に手は打てなかっただろう」
「って、言うと?」」
あまり言いたくは無いんだが、と東野は肩をすくめた。
「彼らは、開発当初からこの企画を知っていたんじゃないかと思えるんだ」
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