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EX1話:『企業戦士 東野』03

「近年の携帯音楽プレーヤーの一大転機は、言うまでも無くアップル社が開発したiPodです」

  東野と名乗ったその男は挨拶も早々に、持ち込んだノートパソコンをプロジェクターに接続し早速プレゼンテーションを開始し始めた。

「……ちょっと。何ですあの男?」

 亜紀は隣の先輩を小突く。

 彼女は不機嫌だった。眠いし二日酔いはまだ抜けない。あの男の登場で、渾身の手抜き資料は日の目を見ずに済んだが、それはそれで無駄になった昨夜の残業時間が腹立たしい。先輩は一つ唸った。

「人材派遣会社CCC。あらゆるジャンルのエキスパートを網羅し、企業が直面した困難な課題や厄介なトラブルを打破するために派遣する『企業を助ける企業』だそうだ。

 社員の多くは、前職で超一流の腕を持っていてヘッドハントされたエースや、あるいは腕が良くてもワケアリで居られなくなった連中らしい。

 ――ま、俺も聞いていたのは噂だけで、初めて見たんだがよ。社長もどうやら本気の本気らしいな」

「腕利きねぇ」

  気の無い表情で、亜紀は頬杖を右腕から左腕に移す。テーブルの前で淡々とプレゼンを進めていくあの影の薄い中年男が腕利きで通るんだったら、あたしは何だ。マリー・キュリーか。

「そもそも携帯音楽プレーヤーの根本的な概念は、『好きな音楽を持ち運んでどこでも聞ける』というものです。しかし、これには必然的に制約が付きまとっていた。

 すなわち、一度に持ち運べる量が限られること、そして、違う曲を聴きたくなったら一度機器を取り出して記憶媒体を交換しなければならない、という点です。これによって、『急にあの曲が聞きたくなったけど手元にない』という事が起こりえた」

  東野のプレゼンは、この業界に居る人間にとっては単なる過去のおさらいでしかない。

 カセットテープ式のウォークマンしかり、CDプレイヤーしかり。一つのテープなりディスクに入るのはせいぜい一、二時間分の曲である。他の曲が聴きたい時は交換をしなければならないし、色々な曲を手元に置いておきたいとなれば、必然的にディスクがかさばる事になる。

 子供の頃はよく、ラジカセを使ってお気に入りの曲を一枚に集めたテープを自作したものだ。

「その頃はCDプレイヤーも無かったしね……」

  CDプレイヤーが手に入ったのは中学に入ってからだ。とはいってもいわゆるCDラジカセではなく、ポータブルの奴だったが。

「あー確かに。アッちゃんの子供時代ってことは昭和がががっ」

  オフィススキルLV2(女性限定)、テーブルの下の足の甲を正確に踏み抜く技を使用して雑音を遮断する。

「やがて、MDとMDプレイヤーが開発されましたが、これは音質と容量こそ向上したものの、カセットテープと概念的に大きく異なるものではありませんでした。以後、携帯音楽プレイヤーは停滞期に入り、機能拡張や、小型化、装飾性を充足していく事になります」

  東野のプレゼンは続く。

「一方、九十年代後半のインターネットの爆発的普及は、新たな音楽文化を生み出す事になります。それはつまり、MP3等によってファイルを圧縮し『音楽をネットでやりとりする』ことと、『パソコンで音楽を聞く』事です」

  しかし、ユーザーに着実に広まっていったこのスタイルを、音楽業界は長らく無視し続ける事になる。

 何故なら、彼等の利益の主要な源泉は販売されるCDによるものである。パソコンに取り込んで音楽を聞くという行為は、彼等にしてみれば不正コピーと同義語だった。そんな事を認めては、彼等の利益の大半をドブに捨てる事になる。断じて承認するわけにはいかなかったのだ。

 果敢なメーカーが、スマートメディアなどの記憶媒体を利用したプレーヤーを幾つか開発したが、転送速度の遅さもあり、売れ行きは今ひとつだった。

「しかし、そんな因習をいともあっさりと打ち破ったのが、PCメーカーであるアップル社のiPodだったというわけです。

 圧縮した音楽を、内蔵した大容量小型ハードディスクに記録する事で、『大量に』『かさばらず』音楽を持ち運べる。

 これにより、手持ちの曲を全て持ち運ぶ事が出来るようになり、『手元に無い』という事態が無くなった。

 そして、ユーザーに配慮した使いやすいインターフェースで、『音楽をネットでやりとりし』、『パソコンで音楽を聞く』。従来のニーズと現在のスタイルに、まさにマッチしたアイテムでした」

  それが正解だったことは、iPodの爆発的な売れ行きと、それから一年の間に各メーカーが類似品を一斉に売り出した事からも明らかである。

「ノートパソコンの普及によって、ハードディスクの小型化の技術はすでに陳腐化していました。iPodはどのメーカーにとっても、技術的には決して難しいハードルではなかったのです。では何故、アップルにはiPodを開発できて、あなた方を含む音響メーカーには開発出来なかったのか」

「どいつもこいつも古臭い常識から抜け出せなかったからよ」

  自分では小声で呟いたつもりだったのだが、東野が言葉を切ったタイミングに合う形になったためか、それは予想以上に会議室に響いてしまった。こちらを向いた東野と視線が合う。

 亜紀は真っ向からにらみ返してやった。理由は特に無い。理系硬派女三十歳(四捨五入すれば)、堂の入ったガンつけである。東野はガンつけをしてるはずの亜紀の表情を見て、僅かに口元を緩ませた。

  笑った、のか。

「――まさしく。そして貴方がたは、結果としてまたも苦しい後追いレースを続けさせられている事になる」

 そう。ハードディスクを利用したサウンドプレイヤーとなれば、PCの大手たるアップルのアドバンテージは絶大だ。大手音響メーカーも、負けじと自分達の持つリソースを駆使して猛追に出た。

 今や電気店の店頭では各社入魂の音楽プレーヤーが毎月のように入れ替わりながら火花を散らしている。

 だが悲しいかな、ゲンキョウのような中規模メーカーには、急に方針転換する体力も、猛追するだけの馬力もない。マラソンで、速度もスタミナも劣る選手が後発でスタートするようなものであり……結局の所、どうやっても勝算はないのだ。

「我々も現状は痛いほど認識している。だからこそのプロジェクトだよ東野君。私が聞きたいのは、君の説明ではなく、君の提案だ」

「そうだよ東野君!!もってまわった言い方はやめたまえ!みんな忙しいんだから!」

  苦虫を噛み潰した源田社長と、横で喚く油スマシの声に、頷く一同。彼等とて、別に朝からわかり切ったオセッキョウを一から聞き直したいワケではないのだ。東野は恐縮して頭を下げる。

「失礼いたしました。私が申し上げたい事は、単純に小型化、高速化、コストと言った点で競い続けては勝算はないと言うことです。となれば、御社独自の『何か』を付け加えたものを生み出さなくてはならない」

  会議に居合わせたメンバーに、露骨に失望が広がっていく。

「すまないが東野さん、そんな問答は、開発会議で毎週のように検討されているネタだよ」

  音響部長の発言が全員の意見を代弁していた。CCCの派遣社員と言えど、この程度か――そんな声無き声。出席者達は一同に身じろぎする。すなわち、早くこの会議を終わりにして外に出たいという意思表示だ。だが東野は、動じていないようだった。穏やかに返答する。

「しかしまだ、試していないモノがあるかも知れない」

「試したさ。それこそ総当りでな。パソコンを使わずともMDから取り込めるとか。音質の可能な限りの向上をはかるとか。外装を若い女性向けにするとか。およそ音響部門の持っている技術は全て検討したんだ」


「――そこに大きな誤解がある」


  す、と東野の声が響いた。先ほどとは違う。いや、確かに先ほど同様穏やかではあるが、何と言うのか、芯の通った声。今までの人当たりの良い物腰とは少し違う、明確な意志を持って人を動かす人間の声だ。緩みかけていた一同の視線が、再び東野に集中する。

「貴方達の大きな不幸は、自分の本当の力を知らない事にあります。部長、貴方はまだ、自社のリソースを半分しか試していないのです。ゲンキョウ社には、まだもう一つ技術の宝庫があると言うのに」

「……半分?」

  そこで一旦言葉を切り、再びノートPCを操作しプレゼンを再開させる。

「――さて。iPodの成功の大きな要因は『聞きたい音楽を全部手元に置いておける』。これに尽きます。しかしながら当然、曲数が増えれば増えるほど、それを管理するのは大変な事になってくる。

 現在、各社の製品では、お気に入りの曲をリスト化してあらかじめユーザーが設定しておくプレイリスト機能や、演奏履歴などからユーザーの嗜好を推測した上でランダム演奏をしてくれるシャッフル機能があります。

 しかし、これはいずれも、定められたプログラムや機械的なルーチンによる再生に過ぎない」

「あー、確かにそれ思うよな。音楽をBGMで流してるとさ、何ていうのか。毎回決まった順序で曲が流れるのは単調でイヤなんだけど、シャッフル再生すると、ノリのいい曲とテンション低い曲が交互に流れてきて、それはそれでムカつく、みたいな奴」

  亜紀の隣の先輩が発言すると、何人かの社員が頷いた。

「俺は今、テンション高い曲で突っ走りてーんだよ!!タルい曲流してんじゃねー、ってのはあるよな」

「だが、機械だししょうがないんだろう。こっちのフィーリングなんてわかるわけもないし」

「では、例えば。――機械がそのフィーリングを理解して、音楽の順序を決めてくれるとしたら如何でしょう?」

「へ?」

  呆気に取られる一同。

「そりゃ無理ですよ東野さん。ユーザーの状態を検知するなんて。人工知能でもつけろっていうんですか?」

「おや?でも貴方達は、そういったモノをずっと作って来たのでしょう?」

  東野の質問に、皆が怪訝な表情を浮かべる。と、

「……モニタリング機能か!」

  一際大きな声が上がったのは、テーブルの反対側だった。声の主は、今まで何のためにここに居るのかと思われていた医療機器部長だった。

「小型の携帯プレイヤーに、脈拍や血圧、歩数の検知機能を取りつけ、ユーザーの状態を推測する。それを元に、プレイヤーが自動的にその状況に適したジャンルの曲を演奏する――そういうことじゃないか、東野さん!?」

  医療機器部長の発言の意味するところに、何人かが気づきはじめた。

「もしそんなものが出来れば……。それは音楽を携帯するだけじゃない。必要なときに必要な音楽を供給してくれるプレイヤーという事になるぞ!?」

「これは……携帯プレイヤーの新たな革命になるかも知れん!」

  東野の顔に会心の笑みが浮かぶ。そのままノートPCのキーが叩かれた。

「……それでは、遅くなりましたが、私の提案を説明させていただきます。医療機器の技術を応用した、ユーザーと相互リンクする携帯音楽プレイヤー。コードネーム『カペラ(宮廷楽団)』です」

  映し出されたのは、二本の細いケーブルが伸びた音楽プレイヤーだった。



 それから三十分ほど、会議は過熱状態だった。

 技術的な可否についての質問が営業部から飛べば、東野より先に医療機器部が、既存の技術の流用であり問題ない事を回答する。

 医療部がデータのリンク形式を述べ、音響部がそれに対応出来る事を即答した。源田社長がこの製品を発売した場合に狙いうるシェアを聞きたがれば、営業課長が大雑把にだが市場データを試算する。

 既存シェアの三割奪取、さらなる新規顧客の開発の可能性と言う結果は、一同を驚嘆せしめた。

 年末までのスケジュールが組まれ、担当者が割り振られてゆく様を、亜紀はぼんやりと眺めやっていた。この会社がこんなに熱意に溢れているのを見るのは、初めての事では無いだろうか。いや、数年前にも一人いた。だが、そいつは一人だけで空まわって、独走した挙句……。

「CCCの社員ってのはやっぱスゲェなあ」

「そう?目のつけ所はいいかも知れないけど。それだけじゃない」

  先輩のコメントに、亜紀は気の無い声を返す。

「――それでは、本プロジェクトのメンバーを選定させていただきます」

 そうこうしているうちにも、東野の議事は進んでゆく。まあ、多少惹かれるものがあった事は否定しない。だが、それだけだ。あたしには何の関係も無い。

 ここ数年、ずっと閑職で冷や飯を食わされてきた身である。仕事に何かを期待するような若さは、とうに飲んだヤケ酒と吐いたヘドに紛れてどこかへ流れてしまっていた。

「ポータブル音楽プレーヤー開発課、兵頭亜紀さん」

 だから、東野のそんな声が飛んだ時。

「あたし?」

  思わず、素で叫んでしまっていた。

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